『白と黒の贈り物』42
「じゃあ、ここでいったん休憩入れまーす!」
先生の声に、コートにいた部員たちがいっせいに動きを止めた。
私もラケットを軽く振ってから、思わず足取りが軽くなる。
「は〜〜〜〜〜っ、汗かいた〜〜っ!」
美咲ちゃんは顔を赤くして、タオルでふきふきしながら、真っ先にスポドリのところへ直行っ。
「氷入ってる……! 生き返るですっ……!」
キラキラした目でごくごく飲む姿に、思わず笑っちゃった。
「はい、ヒカリもどーぞっ。冷えてるやつ〜!」
私はクーラーボックスからもう1本取り出して、
ヒカリに手渡す。
「……ありがとう」
ヒカリは、少しだけ息を弾ませながらも、落ち着いた口調のままボトルを受け取ってくれる。
その表情がいつもより、ほんのすこしだけやわらかくて――まるで、夏の光をそのまま閉じ込めたみたいな笑顔だった。
「ふふ……楽しい、ね」
たった一言だったけど、
その“楽しい”が、ヒカリの胸の奥からちゃんと響いてるってわかった。
(あ……いまの、笑顔……すっごく……)
うまく言葉にできないけど、
胸の奥が、キュッてあったかくなる。
そんな私たちのそばに、玲奈先輩と杉本先生が歩いてきた。
「お疲れさまですわ。なかなか、いい動きでしたわね」
玲奈先輩がにっこり微笑んで、ヒカリに向き直る。
「……いえ。まだまだです。課題も見つかりました」
ヒカリがまっすぐそう答えると、杉本先生がうんうんとうなずいて――
「でも、あなたのプレイ……やっぱり、特別よ」
「特別……ですか?」
「ええ。“感覚”だけで動いてるように見えるの。
無駄のないフォーム、鋭い読み、そしてボールの“音”。」
先生の目が、やさしく光っていた。
「普通の高校生じゃ、絶対にたどり着けない領域。あなたの中に眠っている“経験”が、動きの中に滲んでるのよ。まるで……」
「まるで、プロの選手みたいに――って、ことですわね?」
玲奈先輩が言葉を継いだとき、
私の心が、びくんと跳ねた。
「……っ!」
(……ヒカリの過去って、一体……)
夢の中で見たあの光景と、どこか重なりそうで――
それ以上、考える前に私は小さく首を振った。
「……身体が、覚えているのかもしれませんね」
ヒカリがぽつりとそう言って、そっと目を伏せた。
その横顔は、ほんの少しだけさみしそうに見えて――
私は、ぐっとラケットのグリップを握りしめた。
(過去がどうであっても――わたしは、いまのヒカリを信じたい。ちゃんと、見ていたいから)
先生たちはそれ以上何も言わず、ただヒカリを静かに見守っていた。
やがて玲奈先輩が、軽く手を打って場の空気を切り替える。
「さて、そろそろ再開しましょうか。
まだ時間、たっぷりありますものね」
「はいっ!」
「よろしくお願いしますっ!」
元気よく立ち上がった美咲と、静かに頷いたヒカリが並んでコートへ向かう。
私も後ろからその背中を見つめながら、
ふっと息を整えた。
(……うん。がんばろっ!)
***
「ふふっ……いけますよっ、天野先輩っ!」
休憩が終わって、再びコートに戻った私たちは、
午前のラストメニュー――2人1組のペアラリーに入っていた。
美咲ちゃんとヒカリのペアは、見た目こそ息が合ってるように見えるけど……どこか、動きに“ぎこちなさ”があった。
「あっ……っ、ご、ごめんなさいっ!」
ボールを少し遅れて打ち返した美咲ちゃんが、申し訳なさそうに頭を下げると、ヒカリはすぐに首を横に振って、優しい声を返した。
「大丈夫。気にしなくていいよ。次いこう」
「は、はいっ……!」
(……あれっ?今日の美咲ちゃん、ちょっとミスが多いかも?)
