疑うクーパー、否定するノア
クーパー、相当しつこいです。
夕方6時。ノアは病院を出た。空はすっかり暗くなっていた。
駐車場へ向かう途中、携帯電話が震えた。エリンからだった。
「今日は早く帰れそう?」
ノアは立ち止まり返信した。
「うん。今、病院を出たところ」
すぐに返事が来た。
「じゃあ今夜は私の家で夕食にしない?」
ノアから笑みがこぼれる。
「いいの?」
「もちろん! 今日は私が作る番」
ノアは返信した。
「楽しみにしてる」
エリンの家に着いたのは、午後7時を少し過ぎた頃だった。玄関を開けると温かい料理の匂いが漂ってきた。
「いらっしゃい」
エリンがキッチンから顔を出して労いの言葉を口にする。
「お疲れさま」
ノアは微笑んだ。
「ただいま……って言いそうになった」
エリンは驚きながらも嬉しそうに笑った。
「言ってもいいよ。むしろ言ってほしい」
「そう?」
「うん!」
エリンは少し照れくさそうに言った。
「私もいつかノアの家で言ってみたいし……」
ノアは嬉しそうに頷いた。
「じゃあ……」
少し間を置いた。
「ただいま!」
エリンは微笑んだ。
「おかえり!」
その言葉を聞いた瞬間、ノアは鼻の奥がツンとした。それはとても短い言葉だった。
けれど……
彼にとっては、長い間聞くことのなかった言葉だった。
夕食は鶏肉と野菜のクリーム煮だった。エリンはノアの皿に料理を取り分けた。
「今日はちゃんと野菜を食べてもらうからね!」
ノアは笑った。
「覚悟してるよ」
エリンは微笑んだ。
「よろしい!」
2人は食卓についた。食事をしながら、エリンはグレースの退院について話した。ノアもリハビリの経過を話した。そうして思い出したかのようにエリンが言った。
「今日、ウォルターさんが病院に来たの」
ノアは少し驚いた。
「ウォルターさんが?」
「うん。写真を届けてくれた」
エリンはテーブルの上に写真を置いた。ノアはそれを手に取った。
ハロウィンの夜。カボチャの前で笑う5人。ノアはしばらく写真を見つめていた。
エリンは彼を見た。
「いい写真でしょう?」
ノアは頷いた。
「うん」
そして小さく笑った。
「僕、こんな顔してたんだね……」
ノアは写真を指さしながら言った。
「楽しそうな顔……」
「実際、楽しかったでしょう?」
ノアは頷いた。
「じゃあ、それでいいじゃない」
「そうだね」
食事の後。2人は居間のソファに並んで座っていた。テレビではニュース番組が流れていた。旧製紙工場の再開発計画について、町議会で再び議論が行われたという。画面には錆びた工場の建物が映っていた。エリンは少しだけ首を傾げた。
「あそこ……まだ危ない場所が多いんだね」
ノアは画面を見た。
「そうみたいだね」
エリンは続けた。
「古い足場とか、崩れそうな建物とか」
ノアは頷いた。
「立ち入り禁止になってるはずだよ」
「子供たちが入らないといいけど……」
「そうだね」
しばしの沈黙の後、エリンが口を開いた。
「ノア……今日、何かあった?」
ノアは彼女を見た。
「どうして?」
エリンは少しだけ考えた。
「何となく……」
ノアは静かに言った。
「仕事で少し気になることがあっただけ……」
「そっか」
ノアは頷いた。
「うん」
エリンは少しだけ息を吸った。
「ノア……私、前に言ったよね? 話したくなったら聞くって」
ノアは静かに頷いた。
「それは今も変わらない。ううん、これからも……。でも無理に話さなくてもいい」
そうしてエリンは、静かにもう1つ付け加えた。
「ただ……私が心配してることは知っておいてほしい」
ノアはゆっくりと頷いた。
「ありがとう」
ノアは彼女の手を握った。エリンも優しく握り返した。
午後10時。ノアは帰宅した。部屋の明かりをつける。コートを脱ぎ、机の引き出しを開けた。マーティン・クーパーの名刺が入っていた。
ノアはそれを取り出した。しばらく見つめる。そして携帯電話を手に取った。番号を入力する。
今度は通話ボタンを押した。呼び出し音が続いた。
3回
4回
そして男の声が聞こえた。
「はい」
ノアは静かに名前を告げた。
「ベネットです」
電話の向こうで少しだけ沈黙があった。
「やっと電話をくれたか」
ノアは何も返さない。クーパーは続けた。
「どうした? 昔話でもしたくなったか?」
ノアは静かに質問した。
「何が目的ですか?」
クーパーは少しだけ笑った。
「目的?」
「僕に何度も話しかけてくる理由です」
電話の向こうで沈黙があった。
「君が俺の知ってる男なのか確かめたいだけさ」
ノアは静かに言った。
「何度も言いました。人違いです」
クーパーは笑った。
「そうか」
ノアが続ける。
「わかったのなら、仕事以外で僕に声をかけないでください」
クーパーはしばらく黙った。そして低い声で言った。
「随分、偉くなったもんだな」
ノアは答えなかった。クーパーは続けた。
「昔のことを忘れたつもりか?」
ノアはため息をついた。
「失礼します」
そこで電話を切った。
クーパーはモーテルの部屋で携帯電話を見つめていた。そしてゆっくりと笑った。
「なるほど……」
彼は机の上に置かれた古い写真を手に取った。若い男の横顔。そしてもう1枚。
そこには数人の男たちが写っていた。クーパーは写真を見比べた。
「やっぱり、お前か」
彼はしばらく写真を見つめてから呟いた。
「面白くなってきた」
同じ頃。ノアは暗い居間に座っていた。携帯電話を机に置く。そして両手を見つめた。
大きな手。傷の残る手。エリンが大好きだと言ってくれた手。
ノアはゆっくりと目を閉じた。今日エリンは言った。「ただいま」と言ってもいいと。「おかえり」と返してくれた。その言葉が、まだ胸の奥に残っていた。
ノアは静かに息を吐いた。
「守りたい」
「エリンを」
「この町で手に入れた、ささやかな日常を」
そして……
「彼女と一緒に過ごす未来を」
ノアは目を開いた。窓の外には冷たい夜が広がっていた。彼は静かに呟いた。
「今度こそ……」
その言葉の続きを口にはしなかった。
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