『白と黒の贈り物』44
バーベキューを終えたあと、パラソルやウッドデッキの影でひと息ついた生徒たちは、
「よーし、次は海だーっ!」という声を合図に、ぞろぞろと別荘のほうへ移動しはじめた。
玲奈先輩の別荘には、外から直接出入りできる専用の更衣スペースがあって、
数人ずつ交代で水着に着替えていくスタイルになっている。
「ご配慮いたしましてよ。男女別で使えるようにしましたから、安心なさいな」
そう微笑む玲奈先輩の表情には、
さすが生徒会長……って思わず背筋が伸びるような、抜かりのなさがあった。
「本当に助かりますっ!!」
柚葉ちゃんがぴょこっと頭を下げて、
隼くんは少し照れたように、その後ろで頷いている。
更衣室では、私もそそくさと服を脱いで、
持ってきた青空みたいなワンピース水着にお着替え完了っ。
(白いリボンは……今日はお留守番。
代わりに、ヒカリちゃんに借りたシュシュを……よしっ!)
廊下の鏡でポニーテールをきゅっと整えていると、
ちょうどヒカリも更衣室から出てきた。
落ち着いた淡水色のセパレートに、薄手のパーカーを羽織っていて――
まるで、波の音がそのまま似合いそうな、静かな雰囲気。
「……うん。ヒカリ、すごく似合ってるよ〜っ!」
「……ありがとう。犬神さんのも、らしくて、いいと思う」
くすっと笑うその横顔に、
なんだか胸の奥が、きゅっとくすぐられた。
夏の陽ざしが、砂浜をまぶしく照らしている。
着替えを終えた生徒たちは、浮き輪やタオルを手に、次々と海へ向かっていった。
「うっひゃ〜〜っ! つめたっ!!」
思わず声をあげながら、わたしは真っ先に波へ飛び込む。
髪は高めにひとつ結び。
今日は青と白のしましまシュシュで、気合いもばっちり!
ヒカリにもらった大事な白いリボンは、海風で傷んだら大変だから、今日はお休み。
「よ〜しっ! いっぱい遊ぶぞ〜〜〜っ!!」
そんなふうに叫びながら駆け出すと、
空の青を映したみたいな水面が、きらきらと弾けた。
――そのとき。
イルカの浮き輪を抱えた美咲ちゃんが、少し離れたところから歩いてくるのが見えた。
笑顔はいつも通り、明るいはずなのに。
でも、どこか……ほんの少しだけ、無理をしてるように見えて。
「ちー先輩……イルカ、膨らませてきました……です……」
息を少し切らしながら、
それでも笑おうとする姿に、胸の奥がきゅっとなる。
美咲ちゃんの水着は、黄色いフリルのついた可愛いデザイン。
だけど、その上から白いパーカーを羽織って、腰には薄手のスカート。
素肌を見せるのを、どこか避けているみたいだった。
海から少し距離を置いた場所で立ち止まり、
足元の砂を、じっと見つめている。
「……やっぱり、海は苦手で……」
ぽつり、とこぼれた声は、
波の音に溶けてしまいそうなくらい、小さくて。
「もちろん、カナヅチっていうのもあるんですけど……
なんだか……海の奥のほうに、引きずられそうな気がして……」
その言葉に、私はそっと近づいた。
「美咲ちゃん……大丈夫?」
びくっと肩を揺らして、
美咲ちゃんは慌てたように笑顔を作る。
「あっ、すみませんっ、心配かけて……。
わたし、大丈夫、ですっ……。見てるだけで、楽しいから……」
その笑みには、ほんの少しだけ影があって。
でも――
「じゃあ、わたしが代わりに」
ふわっと、ヒカリが間に入った。
白い砂に足跡を残しながら、
美咲ちゃんの隣に、静かに立つ。
「手、握るだけなら……わたしでも、できるから」
その声は、風みたいにやさしくて。
差し出された手を取った瞬間、
美咲ちゃんの口から、小さな声がこぼれた。
「……あったかい、ですね……」
波の音と、陽ざしと、
そのぬくもりに包まれて――
美咲ちゃんの表情が、ほんの少しだけ、ほどけた。
「じゃあ、海には入らずに――浜辺で、一緒に楽しもっ?」
私は笑って、美咲ちゃんの手を包み込む。
「スイカ割りとか、やってみたいな〜って思ってたんだっ♪
ね、ヒカリも一緒にさ?
波の近くだけじゃなくて、ここでも楽しいこと、いっぱいあるよ〜っ!」
その言葉に、
美咲ちゃんは目をぱちぱちさせて――
「……えへへ。ちー先輩、ありがと、ですっ」
小さく、うなずいた。
「……じゃあ、わたしも、お手伝いしますっ。
スイカ割りの棒、準備してきますね!」
ぱたぱたと小走りで離れていく背中を見送っていると、
ヒカリが、そっと隣に立つ。
「……少し、張りつめてた。
でも、今のは……たぶん、違う」
遠くを見るような、その横顔。
「……ありがとう。犬神さん」
「えっ……?」
「あなたの光は、いつも誰かを包んでる。
気づいてないかもしれないけど……ちゃんと、届いてる」
そう言って、ヒカリは静かに歩き出した。
(……そっか。ヒカリも、ちゃんと見ててくれたんだ)
* * *
浜辺の少し端のほうで、
わたしはパーカーを羽織ったまま、スイカ割りの棒を抱えて座っていました。
波の音は、ここまでちゃんと届いてきてる。
でも、海の中には入らない。
それだけで気持ちが、ほんの少しだけ落ち着く気がして。
――それでも。
みんなのほうを見て、
わたしは意を決するみたいに、少しだけ声を張った。
「せんぱ〜いっ! 棒、準備しました〜〜っ!」
声を出したとき、
ちゃんと笑えていたかどうかは、自分でもよく分かりません。
でも、笑わなきゃ、って思って。
そうしないと、みんなに心配をかけてしまいそうで。
そのまま立っているのが少しだけ、つらくなって。
スイカ割りの棒を砂に立てかけて、
わたしはしゃがみこんだ。
指で、砂の上に線を引く。
くるくる、くるくると。
丸い顔。
ぴょこんと立った、ふたつの三角。
にこっとした口元に、ちょんちょんって線を足して――
「……みぃ、ちゃん……」
気づいたら、そんな名前を、口にしていた。
どうしてその名前が出てきたのか、
自分でも、よく分かりません。
でも、その瞬間。
胸の奥を、ひやっとしたものが通り抜けた気がして。
――暗い空。
――ざわざわと荒れる波の音。
――誰もいない浜辺。
はっきりした映像じゃないのに、
なぜか、心だけが覚えているみたいで。
(……やだ……)
思い出そうとしたわけじゃないのに、
息が、少し苦しくなった。
涙が出そうなのに、理由が分からなくて。
“――帰る場所なんてない。
また失うくらいなら、最初から、何もいらない”
そんな言葉が、
どこからともなく、記憶の底に落ちてきた気がして。
「っ……」
そのとき、
ざざん、って大きな波の音がして。
描いていた砂の線は、
風と一緒に、すぐに崩れてしまいました。
さっきまであったはずの顔も、
気づけば、もう、どこにもなくて。
(……ここにいるだけで、ちょっと怖い。
波の音が近づくたび、知らないはずの声がする気がして……)
それでも。
今は、立ち上がって笑っていられる。
それだけでいいのかもしれないと、
自分に言い聞かせた。
でも――
それでも、今日は。
ここに、いようと思ったんです。




