知りたがる男
ルーク・アンダーソンは、キット・コナーさんで。誠実で親しみやすい好青年というのが、イメージにピッタリです。
11月最初の月曜日。ノア・ベネットは病院の職員用駐車場で、見覚えのない黒いセダンを見つけた。正確には車そのものに見覚えがあった。先週、マーティン・クーパーが病院を訪れたとき、正面玄関の車寄せに停まっていた車だ。ノアは一瞬だけ足を緩めたが、そのまま通用口へ向かった。
午前7時45分。リハビリテーション室には、まだ患者の姿はなかった。ノアは照明をつけ、前日に洗浄しておいた器具を確認した。平行棒の固定具、歩行器のゴムキャップ、車椅子のブレーキ。いつもと同じ順序で点検を進める。
「おはようございます、ベネットさん」
若い理学療法士のルーク・アンダーソンが入ってきた。
「おはよう、ルーク」
「今日、例の機器メーカーの人が来るそうですよ」
「説明会は来月じゃなかった?」
「それが設置場所の確認を先にやりたいとかで。施設管理の人と話すみたいです」
「そうなんだ」
ルークはコーヒーを一口飲み、顔をしかめた。
「うわ、まずい」
「自分で淹れたんでしょう?」
「ええ。だから誰にも文句が言えないんです」
ノアは笑った。
ルークは今年27歳になる。仕事は熱心だが、何事にも少々せっかちなところがあった。患者の状態を見極める前に次の訓練を提案し、ノアに止められることもある。ただ注意されると素直に考え直す。ノアはそんな彼を気に入っていた。
「ところでベネットさん」
「何?」
「ウィルソンさん、今日から歩行距離を延ばすんですよね」
「予定ではね。まず痛みと疲労の状態を確認するよ」
「昨日病棟の看護師さんが、廊下まで歩きたがってたって言ってました」
「それはいい傾向だね」
ルークは嬉しそうに頷いた。
「僕、あの人には頑張ってほしいんですよ」
ノアは書類を閉じた。
「だったら頑張りすぎないように見てあげてね」
「はい」
ルークは苦笑した。
「先に言われちゃいましたね」
グレース・ウィルソンは、その朝機嫌がよかった。ノアが病室を訪れると、ベッド脇のテーブルに1枚の写真が置かれていた。灰色の猫が赤い毛布の上で丸くなっている。
「ミスティですか?」
ノアが尋ねると、グレースは誇らしげに頷いた。
「そうよ。隣の奥さんが写真を送ってくれたの」
「元気そうですね」
「ご飯を3回もおかわりしたんですって。まったく……私がいないほうが贅沢してるんじゃないかしら?」
ノアは笑った。
「安心しましたか?」
「ええ。それに家のほうも少しずつ片づいてるそうよ」
グレースは写真を指先で撫でた。
「町の人たちが手伝ってくれたんですって。知らない人まで来てくれたそうなの」
「よかったですね」
「ありがたいことよ」
グレースは顔を上げた。
「だから私も早く帰らなきゃ」
ノアは頷いた。
「そのために今日は少し長く歩いてみましょう」
「どのくらい?」
「まずは病室の外まで。調子がよければ廊下の途中まで」
「たったそれだけ?」
「昨日より長いですよ」
グレースは不満そうに口を尖らせた。
「あなた、なかなか厳しいのね」
「そう言われることもあります」
「エリンさんは優しいのに」
ノアは少し笑った。
「僕も優しくしているつもりなんですが……」
「じゃあ、もう少し歩かせてちょうだい」
「状態がよければ考えます」
グレースは肩をすくめた。
「まったく。頑固なんだから」
それでも彼女は歩行器に手をかけた。
午前11時過ぎ。ノアがグレースの歩行訓練を終えリハビリ室に戻ると、男性が2人施設管理責任者と話していた。
1人は作業着姿の若い技術者。もう1人は濃いグレーのスーツを着たマーティン・クーパーだった。
「やぁ、ベネットさん」
クーパーが先に気づいた。
「また会ったな」
ノアは軽く会釈した。
「こんにちは」
「今日は仕事の話でね」
クーパーは周囲を見渡した。
「ずいぶん設備が揃ってるんだな」
「患者さんの状態に合わせて使っています」
「なるほど」
クーパーは壁際の歩行訓練用の階段を見た。
「こういうものも、全部必要なんだろう?」
「ええ」
ノアは短く答えた。
施設管理責任者が説明した。
「クーパー建設さんには、新しい機器を設置する場合の床の耐荷重と搬入経路を確認してもらっているんです」
ノアは頷いた。
「そうでしたか」
クーパーは笑った。
「専門家の仕事は、素人にはなかなかわからんね」
そのときルークが奥から声をかけた。
「ベネットさん、ちょっといいですか?」
