『白と黒の贈り物』43
バスケのシュート練習が終わったころ、時計の針はちょうど12時45分を指していた。
長谷川先輩が汗をタオルでぬぐいながら、
私と隼くんのほうを振り返る。
「さて、そろそろ行くか。玲奈たち、準備進めてるだろうしな」
「は、はいっ!ありがとうございましたっ!」
「うんっ、楽しかったですっ!」
隼くんも、にこっと笑ってボールを片づけたあと、
コートの照明を落とす。
バスケの熱気がまだ名残のように漂うアクティビティ棟をあとにして、私たちは別荘の裏手にある芝生の小道を歩いていった。
外に出た瞬間、風の温度が少しだけ変わる。
木漏れ日の中、セミの声がわずかに響いていて――夏の午後が、まるごと胸に染み込んでくるみたいだった。
すると、海辺へ向かう小道の先で、
見覚えのあるピンク色の髪がひょこっと揺れた。
「ちー先輩〜〜〜っっ!!」
ぱたぱたと駆けてくる影。
揺れるお団子ヘアに、元気いっぱいの声――やっぱり、美咲ちゃんだったっ!
「お、合流か。ちょうどいいな」
長谷川先輩が、タオルを肩にかけたまま笑う。
「長谷川先輩っ、お疲れさまですっ!」
美咲ちゃんはぺこっと頭を下げてから、
ちらっと隣を見て――
「あ、……しゅんくんも一緒だったんだ」
「うん。さっきまでね」
「……そっか」
一瞬だけ、ほっとしたみたいに見えた。
「てっきり、二人で練習してるのかと思ってたから」
「えっ?」
「ち、ちがうよっ!? 変な意味じゃなくてっ!
なんとなく気になっただけだからっ!」
顔を真っ赤にして、ぱたぱたと両手を振る美咲ちゃん。
「まあまあ。小川も元気そうで何よりだな」
長谷川先輩が、くすっと笑った。
「そういえば、ふたりって同じクラスだったよね〜?」
私が首をかしげて尋ねると――
「は、はいっ! 同じクラスの新居田 隼ですっ!
小川とは、よく一緒に話してます」
先に答えたのは、隼くん。
その瞬間――
「ちょ、ちょっと待ってっ!?!
“よく一緒に”って、そういう意味じゃないからっ!!」
美咲ちゃんが、真っ赤になってぱたぱたと両手を振る。
私は思わず、首をかしげた。
「え、そうなの?」
「そ、そうなのっ!
たまたま一緒になるだけで、べつに仲良しとかじゃ……っ!」
ちらっと、私のほうを気にするみたいに視線が飛んでくる。
……あ。
そっか、誤解されたくなくて焦ってるんだ。
バスケの余韻でぽかぽかしてたはずなのに、
今度は美咲ちゃんのリアクションに、思わず顔がゆるんじゃう。
(ほんとにもう……美咲ちゃんってば、かわいすぎ〜〜っ!)
嬉しそうに笑ったり、真っ赤になって慌てたり。
見てるだけで、こっちまで楽しくなっちゃうんだもんっ!
「いいなぁ〜〜、わたしもバスケ見たかったです〜っ。
……で? ちー先輩、ちゃんとシュート決めたんですかっ?」
キラキラした目で問いかけられて、
私は思わず胸を張る。
「あ、うんっ。……ばっちり、ゴールしたよっ!」
「さすがっ、ちー先輩っ!
わたしも見たかった〜〜〜っ!!」
――と、そのとき。
少し遅れて、足音がこちらに近づいてきた。
「おかえりなさい、先輩」
声のしたほうを見ると、
そこには柚葉ちゃんが立っていた。
少し息を整えながら、にこっと微笑む。
「ちょうど今、火起こしが終わったところなんです。
浜辺のバーベキュー棟、風通しもよくて気持ちいいですよ」
「わぁ〜、楽しみっ!」
思わず、ぴょんっと一歩前に跳ねる。
うん、なんだかお腹もぐぅ〜って鳴りそうっ!
「じゃあ、俺たちは先にシャワー浴びてくるわ。すぐ合流する」
長谷川先輩がそう言って、タオルをくるっと首に巻いた。
隼くんも軽く手をあげる。
「俺も着替え持ってきたんで、一緒に行きます!
お肉、残しておいてくださいね〜〜っ!」
ふたりは別荘の方へと引き返していく。
私たちはそのまま、浜辺の方へと歩き出す。
風の匂いは少しだけしょっぱくて、
焼けた砂の気配が、すぐそこまで来ている。
浜辺のバーベキューエリアは、ウッドデッキ付きの屋根のあるオープンスペース。
すでに煙がふわっと立ちのぼっていて、お肉のいい匂いが鼻をくすぐった。
(いよいよ、お楽しみタイムだっ!!)
――こうして、夏合宿二日目の午後は、
みんなでわいわい賑やかな時間へと流れ込んでいくのでしたっ!
