甘い年末
2人で過ごす穏やかな年末。
クリスマスから3日後、エリン・ウォーカーは自分で買った覚えのない牛乳を冷蔵庫の中に見つけた。賞味期限は1月5日。未開封の紙パックが2本、冷蔵庫に鎮座している。
「ノア」
居間から返事があった。
「何?」
「牛乳、買った?」
「うん。昨日」
「2本も?」
「そうだよ」
エリンは1本を取り出した。
「どうして?」
ノア・ベネットが台所に顔を出した。
「君、朝はコーヒーに牛乳を入れるだろう?」
「入れるけど」
「それにオートミールにも使うし」
「使うけど」
「だからなくならないように」
エリンは彼を見た。
「ノア……私、毎日ここにいるわけじゃないのよ」
ノアは冷蔵庫を覗いて2本の牛乳を見た。
「確かに……」
エリンは笑った。
「どうするの、これ」
「頑張って飲むよ」
「ノア、普段はブラックコーヒーでしょう?」
「シリアルにかけてもいいし」
「シリアル、買ってないじゃない」
ノアが黙った。返す言葉が見つからなかったのだ。エリンはとうとう声を上げて笑った。
「もう! どうして買う前に考えないの?」
「君が困らないようにと思って……」
その答えにエリンは笑いを止めた。
「余計だったかな?」
「ううん、嬉しいよ。でも2本は多い!」
「次から気をつける」
「そうして」
彼女はノアの腕に触れた。
「それにね……足りなくなったら買いに行けばいいの。2人で」
ノアはその言葉を聞いて微笑んだ。
「確かにそうだね」
その日、2人は年末の大掃除をすることにしていた。ノアの家は普段から整頓されている。床には物が散らかっておらず、家具の上にも埃はほとんどない。しかしエリンは以前から気になっていたことがあった。
「ノアって、物を捨てるのが上手よね」
彼女は廊下の収納を開けながら言った。
「そうかな?」
「うん。余計なものが全然ない」
ノアは雑巾を絞っていた。
「必要なものしか買わないから」
「それはわかるけど……」
エリンは収納の中を見た。予備の電球。工具箱。救急用品。掃除道具。どれも用途がはっきりしていて、数も必要最低限だった。
「何だか、いつでも引っ越せそう」
ノアは少し考えた。
「昔は引っ越しが多かったからね。物が多いと大変だから」
エリンはふと考えた。この家にはノアの過去を感じさせるものが少ない。写真も、飾りも、土産物も。大学時代の卒業写真を除けば、彼がどんな人生を歩んできたのかを示すものは、ほとんど見当たらなかった。
エリンはそれを寂しいとは思わなかった。ただ不思議だった。
「ねえ、ノア」
「何?」
「この家、もっと物を増やしてもいいと思う」
ノアは顔を上げた。
「例えば?」
エリンは周囲を見回した。
「写真とか、絵とか。旅行に行ったときのお土産でもいいし……」
「旅行か……」
「うん」
エリンは微笑んだ。
「今度、どこか行ってみない?」
「いいね」
「本当?」
「うん。君はどこに行きたい?」
エリンは少し考えてから答えた。
「海が見たいな……」
「海か」
「冬の海って、きれいでしょう?」
「寒そうだけど」
エリンは笑った。
「それはそうね」
ノアも笑った。
「でも、行こう!」
エリンは嬉しそうに頷いた。
「約束ね」
午後。エリンは寝室のチェストを整理していた。以前ノアが空けてくれた引き出しには、彼女の衣類が少しずつ増えていた。
パジャマ。靴下。セーター。そしてクリスマスに買った小さなポーチ。
エリンは引き出しの中身を整えながら言った。
「ねえ」
ノアはベッドのシーツを交換していた。
「何?」
「私のもの……増えたね」
ノアは引き出しを見た。
「そうだね」
エリンは少しだけ笑った。
「邪魔じゃない?」
ノアは首を振った。
「もっと増えてもいいと思ってる」
「もっと?」
「うん」
ノアが少しだけ照れくさそうに笑った。
「君がここにいるのが、普通になってきたから」
エリンは静かに微笑んだ。
「私も……。ここに来ると落ち着く」
ノアは微笑んだ。
「よかった」
エリンは少しだけ何かを考えた。そして静かに言った。
「ノア。私たち……一緒に暮らすこと考えてもいいのかな?」
ノアはシーツを持ったまま動きを止めた。エリンは少しだけ頬を赤くした。
「まだ急がなくてもいいけど……。最近そう思うことがあるの」
ノアは嬉しそうに答えた。
「実は僕も考えてた」
エリンは驚いた。
