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神様は見ている  作者: ももらら
幸せになる資格

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名前のない家族

だんだん実感がわいてくる2人です。

 3月1日、月曜日。朝の申し送りが終わった後、エリンはスーザン・ハリスに声をかけた。

「少しお時間をいただけますか?」

 スーザンは書類を閉じた。

「もちろん。どうしたの?」

 2人は空いている面談室に入った。エリンは椅子に座り、深く息を吸った。

「実は妊娠がわかりました」

 スーザンは一瞬、目を見開いた。そして穏やかに笑った。

「そう。おめでとう、エリン」

「ありがとうございます」

「体調は?」

「つわりらしい症状があります。まだ妊娠初期で、来週も受診する予定です」

 スーザンは頷いた。

「わかった。勤務については、体調と医師の指示を踏まえて調整しましょう」

「はい」

 エリンは少し迷ってから続けた。

「それと新人研修のことなんですが……」

 スーザンは彼女を見た。

「続けたいのね?」

 エリンは驚いた。

「わかりますか?」

「顔に書いてあるわ」

 スーザンは笑った。

「あなたが研修に熱心なのは知ってる。だから、妊娠したからといって、すぐに担当を外すつもりはないわ」

 エリンはほっとした。

「ありがとうございます」

「ただし無理は禁物! 体調が悪い日は、ほかの人に任せること。仕事を続けるためにも、それは大切よ」

「はい」

 スーザンは書類を1枚取り出した。

「勤務の調整は、まずここから考えましょう。あなたの希望も聞かせて」

 エリンは頷いた。

 そのとき、彼女はふと思った。この町に来たばかりの頃、自分は何かを望むことにさえ、ためらっていた。

 今は違う。仕事を続けたい。学びたい。ノアと暮らしたい。そして生まれてくるかもしれない子どもを育てたい。望むことが、こんなにたくさんある。

 エリンは書類を受け取り、自分の希望を1つずつ話し始めた。


 その日の夕方、ノアはリハビリ室でルークと片づけをしていた。

「ベネットさん、最近ちょっと機嫌よくないですか?」

 ルークが突然言った。ノアは顔を上げた。

「そう?」

「そうですよ。前から穏やかでしたけど、最近は何ていうか……」

 ルークは言葉を探した。

「幸せそうです」

 ノアは苦笑した。

「そんなにわかりやすいかな?」

「わかりますよ。今日だって、プライスさんに『顔が緩んでるぞ』って言われてたじゃないですか」

「あれはプライスさんが冗談を言ったからだよ」

「そうですかねえ」

 ルークはにやにやしていた。

「何かいいことあったんですか?」

 ノアは一瞬、答えに迷った。エリンの妊娠については、まだ周囲に広く話していない。彼女自身がもう少し落ち着いてから伝えたいと言っていた。

「まあ、ちょっとね」

 ルークは目を輝かせた。

「えっ、何ですか?」

「内緒」

「教えてくださいよ! 同じ職場の仲間じゃないですか」

 ノアは笑った。そのとき廊下からヌクミズが現れた。

「何が内緒なんですか?」

 ルークが答えた。

「ベネットさんに、何かいいことがあったらしいんです」

 ヌクミズはノアを見た。

「なるほど」

「先生、何か知ってます?」

「いいえ」

 ヌクミズは真顔で言った。

「ですが秘密というのは、本人が話すまで待つものです」

 ルークは肩をすくめた。

「それはそうですけど……」

 ヌクミズは続けた。

「ただし宝くじが当たった場合は、ぜひ教えてください」

 ノアは笑った。

「どうしてですか?」

「昼食をご馳走していただきたいので……」

 ルークは吹き出した。

「先生、まだ財布の中身が厳しいんですか?」

「給料日を過ぎても、人生にはさまざまな支出があります」

 ヌクミズはそう言って、廊下を歩いていった。ノアはその後ろ姿を見送りながら笑った。


 3月4日、木曜日。2人は再び産婦人科クリニックを訪れた。エリンは診察室で、超音波画像を見つめていた。

医師が画面の一部分を示した。

「ここを見てください」

 小さな光のようなものが、規則正しく動いていた。

「心拍が確認できました」

 エリンは息を呑んだ。ノアは画面を見つめた。

 小さな、小さな動き。それが何を意味するのか、頭では理解している。しかし目の前で見た瞬間、言葉が出なくなった。

 医師は説明を続けた。

「今のところ、週数相当の経過です。妊娠初期ですから、これからも慎重に経過を見ていきましょう」

 エリンは頷いた。

「はい」

 ノアは彼女の手を握った。エリンは彼を見た。

「見えた?」

 ノアは頷いた。

「うん」

「動いてたね」

「うん」

 エリンは笑った。

「言葉が出てこない?」

 ノアも笑った。

「そうみたい……」

 医師は微笑んだ。

「最初は、皆さんそうですよ」

 診察を終え2人はクリニックを出た。駐車場に向かう途中、エリンは足を止めた。

「ノア」

「何?」

「私たち、本当に親になるんだね」

 ノアはゆっくりと頷いた。

「そうだね」

 エリンは彼の手を握った。ノアはその手を握り返した。


 その夜。2人は居間のソファに座り、今日もらった超音波画像を眺めていた。前回よりも少しだけ形がわかる。エリンは写真を指さした。

「ここが頭になるのかな」

「まだはっきりとはわからないね」

「でも前より大きくなってる」

「うん」

 エリンは写真を胸に抱いた。

「嬉しいな……」

「僕もだよ」

 エリンは少し考えた。

「ねえ、ノア」

「何?」

「名前、考え始めてもいいかな」

 ノアは驚いた。

「もう?」

「まだ決めないよ。でも考えるのは楽しいでしょう?」

 ノアは笑った。

「そうだね」

 エリンは目を輝かせた。

「男の子だったら?」

「難しいな……」

「女の子だったら?」

「もっと難しい……」

 エリンは笑った。

「じゃあ宿題ね」

「宿題?」

「お互い好きな名前を3つずつ考えるの」

「期限は?」

「来週の日曜日」

「厳しいね……」

「父親になるんだから、それくらい頑張って」

 ノアは笑った。

「わかった」

 エリンは満足そうに頷いた。そして写真をテーブルに置いた。

「でもまだ名前はないんだね」

 ノアは写真を見た。

「そうだね」

 エリンは自分のお腹に手を当てた。

「早く会いたいな」……

 ノアは彼女の隣に座り直した。

「うん……」

 エリンは彼の肩に頭を預けた。

「ねえ、ノア。この子が生まれたら、最初に何をしてあげたい?」

 ノアは考えた。長い沈黙の後、彼は答えた。

「抱きしめたい……」

 エリンは顔を上げた。ノアが少し照れたように笑った。

「ちゃんと……両手で……」

 エリンは微笑んだ。

「きっと喜ぶよ」

 ノアは自分の手を見た。その手をそっとエリンのお腹に重ねた。

 まだ何も感じられない。それでも彼はしばらく手を離さなかった。

 エリンはその手に自分の手を重ねた。

 窓の外では3月の風が吹いていた。冬の寒さはまだ残っていたが、庭の木々には小さな芽が増えている。

春は確かに近づいていた。2人の家には、まだ名前のない家族が増えようとしていた。

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