***
浜辺のバーベキュー会場には、カラフルなパラソルが海風に揺れ、屋根付きのウッドデッキにはクーラーボックスや紙皿がずらりと並ぶ。
ジュウジュウと音を立てて焼ける肉や野菜。
その香ばしい匂いに誘われて、気づけば周りは生徒たちで賑やかになっていた。
「や、やばっ……ちょっと焦げてるかも……っ!」
うちわを片手に、亜沙美があたふたしてるっ。
「河田さん、火は少し弱めでよろしいですわ」
玲奈先輩が、落ち着いた声でトングを差し出した。
「火は逃げませんもの。慌てなくて大丈夫ですのよ」
隆之は黙々と火加減を見ながら、皿に焼けた野菜を並べていく。その横ではヒカリが、それを見てふっと微笑んでいた。
天音ちゃんと亜沙美は、焼きあがったお肉を小皿に取り分けながら、男子たちに「はい、食べ過ぎ注意やで〜」なんて声をかけていて。
愛衣ちゃんは氷入りのピッチャーを運びながら、みんなの輪を見守るように、ふんわり笑っていた。
――夏の風が吹き抜けるたび、笑い声が遠くまで届いていく。
「うんっ、これめっちゃ美味しい〜〜っ!!」
私の声に、ヒカリがくすっと笑いながら、
焼きとうもろこしをかじった。
「……これは、思っていたよりずっと……いいかも」
「えっ、ヒカリって、バーベキュー初めてなのっ!?」
「うん。だから……もっと食べてみたいなって。
次、その焼きそば、少しだけ……いい?」
――ヒカリの表情が、さっきよりずっと柔らかくて。
こういう時間を、きっと彼女も待ってたんだって……
そう思うと、じんわり嬉しくなっちゃう。
そんな中、隣にいた美咲ちゃんが、そっと串を置いた。
「あれ? 美咲ちゃん……今日は少食?」
そう声をかけると、
美咲ちゃんは小さく首をふって笑った。
「ううん……お腹は空いてるはずなんですけど……」
そう言いながら、手元の皿のトウモロコシにも、まだ手をつけていない。
なんとなく視線が泳いでいて――まるで、どこか遠くのことを考えてるみたいだった。
「ちょっと……ぼーっとしてただけですっ」
美咲ちゃんは、慌てて笑顔を取り繕ったけど、
その声には、ほんの少しだけ元気の色が足りなかった。
(……美咲ちゃん……?)
そんな空気を感じ取ったみたいに、
天音ちゃんがふわっと間に入ってきてくれる。
「うち、ナスの焼き加減だけは、こだわってみたで〜。ほら、ちょっと焦げ目ついたこのくらいが最高なんや♪」
その横で、柚葉ちゃんがひょこっと顔を出して元気よく声をかけてくれる。
「せんぱい、炭の追加、こっちに持ってきました〜っ!」
「ありがとー!助かったっ!」
亜沙美も笑顔で皿を差し出してくれて、
みんなが自然と動いて、にぎやかなチームワークになってるのが、なんだか嬉しいっ。
少し遅れて――
着替えを終えた隼くんも合流して、
うちわ片手にグリルの前へ戻ってきた。
柚葉ちゃんは慣れた手つきで皿を並べたり、
お箸の予備を配ってくれたり。
隆之が火加減を見ながら、焼けた野菜を皿に移していく。
その様子を見ているだけで、
なんだか自然と気持ちがほどけていく。
「なんか、いいよねっ。こういうのっ!」
すると、美咲ちゃんがふと、ぽつりとつぶやいた。
「……ちー先輩」
「ん?」
「帰りたくないなぁ……。
このまま時が止まったら、いいのに」
その声は小さくて、
ただの独り言みたいだったのに――
胸の奥に、すっと残った。
「美咲ちゃん……」
すぐ隣で、天音ちゃんがやわらかく笑う。
「……せやなぁ。
でも、明日が来るから、今日が大事なんやと思うんよ」
「……天音先輩……」
「せやから、いっぱい焼いて、いっぱい食べて、
今を楽しもっ♪」
その言葉に、美咲ちゃんも小さくうなずいた。
(……天音ちゃん、すごいな。
ああいう言葉が、自然に出てくるんだ)
気づけば、空は少し西に傾いて、
砂浜の影が、ゆっくり伸びていた。
そこへ――
「おーい、焼きそばこっち頼む!」
「飲み物、氷足りる〜?」
にぎやかな声が飛び交って、
先生たちも少し離れたところから見守っている。
その流れの中で、
私の視線が、ふと海辺の方へ向いた。
少し離れたところから、
長谷川先輩と――玲奈先輩が歩いてくるのが見えた。
並んで歩く距離は、ごく自然で。
昔からそうしてきたみたいな、落ち着いた空気。
(……幼なじみ、だっけ)
思い出すだけの言葉なのに、
なぜか一拍、視線を戻すのが遅れた。
……変だな。
特別な感情じゃない。
でも、見逃しきれない“違和感”みたいなものが、
胸の奥に、ほんの少しだけ残る。
私は何でもないふりをして、
手元のお肉に意識を戻した。
(……今は、バーベキューの時間だし)
海風に混じる煙の匂いが――
その考えを、そっと流してくれた。