疲れてる……って感じじゃない。
それでも、なんだかリズムが合ってないような――
そんな違和感が、胸の奥に小さくひっかかった。
「ナイスショット、小川さん」
そんな中でも、ヒカリが優しく声をかけると、
美咲ちゃんは、ぱっと顔を上げて恥ずかしそうに笑った。
「わ、わたしっ、今、天野先輩に“ナイス”って言われちゃいましたっっ!!」
――ばっちり聞こえてる独り言で、コートの空気がふわっと和んだ。
「落ち着いて〜〜っ、次くるよ〜〜っ!」
私は笑いながら、向かいのペアに構える。
ラリーが続くたびに、ボールの音と一緒に、
笑い声や「ナイス!」「ドンマイ!」の掛け声が響いてくる。
(うんうんっ、やっぱり部活って、こうじゃなきゃだよね〜〜っ!)
ふと見れば、玲奈先輩も腕を組みながら、満足そうな顔をしてて、杉本先生は日誌を手に、にこにこしながら私たちの動きを見守ってた。
――そしてそのとき。
「えいっ……!」
また、美咲ちゃんのボールが、少し浅めに跳ねた。
「……任せて」
ヒカリがすっと前に出て、軽くリストを返してボールをネット際に落とす。
その一連の動きが、あまりにも滑らかで無駄がなくて――
なにより、そのあとヒカリがふっと見せた笑顔が、
あたたかかった。
(ヒカリ……楽しそうっ)
思わず口元がゆるんじゃった。
この空気、この時間が、ずっと続いてほしいなって――
そんな風に、思ってしまったくらいに。
「はい、そこまでですわ。
とても良いラリーでした。皆さん、お疲れさま」
玲奈先輩の一声でペアラリーが終わると、
あちこちから「つかれた〜〜」「もうちょっとやりたかった〜」って声が上がって、コートの中は笑顔でいっぱいになった。
***
屋内テニスコートでの練習が終わったのは、ちょうどお昼の12時すぎ。
「お疲れさまでした。
皆さん、とても良い集中でしたわ」
玲奈先輩の声に、部員たちの明るい返事が返る。
ヒカリも美咲も、額にうっすら汗をにじませながら、楽しそうにラケットを下ろしていた。
「このあとは13時から、浜辺でバーベキューと海水浴ですわ。
準備は私に任せてくださいませ。
皆さんは、しっかり身体を休めておいてくださいね」
さらりと全体をまとめる玲奈先輩の言葉に、
私は軽く手を挙げた。
「わたし、ちょっとだけ――長谷川先輩と約束してたんだよね。あとで合流するねっ!」
その言葉に、ぴくりと反応する気配。
案の定、ピンクのポニーテールが、ぱたぱたとこっちへ走ってきた。
「……えっ!? ちー先輩、今、“長谷川先輩と”って言いましたっ!? バスケ!?それってバスケですよね!?!?」
ラケットを小脇に抱えたまま、美咲ちゃんが、まんまるの目をさらに大きくさせてきらきら。
「えへへ……ちょっとだけね。昨日、バスケ教えてくれる約束してたんだ〜」
「わ、わたしも行きますっ!! 行かないと、行かないと、ちー先輩が何されちゃうか分かりませんっ!!」
「えええ〜〜〜〜っ!?!?」
「だって、あの長谷川先輩と二人っきりとか、やばすぎますっ! わたしも、ぜったい行きたい〜〜〜っ!!」
「ちょ、ちょっと待って〜〜〜〜っ、美咲ちゃんっ!!」
――そのとき。
ヒカリがすっと腕を伸ばし、美咲ちゃんのフードをつまんだ。
「……ダメよ、小川さん。
それは、犬神さんの時間だから」
ヒカリがすっと立ちふさがって、小さく微笑みながら牽制球を投げる。
「ふぎゃっ!? あ、天野先輩ぃ〜〜〜〜っ!!」
「しっかりして。あとで、犬神さんに全部聞けばいい」
「う、うぅ〜〜〜〜〜っ!!バスケレポート、ちゃんとくださいね〜〜〜〜〜っ!!」
タオルを引っ張られながら、バタバタと引き戻されていく美咲ちゃん。
その後ろ姿を見送って、胸の奥がふっとほどけた。
*
汗を流しに、シャワールームへと向かった。
全身じんわり汗ばんでて、いい運動した〜〜って感じっ!
