研修スタート
素直な新人たちで何よりです。
2月最初の月曜日、エリン・ウォーカーは病院の会議室で、3人の新人看護師を前に立っていた。机の上には、彼女が週末を使って作った研修資料が並んでいる。
資料の表紙には、こう書かれていた。
「患者とのコミュニケーション〜安心をつくるために〜」
エリンはいつになく緊張していた。看護師として働くことには慣れている。患者に説明することも、家族からの質問に答えることも、日常の仕事だ。
しかし人に教えるとなると勝手が違った。彼女は資料を1枚めくった。
「では始めましょう」
新人たちは真剣な表情で頷いた。エリンがまず質問する。
「皆さんに質問です。患者さんが治療に不安を感じているとき、最初に何をしますか?」
1人の女性が手を挙げた。
「説明します」
「そうですね。説明は大切です」
別の男性が答えた。
「不安を取り除くように、声をかけます」
「それも大切です。でも私が大切にしていることは違います」
新人たちが一斉に彼女を見た。
「話を聞くことです」
会議室が静かになる。エリンは続けた。
「患者さんが何を不安に思っているのか? 何を怖がっているのか? それを知らないまま説明しても、相手には届かないことがあります」
彼女は資料に書かれた一文を指さした。
「安心は説明することだけでは生まれない。理解しようとする姿勢から生まれる」
エリンは柔らかな表情で、しかし真剣に話す。
「今日はそのことを一緒に考えていきましょう」
研修は午前中いっぱい続いた。途中ロールプレイも行なった。新人の1人が患者役になり、別の1人が看護師役になる。患者役の女性は、少しだけ不安そうな表情を作った。
「手術が怖いです」
看護師役の男性は、すぐに答えた。
「大丈夫ですよ。先生は経験豊富ですし心配いりません」
エリンが手を挙げた。
「ちょっと待って」
2人が動きを止めた。
「今の声かけ、悪くないと思います。でも少し考えてみましょう」
男性が神妙な面持ちで静かに聞く。エリンは続けた。
「患者さんは『怖い』と言いました。何が怖いのか、わかりますか?」
男性は少し考えた。
「手術そのもの……でしょうか?」
「そうかもしれません」
次に患者役の女性に話しかける。
「何が怖いですか?」
「麻酔から目が覚めなかったら、どうしよう?って」
エリンは頷いて男性を見た。
「今、初めて不安の内容がわかりましたね」
「はい」
「では、もう一度やってみましょう」
昼休み。エリンは休憩室でコーヒーを飲んでいた。エミリー・カーターが隣に座った。
「どうだった?」
「緊張した」
エミリーは笑った。
「でしょうね」
「うん。でも楽しかった。教えるって、難しいけど、面白いね」
エミリーが微笑んだ。
「向いてると思うよ」
「本当?」
「だってエリンって、人の話をちゃんと聞くでしょう?」
エリンは少しだけ照れた。
「ありがとう」
エミリーはコーヒーを一口飲んで、意味ありげな笑顔で言う。
「ノアにも報告するんでしょう?」
エリンは笑った。
「もちろん」
「きっとすごく喜ぶよ」
エリンが頬を赤くした。
「そうかな?」
エミリーは頷いた。
「絶対!」
その日の夕方。ノア・ベネットは、リハビリ室で最後の患者の記録をまとめていた。エリンが入口から顔を出した。
「お疲れさま」
ノアは顔を上げた。
「お疲れさま」
エリンは充実した表情でノアに報告する。
「今日、研修だったんだ」
「そうだったね。どうだった?」
「緊張したけど楽しかった」
ノアは微笑んだ。
「ノアに教えてもらったこと、役に立ったよ。相手が何をわからないのか、まず聞くこと」
「覚えてたんだ」
エリンは頷いた。
「もちろん!」
ノアがそんなエリンにお礼を言う。
「ありがとう」
エリンは不思議そうに尋ねる。
「何が?」
「君が頑張ってる話を聞けるのが嬉しいから」
エリンは真っ赤になった。
「またそういうこと言う……」
「本当のことだから」
その夜。2人は夕食の後、居間のソファに座っていた。エリンを真剣に眺めている。ノアは隣で本を読んでいた。
しばらくしてエリンが言った。
「ねえ、ノア」
ノアが誌面からエリンに視線を移す。
「何?」
「私、もっと勉強したいな。患者さんとのコミュニケーションとか、心理的なケアとか」
ノアは静かに頷いた。
「いいと思う」
「でも仕事もあるし、時間が取れるかな?」
「少しずつでいいんじゃないかな」
ノアは続けた。
「無理に急がなくても、学べることはあると思う」
エリンはゆっくりと頷いた。
「そうだね」
ノアが笑いながら言う。
「僕もまだ勉強したいことがたくさんあるから」
「ノアも?」
「医療は、ずっと変わっていくからね」
エリンは微笑んだ。そしてしばらく考えてからノアに言った。
「私たち、似てるところもあるんだね」
ノアは、少し考えた。
「そうかな?」
エリンは頷いた。
「人の役に立ちたいって思うところ」
エリンは彼の手を握った。ノアも握り返した。
2月7日、日曜日。2人は町の図書館へ出かけた。エリンは看護や心理学に関する本を探していた。ノアはリハビリテーションの専門書を見ていた。
しばらくしてエリンが1冊の本を持って近づいてきた。手には1冊の本が収まっている。
『患者の心に寄り添うコミュニケーション』
「これ、読んでみようと思う」
ノアが頷いた。
「いいね」
エリンの視線がノアの手にしている本に向けられる。ノアは手に持っていた本を見せた。
『最新の運動療法と神経リハビリテーション』
エリンは苦笑した。
「難しそう……」
ノアも笑った。
「難しいよ」
「でも、楽しそう」
ノアは頷いた。
「うん。新しいことを知るのは、面白いから」
「私もそう思う」
図書館を出ると、空はよく晴れていた。2人は近くの公園を歩いた。冬の木々は葉を落としていたが、枝の先には小さな芽がついていた。エリンはそれを見上げた。
「もうすぐ春だね」
ノアは頷いた。
「去年の春……ノアと少しずつ話すようになったんだよね」
「そうだったね」
エリンが感慨深げに言う。
「あの頃……こんなふうになるなんて思ってなかった」
ノアは静かに微笑んだ。
「僕も……でも、よかった」
エリンが満面の笑みで頷く。
しばらく歩いた後、エリンが言った。
「来年の今頃……私たち何してるかな?」
「どうだろう?」
「わからないね」
ノアは頷きながら穏やかに言葉を繋いだ。
「でも……君と一緒にいたいと思う」
エリンは静かに微笑んだ。
「私も……」
2人は手を繋いで歩き続けた。冬の公園には、穏やかな日差しが降り注いでいた。春はもうすぐそこまで来ていた。
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