ご報告
お世話になった人たちへ報告します。
3月22日、月曜日。午前10時。ウォルター・ミラーは、店のカウンターに置かれた新聞を叩いた。
「だからあんな男に旧製紙工場を任せるべきじゃなかったんだ!」
妻のマーサは焼きたてのブルーベリーパイを切り分けながら答えた。
「死んだ人の悪口を言うのはおよしなさい」
「悪口じゃない。事実だ」
「あなたの意見でしょう」
「俺の意見は大抵、事実だ」
「結婚して43年になるけど、それは初耳ね……」
ウォルターは口をへの字に曲げた。カウンターの向こうでは、エリンが笑いをこらえていた。
「お2人とも、相変わらずですね」
「この人が朝から騒がしいのよ」
マーサは皿にパイを載せ、エリンの前へ置いた。
「ほら。あなたの好きなところ、端っこの少し焦げた部分」
「覚えていてくれたんですか?」
「当たり前でしょう。あなたがうちに住んでいた頃、何枚焼いたと思ってるの」
エリンはフォークを取った。
「ありがとうございます」
「それで……ノアは元気?」
「はい。今日は仕事です」
「あなたは?」
「午前中はお休みで、午後から勤務なんです」
マーサは頷き、彼女の顔をじっと見た。
「少し痩せた?」
「そうですか?」
「ちゃんと食べてるの?」
「食べてますよ。朝は少し気持ち悪い日もありますけど」
マーサの手が止まった。
「気持ち悪い?」
ウォルターが新聞から顔を上げる。
「風邪か?」
「違います」
「まさか重い病気じゃないだろうな?」
エリンは2人を交互に見た。妊娠については、まだ限られた人にしか話していなかった。もちろんマーサとウォルターには、いずれ伝えたいと思っていた。彼女がこの町に来てから、何かと世話を焼いてくれた2人だ。ここに来たばかりの頃、身寄りのない土地で不安を抱えていたエリンに、最初に居場所を与えてくれた人たちでもある。
エリンはフォークを置いた。
「実は……お話ししたいことがあるんです」
マーサが皿を置いた。ウォルターは新聞を畳んだ。2人とも真面目な顔になった。エリンは思わず笑った。
「そんなに構えないでください」
「だったら早く言いなさい」
マーサが促した。エリンは深く息を吸った。
「私、赤ちゃんができたんです!」
数秒間、沈黙があった。最初に口を開いたのはウォルターだった。
「赤ん坊?」
「はい」
「ノアとの?」
マーサが夫の腕を叩いた。
「当たり前でしょう! ほかに誰がいるっていうのよ」
「いや……確認しただけだ!」
エリンは声を上げて笑った。マーサはカウンターを回り込み、エリンを抱きしめた。
「ああ、エリン!」
その声が震えていた。
「おめでとう。本当におめでとう」
エリンはマーサの背中に腕を回した。
「ありがとうございます」
「よかったねえ……」
マーサは彼女を離し、顔を覗き込んだ。
「体は大丈夫? つわりはひどくない?」
「今のところ日によって違いますけど、仕事もできています」
「そう。無理しちゃだめよ」
ウォルターは椅子から立ち上がった。そして咳払いをした。
「ノアは何と言ってる?」
「すごく喜んでくれてます」
「そうか……」
ウォルターはエリンに向き直った。
「ノアに伝えておけ。何か困ったことがあったら、遠慮せずに言えとな」
「はい」
「家具を運ぶとか、棚を組み立てるとか、そういうことなら俺が手伝う」
エリンは笑った。
「ありがとうございます。でもノアがもう棚を動かしちゃったんです」
「何?」
「ベビーベッドを置くために」
ウォルターは目を丸くした。
「もうか?」
マーサが吹き出した。
「まあ!」
「まだ3月だろう?」
「そうなんです」
エリンは笑った。
「待ちきれないんですって」
マーサは両手を胸の前で合わせた。
「あのノアがねえ……」
ウォルターは腕を組んだ。
「嬉しいことじゃないか」
「もちろんよ」
マーサは頷いた。エリンは2人の顔を見た。胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
