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『犬神物語』 〜転生少女と不思議な絆〜  作者: 犬神 匠
第八話 渡島編 後編

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『白と黒の贈り物』54

靄の切れ間――そこで、空気が変わった。


住宅街の路地を抜けた瞬間、視界を覆う巨大な影が立ち上がる。濡れた鱗が鈍く光を弾き、青黒い胴がとぐろを巻いていた。頭をもたげたその姿は、まるで海神の化身。


「……青龍……っ!」


私の喉が、ひとりでに鳴る。


その瞳が、蒼く冷たくこちらを射抜いたかと思うと、次の瞬間、尾が地面を薙ぎ払った。舗装が砕け、衝撃が足元を叩きつける。


「くっ……!」


地を蹴り、ヒカリと同時に左右へ跳ぶ。間髪入れず、槍のように尖った爪と、水柱の連撃が襲いかかる。かすめた風圧だけで頬が裂けるように痛んだ。


「犬神さん、右へ!」


白い軌跡を残してヒカリが駆け抜ける。その動きに呼応するように、私は低く潜り込み、青龍の懐へ飛び込んだ。牙を剥き、全身の力を込めて噛みつく。


硬い鱗の奥に、確かな手応え。


だが――


青龍の体表を覆う瘴気が、傷口を飲み込むように蠢き、瞬く間にその身を修復していく。


(……回復してる……!?)


咆哮が轟き、巨体が大きくのけぞると同時に、尾がしなり、大地を薙ぎ払うように横薙ぎに迫る。


「下がって!」


ヒカリの声に、私は身を伏せる。尾が通り過ぎた瞬間、背後の地面が深くえぐれた。


互いの動きは、言葉を交わさなくても自然に噛み合う。踏み込み、退き、すれ違う――まるで何度も繰り返してきたかのように。


(ヒカリ……そうだ、わたしたちは――)


試練の中で、何度も。

息も、気持ちも、重ねてきた。


(だから……いけるっ!)


再び地を蹴る。


だが――


何度牙を突き立てても、何度爪で斬り裂いても、青龍は倒れない。瘴気をまとい、傷を癒やしながら、その殺気だけを膨れ上がらせていく。


(……しぶとい……っ!)


そのとき――


《――退け。今はそのときではない》


意識の奥に、重く静かな声が響いた。


(……シロ!?)


《奴は“四神”の一柱。島に満ちる瘴気を糧としている。今は倒すべき時ではない――目的は、祠への到達だ》


歯を食いしばる。


(……でも……!)


その隣で、ヒカリがぴたりと並ぶ。


「無駄に倒れるつもりはないわ。目的を忘れないで、犬神さん」


その一言で、はっと息が止まった。


――そうだ。


私たちの目的は、戦うことじゃない。

夢幻封界を解き、“魂を喰らうもの”を止めること。


(……行くっ!)


踵を返し、地を蹴る。


そのとき――

空を震わせるような、重低音が響いた。


どこか遠くで、地面そのものが打ち砕かれたような衝撃。空気がびりっと震え、遅れて、低く重い余波が背中を撫でていく。


「いまの……!」


思わず振り返る。


靄の向こう――視界の果てで、かすかに光が弾けた気がした。


隣を走るヒカリが、ちらりと横目を向ける。

その口元が、ほんの一瞬だけ――やわらいだ。


「……大丈夫。気にしないで。進みましょう」


その声音は、静かに落ち着いているのに――まるで“何か”を知っているような確信を帯びていた。


(ヒカリ……?)


問い返すよりも早く、彼女は前を見据えたまま、速度を緩めない。


――背後で、もう一度。


低く、重い衝突音が響いた。


靄の中を駆け抜ける。逃がさないと言わんばかりに、上空を裂くような影が横切った。


「――上!」


見上げた空を、朱く燃える影が覆う。


(朱雀……!?)


羽ばたくたびに熱風が押し寄せ、肺が焼けるように熱い。


「左から抜ける! 今は戦わない!」


「うんっ!」


炎の渦をかすめるようにすり抜け、横道へ飛び込む。その視界の端に、白い影が閃いた。


次の瞬間、鋭い爪が地面を裂く。


(……白虎……!)


一歩遅れていれば、確実に仕留められていた。


「突破するわ」


ヒカリの声は、揺るがない。


(戦うのは、今じゃない――)


全身の感覚を研ぎ澄まし、ただ前へ。


焼ける風と、裂く殺気を背に受けながら、私たちは森の奥へと駆け抜けた。


やがて辿り着いたのは――結びの祠。


だが、その空間は、かつて知っているそれとはまるで違っていた。


(……ここ……本当に同じ場所……?)


空気が、軋んでいる。

足元から這い上がる冷気と、見えない圧力が、胸の奥を締めつけてくる。


ヒカリが、扉の前で静かに足を止めると、

その白い体の輪郭が、かすかに光を帯びていく。


「……この身に応え、開きなさい」


次の瞬間――


触れてもいないはずの扉が、微かに震えた。

淡い光が、隙間から滲み出す。

内側から押し返されるように、ゆっくりと軋みながら、扉が開いていく。


その先に広がっていたのは――

ぽっかりと穿たれた、巨大な“穴”だった。


真円の闇は底を持たず、ただ、世界の裏側へと繋がっているかのように深く、重く、黒い。

視線を向けるだけで、引き摺り込まれそうになる。


「……あれが……封印口……?」


声が、わずかに震えた。

ヒカリは黙って頷き、じっとその奥を見つめている。


(……行かなきゃ……でも……)


足が、止まりかける。

本能が告げている――ここは“危険”だと。


それでも。


「……わたし、行くよ。ヒカリ」


「……分かってる。無理はしないで。けれど、覚悟はして」


「うんっ」


前足に力を込め、地面を強く踏みしめる。


(――これは、わたしたちの戦いだ)


一歩。


また一歩。


私たちは、底知れぬ闇へと続くその縁へ、

静かに歩みを進めていった。


――その瞬間、足元の世界が音もなく崩れた。

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