同じ屋根の下
育ってきた環境が違うから……というやつです。
1月18日、月曜日。ノア・ベネットは、人生で初めて、靴下の置き場所について真剣に議論していた。
「ここに入れておくと便利だと思うの」
エリン・ウォーカーは、寝室のチェストを指さした。
「朝、着替えるときにすぐ取れるでしょう?」
ノアが引き出しを覗く。
「そうだね」
エリンは頷いた。
「でしょ?」
そこでノアは少し考えた。
「でも僕は今までクローゼットの上の棚に置いてたんだよね」
「どうして?」
「昔から、そうしてたんだ」
エリンはノアを見つめながら笑った。
「それ、理由になってない!」
ノアも笑った。
「そうかな?」
「まあ無理に変えなくてもいいけど」
ノアは少し考えてから言った。
「でも試してみるよ」
エリンは少し驚いた。
「君の言うことにも、一理あると思うから」
エリンが満足そうに頷いた。
こうしてノアの靴下は、長年使っていた棚から寝室のチェストへ移動することになった。
同居を始めてから、10日が過ぎていた。2人の生活は、少しずつ形を変えていた。
朝は先に起きたほうがコーヒーを淹れる。朝食は時間が合えば一緒に食べる。仕事が早く終わったほうが、夕食の準備をする。洗濯や掃除は、気づいたほうがやる。
そんな簡単なルールを、2人は自然に作っていった。だが実際に暮らしてみると、思っていたより小さな違いが多かった。
エリンは洗濯物を畳んですぐにしまいたい。ノアは乾いた洗濯物を一度ベッドの上に置いてから、まとめて片づける。
エリンは料理をしながら使った道具を洗う。ノアは、料理が終わってから一度に洗う。
エリンは休日の朝に音楽を流すのが好きだった。ノアは静かな朝が好きだった。
どれも、大きな問題ではなかったが、一緒に暮らすということは、そうした違いを1つずつ知っていくことでもあった。
ある日の夕方。エリンは仕事から帰ってきた。玄関を開けると、キッチンから物音が聞こえた。
「ただいま」
ノアが顔を出した。
「おかえり」
エリンはコートを脱ぎながら言った。
「何作ってるの?」
「パスタ」
エリンがキッチンへ進むと、鍋からはトマトソースの香りが漂っていた。
「おいしそう」
「もう少しでできるよ」
そのときエリンの視線が流しの中へ向けられた。
鍋。フライパン。包丁。まな板。使った道具が、そのまま置かれていた。
エリンは少しだけ表情を曇らせた。
「これ、あとで洗うの?」
「うん」
「今、洗っておいたほうが楽じゃない?」
「料理が終わってからのほうが、まとめてできるから」
確かにノアの言うことにも一理ある。使い終わったフォークやお皿もまとめて洗うほうがいいという考えもわかる。しかし……。
「これだと後片づけが大変だよ」
「そうかな?」
しばらく黙った後、ノアがエリンに同意する。
「わかった……。今、洗うよ」
洗い物を始めたノアの背中を見て、エリンは少しだけ胸が痛んだ。
ノアは何も悪いことをしていない。ただやり方が違うだけだ。少し言いすぎたかもしれない。
「ノア……ごめん」
驚くノア。
「何が?」
「私、ちょっと言い方がきつかった……。ノアが夕食を作ってくれてるのに、文句みたいになっちゃった」
ノアは笑いながら気にしていないと言う。それでもエリンは首を振った。
「ごめんなさい……でも、ちゃんと言いたかった」
ノアはしばらく彼女を見つめた。そして嬉しそうに答えた。
「ありがとう。自分の意見が言えるってすごく大切だと思う。今エリンは僕にきちんと意見を言ってくれた。それはとても嬉しいよ」
「うん」
「じゃあ、こうしようか? 料理を作った人は、後片づけをしなくていいことにする」
エリンは少し驚いた。ノアが続ける。
「そのほうが、お互い楽じゃない?」
「それ、いいかも」
「じゃあ、決まり!」
2人は笑いながらお皿を並べ始めた。
翌日。病院の休憩室で、エリンはエミリー・カーターにその話をした。エミリーはコーヒーを飲みながら笑った。