「すみません。失礼します」
ノアが立ち去ろうとするとクーパーが言った。
「そういえば、ベネットさん」
ノアは振り返った。
「はい」
「君、以前はどこに住んでいたんだ?」
ノアは少しだけ間を置いた。
「いくつかの町で暮らしました」
「そうか。俺が昔いた町にも君によく似た男がいてね」
「先日もおっしゃっていましたね」
「ああ。気になって仕方がないんだ」
クーパーは冗談めかして笑った。
「世の中には、同じ顔の人間が3人いるっていうからな」
ノアは微笑んだ。
「そうかもしれませんね」
それだけ答え、ルークのほうへ歩いていった。クーパーはその背中を見送った。
午後1時。エリンは職員食堂でノアの向かいに座っていた。
「今日はどう?」
「午前中は順調だったよ。ウィルソンさんが廊下の半分まで歩けた」
「本当?」
エリンは嬉しそうに笑った。
「すごいじゃない」
「本人はまだ足りないって言ってたけどね」
「ああ、言いそう……」
2人は笑った。エリンはサンドイッチを一口食べ、それからノアの皿を見た。
「ねえ」
「何?」
「それ……昼ご飯?」
ノアは自分の皿を見た。パンが2枚とスープ。
「そうだけど」
「朝は?」
「トーストと卵」
「野菜は?」
ノアは少し考えた。
「今日はない」
エリンはため息をついた。
「ノア……」
「はい」
「ちゃんと食べなきゃ駄目」
ノアは苦笑した。
「わかりました」
叱られるとき、言葉遣いが丁寧になるノア。エリンは吹き出してしまった。
「今度、作り置きできる料理を教えてあげる」
「助かるよ」
「ただし私が全部作るわけじゃないからね」
「もちろん」
ノアは頷いた。
「自分で作れるようになりたい」
エリンは満足そうに微笑んだ。そのときエミリーがトレーを持って現れた。
「こんにちは、お2人さん」
エリンが顔を上げた。エミリーが二人の食事を見比べた。
「ノア、それで足りるの?」
「今、同じことを言われたところ」
エミリーは笑った。
「でしょうね」
彼女は椅子に座った。
「ところで、今週末の予定は?」
エリンは首を傾げた。
「特に決めてないけど」
「じゃあ土曜日の夜、町の映画館に行かない?」
「映画?」
「昔の映画を上映するんだって。工場跡地の再開発に合わせた、町の歴史イベントの1つらしいわ」
ノアが尋ねた。
「何の映画?」
エミリーは少し考えた。
「題名、忘れた……」
エリンは笑った。
「そこが一番大事じゃない?」
「古い恋愛映画よ。白黒の」
ノアは微笑んだ。
「面白そうだね」
エミリーは頷いた。
「でしょう? 私、こういうの好きなの」
エリンはノアを見た。
「行ってみる?」
ノアは頷いた。
「うん」
エミリーは嬉しそうに笑った。
「決まりね!」
その日の午後。エリンは病棟の廊下でマーティン・クーパーとすれ違った。彼は病院の案内図を見ていた。エリンが近づくと顔を上げた。
「すみません」
「はい」
「正面玄関は、こちらで合っていますか?」
「ええ。この廊下をまっすぐ進んで、突き当たりを右です」
「ありがとう」
クーパーは微笑んだ。そしてエリンの名札を見た。
「ウォーカーさん……か」
「はい」
「看護師さん?」
「そうです」
クーパーは頷いた。
「大変な仕事だろうね」
エリンは微笑んだ。
「やりがいのある仕事です」
「そうだろうな」
彼は少しだけ周囲を見た。
「ところでリハビリ室のベネットさんとは、よく一緒に仕事をするのかい?」
エリンは訝しげな顔になった。
「ノアですか?」
クーパーは頷いた。
「ああ。今日、少し話したんだ」
急にノアの名前を出されて少々警戒したが、思い過ごしだったようだ。エリンは納得して話す。
「ええ。患者さんのことでよく相談します」
「そうか」
クーパーは微笑んだ。
「いい人そうだね」
エリンは自然に笑った。
「はい。とても」
クーパーは彼女の表情を見た。そして少しだけ目を細めた。
「なるほど」
エリンは首を傾げた。
「何か?」
「いや、何でもない」
クーパーは笑った。
「ありがとう。助かったよ」
そして正面玄関へ向けて歩いていった。エリンはその背中を見送った。
少しだけ残る違和感。知らない男性がノアのことを尋ねてきた。それ自体は不自然なことではない。
だが……。なぜだろう。あの男はノアの仕事についてではなく、ノア自身について知りたがっているように感じた。
エリンは少し引っかかりを抱いたまま仕事へ戻った。
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