屋内コートの隣にあるシャワールームで、汗を軽く流して着替えて――私は、別荘の奥にある「アクティビティ棟」へ向かった。
それにしても玲奈先輩の別荘って、ほんとに広すぎっ。
まるで秘密基地みたいな木造の建物が、ひっそりと佇んでいて、その中には、なんと――バスケコートまであるなんて!
シャワーを終えたばかりの髪を、タオルでぽんぽんと押さえて落ち着かせながら、私はそっと入口のドアノブに手をかける。
(どんな場所なんだろう……)
小さな緊張とワクワクを胸に、扉を開けた――。
「……わっ、ひろ〜〜いっ!!」
まるで時間が止まったみたいな、しんと静かなバスケコート。
天井が高くて、木の香りがして、足元の床がピカピカで――ここだけ、ぜんぜん別世界みたいだったっ。
中にいたのは、ふたり。
「お、来たな、犬神」
長谷川先輩が、ボールを脇に抱えて振り向いた。
そのすぐそばにいたのは、新居田隼くん。
でも、さっき朝ごはんのときより、なんだかちょっと表情がキリッとしてる。
「どうした?迷ったか?」
「ううんっ!ちゃんと来れたよ〜っ!」
私が笑って答えると、
先輩は目を細めて、やさしく笑い返してくれた。
「ちょうどさっきまで、ちょこっとだけシュート練習してたんだ」
長谷川先輩が、バスケットボールをくるくると片手で回しながら言った。
「隼も、なかなかいい動きしてたぞ」
「へ、へへっ……まだまだです」
ちょっと照れくさそうに頭をかいた隼くんは、やっぱりちょっぴり憧れの目で先輩を見上げてる。
うん、なんか分かるかも。ああいうの、きっと男子にも“かっこいい!”って思わせちゃうんだろうなぁ。
「犬神。せっかくだし――やってみるか?バスケ」
「……えっ、えええ!? わ、わたしが……ですかっ?」
突然の提案に、思わず声が裏返りそうになる。
けど、次の瞬間――ふっと笑った長谷川先輩の顔が、やけにまぶしくて。
「そう。教えてやるよ」
その笑顔に、胸の奥がじんわりあったかくなっていくのを感じた。
(……あ、そっか。昨日の夜も――)
そう、わたしは思い出してた。
ゲームルームで、ミニバスケのアーケードに挑戦したとき。そのときも、先輩がすぐ後ろから優しく教えてくれたっけ。
でも――
「……あのときと、ゴールの高さがぜんぜん違いますし……空気も、すごく本格的で……」
わたしは苦笑しながら、手を胸の前で軽く組んだ。
「ちょ、ちょっとだけ……お願いできますかっ? あまり上手くは……ないと思うので……」
「ははっ、大丈夫だって。安心しろ」
先輩がくすっと笑って、私の手にボールをそっと乗せる。
「よし、まずは構えてみようか」
その言葉にうなずいて、両手でボールを受け取ると――
ずっしりとした感覚が、指先からじんわり伝わってきた。
昨夜のミニゲームとは違って、ちゃんとしたボールは思ったより重くて、ちょっとだけ手のひらがしびれる気がする。
「それで、シュートのときは――こう、構えてみて。肘を引いて、膝でバネ作って、あとは……」
背後からすっと伸びてくる、先輩の腕。
……えっ、まって……ち、近い……っ。
「ほら、怖がらずに。俺が支えてるから」
低くて優しい声が、すぐ耳元で聞こえて――
「は、はいぃ〜〜〜っ!!!」
思わず息を飲んで、手のひらがじんわり熱くなった。
(……なにこれ。落ち着け、わたしっ!)