「そうなの?」
ノアは頷いた。
「うん」
そして照れながら言った。
「君が帰った後、家が静かすぎると思うことが増えたから……」
ノアは続けた。
「一緒に暮らせたら嬉しい」
エリンはゆっくりと頷いた。
「私も」
穏やかな沈黙が訪れた。お互いの思いが相手を包み込む。
やがてエリンが笑った。
「でも牛乳は1本ずつ買うこと!」
ノアが苦笑した。
「わかった」
エリンも笑った。
12月30日、水曜日。病院では年末の勤務体制について最終確認が行われていた。
エリンは主任看護師のスーザン・ハリスと一緒にシフト表を確認していた。
「ウォーカーさん、年明けの2日は休みで大丈夫?」
「はい。ありがとうございます」
「最近、忙しかったからね。しっかり休んで」
エリンは微笑んだ。
「ありがとうございます」
スーザンは優しい眼ざしで彼女を見た。
「それにしても……」
「何でしょう?」
スーザンは微笑んだ。
「最近、表情が明るくなったわね」
「そうですか?」
「仕事にも余裕が出てきたし、患者さんとの接し方も前より自然になった」
エリンは少し考えた。
「そうかもしれません」
スーザンは微笑んだ。
「いいことよ」
そして少しだけ声を落とした。
「ノアのおかげ?」
エリンは頬を赤くした。
「それも……あります」
スーザンは笑った。
「そうでしょうね」
「でもノアだけじゃありません。ここに来て、たくさんの人に助けてもらいました」
スーザンは静かに頷いた。
「本当に感謝しています」
スーザンはエリンをハグした。
「来年もよろしくね」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
大晦日。ノアの家にはエリンが持ち込んだ小さな飾りが増えていた。玄関には冬の花を使ったリース。居間には2人で撮った写真。そしてキッチンには赤と青の歯ブラシが並んでいた。
午後7時。2人は夕食の準備をしていた。今日は少し豪華なローストチキン。オーブンの中を覗き込んだエリンが漏らす。
「いい匂い」
ノアはサラダを盛りつけていた。エリンが言う。
「今年最後の夕食だね」
「そうだね」
エリンが感慨深げに言った。
「今年……いろいろあったなぁ」
「うん」
「でもいい1年だった」
ノアは静かに頷いた。エリンが嬉しそうにノアを見る。
「来年もっといい年にしたいね」
「そうだね」
午後11時50分。2人は居間のソファに並んで座っていた。テレビではニューヨークのタイムズスクエアからの中継が流れていた。
エリンはノアの肩に頭を預けていた。
「もうすぐ新年だね……」
「うん」
エリンが問いかける。
「ノア……来年、やりたいことある?」
ノアは少し考えた。
「海に行くことかな」
エリンは笑った。
「それ、私が言ったことじゃない」
ノアも笑った。
「そうだったね」
エリンがさらに尋ねる。
「じゃあ、ほかには?」
ノアはしばらく黙っていたが、優しく微笑みながら言う。
「君ともっと一緒に過ごしたい。旅行もしたいし、料理もしたいし」……」
少し間を置いた。
「普通の毎日を一緒に過ごしたい」
エリンは嬉しくなってノアに抱きついた。
「私も!」
テレビではカウントダウンが始まっていた。
10
9
8
エリンがノアの手を握った。
7
6
5
ノアも握り返した。
4
3
2
1
画面いっぱいに花火が上がった。
「ハッピーニューイヤー!」
エリンが笑顔で言った。ノアも笑顔を返す。
「ハッピーニューイヤー、エリン」
2人はそっとキスをした。
1月1日。午前0時15分。エリンはノアの胸に頬を寄せていた。
「ねえ」
「何?」
「今年、一緒に暮らすこと考えてみようか」
ノアはゆっくりと頷いた。
「うん」
ノアは続けた。
「僕もそうしたい」
「じゃあ、決まり!」
エリンは彼の指に指を絡めた。
「でも……急がなくていいからね」
エリンは目を見つめながら言った。
「少しずつ、準備しよう」
ノアが微笑んだ。
「そうだね」
窓の外では新年を祝う花火の音が遠くに聞こえていた。エリンはまたノアの胸に頬を寄せた。そして静かに目を閉じた。ノアは彼女の髪を撫でた。
新しい1年が始まった。2人にとって、初めて一緒に迎える新年だった。
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