「それ同居あるあるだね」
「そうなの?」
エミリーは頷いた。
「うん」
そして真面目な顔になった。
「でも、ちゃんと話し合えてるなら大丈夫」
「そうかな」
「うん」
そしてエミリーは考えながら笑った。
「ノアって、怒ることあるの?」
「ない……」
「それはそれで、ちょっと心配かも」
エリンが驚く。
「どうして?」
エミリーは変わらず真剣な顔で話す
「我慢しすぎてないかなって……。ああいう優しい人ほど、自分の気持ちを後回しにすることがあるでしょう?」
エリンは静かに頷いた。
「そうだね……」
エミリーは優しい笑顔でエリンを元気づける。
「だからちゃんと聞いてあげて」
「うん!」
その夜。エリンは夕食後ノアと一緒にソファに座っていた。テレビではニュースが流れていた。
エリンは真剣な顔で話し始める。
「私……聞いておきたいことがあるの」
いつになく真剣なエリンの様子に、ノアは背筋を正す。
「何?」
「ノア……私に不満はない? 一緒に暮らし始めて、いろいろ変わったでしょう? だから何かあったら、ちゃんと言ってほしい」
エリンは続けた。。
「昨日の洗い物のこともそうだけど……。私だけが、好き勝手に意見を言うのは嫌だから」
ノアは少し考えてから言った。
「じゃあ1つだけ……」
「あるの?」
ノアは頷いた。エリンが少し身構える。
「君、朝のアラームを3回止めるよね」
エリンは目を丸くした。確かにノアの言うとおりではあった。
「最初のアラームで起きるのかと思ったら、また寝るよね。僕もつられて二度寝しそうになる」
エリンは安心しながら笑う。
「そんなこと?」
ノアも笑った。
「うん」
「わかった。明日から1回で起きるようにする」
ノアは優しく首を振った。
「でも無理しなくていいよ。ただ……アラームの音を少し小さくしてくれると助かるかな」
「了解!」
1月24日、日曜日。2人は、近くの湖へ出かけた。冬の空気は冷たかったが、空はよく晴れていた。湖面には薄い光が反射していた。
エリンはノアの腕に自分の腕を絡めた。
「寒いね……」
ノアは頷いた。
「でも、気持ちいい」
「うん」
しばらく歩いてからエリンが言った。
「ねえ、ノア……。私たち、ちゃんと暮らせてるかな」
「どういう意味?」
「一緒に暮らし始めて、まだ2週間くらいでしょう?」
ノアは頷いた。
「うん」
「だから……まだ慣れないこともあるけど」
少し間を置いた。
「でも私、毎日楽しい」
「僕も……」
ノアは続けた。
「家に帰るのが、楽しみになった。君がいるから……」
エリンの頬が緩む。
「私も」
2人は湖のほとりで立ち止まった。冷たい風が吹いた。エリンはノアのギュッと手を握った。
「これからも、よろしくね」
ノアは彼女の手をしっかり握り返した。
「こちらこそ」
「アラーム、気をつけるから」
ノアは思わず笑った。
「ありがとう」
エリンも笑った。
2人はまた歩き始めた。湖面には冬の光がキラキラと揺れていた。
その夜。エリンは寝室で翌日の準備をしていた。携帯電話のアラームを確認する。午前6時30分。音量を1段階下げた。
ノアが寝室に入ってきた。
「何してるの?」
「アラームの設定。明日は1回で起きる予定」
ノアが笑った。
「期待してる」
エリンも笑った。
2人はベッドに入って明かりを消す。しばらくしてエリンが言った。
「ノア。私、ここに来てよかった」
エリンは続けた。
「この町に来て、ノアに会えて……」
少し間を置いた。
「本当によかった」
ノアは静かに答えた。
「僕もだよ」
エリンは彼の胸に頬を寄せた。ノアはそっと彼女を抱きしめた。
窓の外では冷たい風が吹いていた。部屋の中は暖かかった。2人は互いの温もりを感じながら、静かに眠りについた。
ご意見、ご感想、いいね、ブックマーク登録など頂けると励みになります。よろしくお願いいたします。