長谷川先輩の手が、私の肘をやさしく支えてくれてて……その手の温度が、じんわり伝わってくる。
(わ……こんな距離で教わるなんて……っ)
顔が、勝手にあっつくなるっ。
さっきまで冷房で涼しかったはずなのに、
顔だけ、ぽかぽかしてきて――
「そうそう、その角度でいい。あとは、ゴールを狙って、力を抜いて――」
「う、うぅ……いきますっ!」
えいやっ!ってボールを押し出した。
……けど。
ぽんっ。
「ぅわっ!? わ、わたしのボール、めちゃくちゃ天井寄り……っ!?」
「ははっ、ちょっと力入りすぎたな。でも初めてにしては悪くない」
「わ、悪くないですかっ!?」
「うん。形はできてる。な?」
先輩が隣の隼くんに目線を送ると、
彼はうなずきながら、にこっと笑ってくれた。
「はいっ。ていうか、犬神先輩、フォームすごく綺麗でしたよ!」
「えっ、う、うそ〜っ!? ほんとにっ!?」
「ほんとですっ。……あ、あの、もしよければ、僕も、リバウンドとか手伝います!」
そう言って、隼くんがボールを拾いに走ってくれる。
(……うう、なんか……やさしさのラリーになってるっ!?)
それでも、なんだろう。
ふたりとも、私が失敗してもぜんぜん笑わないし、
むしろ「楽しい」って気持ちが、じんわり広がってくる感じがする。
「よし、次はもうちょっとだけ力抜いてみろ。たぶんそれで――」
「……はいっ!やってみますっ!」
さっきより少しだけ、肩の力を抜いて――
私は、もう一度バスケットボールを胸の前でそっと構えた。
手のひらに伝わる、ざらりとしたボールの感触。
汗ばんだ指先が、それをしっかりととらえる。
深呼吸を一つ。鼻から吸って、ゆっくり吐いて。
(落ち着いて……焦らずに……)
少しだけ膝を曲げ、肩幅に足を開く。
視線はまっすぐ、ゴールへ。
遠い。……けど、いける。
肘を引いて、脇をしめて、ボールを押し出すように――
「……えいっ!」
小さな掛け声とともに、腕をぐっと伸ばした。
手から離れたボールは、ふわりと宙に舞い上がる。
目で追いながら、思わず両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
シュッ――という音が空気を裂いて、ボールはまるで吸い寄せられるように、綺麗な弧を描いて――
(……届いてっ!)
一瞬の静寂。
心臓の音だけが、耳の奥に響いてる。
――パスンッ!
リングをすり抜けたボールが、やわらかくネットを揺らした。
「……入ったっ!?!?」
信じられなくて、その場でぽかんと立ち尽くす。
自分の手から放たれたボールが、ちゃんとゴールに届いた。
その事実が、じわじわ、じわじわと――
胸の奥からあふれ出してくる。
(……ほんとに、入った……!)
嬉しさが波みたいに押し寄せてきて、
気づけば、身体がひとりでに動いてた。
「……やったぁぁ〜〜〜〜っっ!!」
コートのど真ん中で、全力ジャンプ!
私の声が、バスケコートいっぱいに広がった。
「おおっ、やるじゃん犬神!」
「すごいっすね先輩! 一発で決めるなんて……!」
隼くんの拍手と、長谷川先輩の楽しそうな笑いが重なる。
私はそのまま、嬉しさの余韻で跳ねるようにステップ踏みながら――ふと、視線を向けた先で気づいた。
そこにあったのは、長谷川先輩の――優しい笑顔。
「ナイスシュート」
……ただ、それだけの一言だった。
でも、不思議とその声が、すごくあったかくて。
その瞳が、やけにまっすぐで――
(……なに、これ……)
バスケが楽しくて嬉しくて、
きっと、それだけのはずなのに。
なのに――胸の奥が、きゅんってなる。
(……混線、してる……?)
気持ちのチャンネルが、ほんの少しズレた気がした。
……私はいま、何にドキドキしてるんだろう。