午後3時。ノアはサミュエル・プライスの自宅を訪れていた。退院前の環境確認だった。同行したのは、作業療法士の女性とルーク、そしてプライスの妻である。
家は町の北側にある古い住宅街の一角に建っていた。玄関には3段の階段があり、裏庭へ続く勝手口にも2段の段差がある。
ノアはプライスの歩行状態を確認しながら、室内を見て回った。
「ここは夜中にトイレへ行くときに通りますか?」
「ええ」
妻が答えた。
「主人は夜中に何度か起きるんです」
ノアは廊下の照明を見た。
「足元を照らせるようにしたほうがよさそうですね……」
「やっぱり手すりも必要でしょうか」
「場所によっては有効だと思います。ただしプライスさんご本人が使いやすい位置を確認したいですね」
妻は頷いた。そのとき裏庭からプライスの声がした。
「ベネット! こっちへ来い」
ノアは振り返った。勝手口の向こうで、プライスが庭を指さしていた。
「見ろ。あれが餌台だ」
庭の隅に古い木製の餌台が立っていた。屋根の一部が外れ、片側に傾いている。
「なるほど……
ノアは頷いた。
「思っていたより大きいですね」
「俺が作ったんだ。25年前にな」
プライスは誇らしげに言った。
「毎年、少しずつ直して使ってきた」
「大切なものなんですね」
「まあな」
プライスは、しばらく餌台を見つめていた。
「去年の秋までは、毎朝ここに来てた」
ノアは黙って聞いていた。
「鳥なんか、どれも同じに見えるだろう?」
「僕にはあまり区別がつきません」
「だろうな。でもよく見ると違うんだ。いつも同じ枝に止まるやつもいるし、餌を独り占めしようとするやつもいる」
プライスは笑った。
「俺が来ると決まって寄ってくるやつもいた」
彼は右手を見下ろした。
「あいつら、まだ来てるのかな……」
ノアは庭を見た。餌台の屋根には古い落ち葉が積もっていた。
「きっと、また来ますよ」
プライスは彼を見た。
「そう思うか?」
「はい。修理が終わって餌を置けば」
プライスはしばらく黙っていた。そして頷いた。
「そうだな」
ノアは勝手口の段差を確認した。
「まずはここを安全に出入りできるようにしましょう」
プライスは苦笑した。
「結局、そこに戻るのか?」
「はい」
「まったくお前は融通が利かん」
「よく言われます」
プライスは笑った。
午後6時半。ノアが帰宅すると、エリンは居間で何かを整理していた。床には小さな箱がいくつも並んでいる。
「ただいま」
「おかえり」
エリンは顔を上げた。
「ちょうどよかった。見て」
ノアは靴を脱ぎ、居間へ入った。箱の中には小さな靴下や帽子、柔らかな布が入っていた。
「これは?」
「マーサさんから」
ノアは目を丸くした。
「マーサさん?」
「今日、赤ちゃんのことを話したの」
「そうだったんだ」
「すごく喜んでくれた。ウォルターさんも」
ノアは笑った。
「それはよかった」
エリンは小さな靴下を持ち上げた。
「これ……マーサさんが昔編んだものなんですって」
淡い黄色の毛糸で編まれた靴下だった。片方のかかとが、少しだけ不格好に膨らんでいる。
「かわいいね」
「でしょう?」
エリンは笑った。
「でも、まだ早いから、しばらくしまっておこうと思って」
「そうだね」
ノアは靴下を手に取った。手のひらに、すっぽり収まった。あまりの小ささに思わず息を呑んだ。
「こんなに小さいんだ……」
エリンは頷いた。
「生まれたばかりの赤ちゃんの足って本当に小さいから」
ノアは靴下を見つめた。そして、そっと箱に戻した。エリンはその様子を見て笑った。
「また、待ちきれなくなってる?」
ノアは苦笑した。
「少し……」
「もう」
エリンは笑いながら彼の腕に触れた。
「でも、嬉しい」
ノアは彼女を見た。
「何が?」
「あなたが、そんなふうに楽しみにしてくれること」
ノアが微笑んだ。
「僕も……嬉しいよ」
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