ハロウィンと蠢く男
マーティン・クーパーは、ベン・メンデルソーンさんで。普通の人間のようで、どこか得体の知れない雰囲気がある演技が最高です。
その日の勤務が終わる頃、エリンはスーザンに声をかけた。
「主任、少しお話ししてもいいですか?」
スーザンは顔を上げた。
「もちろんよ」
エリンは午後の出来事を説明した。怒鳴り声を聞いて、身体が強張ったこと。呼吸が苦しくなったこと。ノアに付き添ってもらい落ち着いたこと。スーザンは途中で口を挟まずに聞いていた。話が終わると静かに頷いた。
「話してくれてありがとう」
エリンは少しだけ視線を落とした。
「仕事中なのにすみません……」
スーザンは首を振った。
「エリン」
「はい」
「あなたが助けを必要とすることと、看護師としての能力は別の話よ」
スーザンは続けた。
「患者さんのことを大切に思うなら、自分の状態にも気を配らないといけない」
エリンは静かに頷いた。
「はい……」
スーザンは微笑んだ。
「必要なら勤務中に少し休むこともできるし、専門家に相談することもできる」
「ありがとうございます」
スーザンは頷いた。
「あなたはよく働いてくれているわ。この病院の重要な戦力なんだから。それに大切な仲間でもあるの。困ったときは遠慮なく言いなさい!」
エリンは胸の奥が温かくなるのを感じた。ノアだけではない。多くの人に支えられて、今の自分がある。本当にこの町に来てよかったと思った。
その夜。エリンはマーサの店に立ち寄った。店内にはハロウィンの飾りが並んでいた。オレンジ色のカボチャ。黒い紙で作られたコウモリ。小さな魔女の人形。ウォルターが脚立に乗り、天井から飾りを吊るしていた。
「おお、エリン!」
「こんばんは」
マーサがカウンターから顔を上げた。
「ちょうどよかった。日曜日のこと、覚えてる?」
「もちろんです」
エリンは微笑んだ。
「ノアも来てくれるそうです」
ウォルターが嬉しそうに笑った。
「よし! これでカボチャ運びは任せられるな」
マーサは呆れた。
「あなた、本当にそれしか考えてないの? どれだけカボチャに思い入れがあるのよ」
「大事な仕事だぞ」
エリンは笑った。
そしてふと店の奥に目を向けた。そこには古い写真が飾られていた。若い頃のマーサとウォルター。2人は今と同じように笑っていた。私とノアもああなれるのかな……。想像すると少しだけ胸が温かくなった。
日曜日の夕方。マーサの店の前には、大きなカボチャが3つ並んでいた。ウォルターは、そのうち1つを持ち上げようとしていた。
「よいしょ!」
カボチャはほとんど動かなかった。マーサが腕を組んだ。
「だから無理だって言ったでしょう」
「まだ本気を出してない」
「腰を痛める前にやめなさい」
そこへノアがやって来た。
「こんばんは」
ウォルターの顔が輝く。
「おお、ノア!」
そしてカボチャを指さした。
「ちょうどいいところに来た! 救世主様のご登場だ」
ノアは少し困ったように笑った。
「これですか?」
「そうだ!」
ノアはカボチャを見た。そして少し考えた。
「これ持ち上げるより、台車を使ったほうが安全ですね」
ウォルターは少し不満そうだった。
「若いんだから持てるだろう」
ノアは微笑んだ。
「持てるかもしれません。でも腰を痛めたら困りますから」
マーサは大きく頷いた。
「そのとおり!」
ウォルターは、しぶしぶ台車を取りに行った。エリンはノアの隣で笑っていた。
「さすが理学療法士」
ノアも笑った。
「職業病かもしれないね」
やがて仮装した子供たちが店に集まり始めた。魔女。吸血鬼。海賊。スーパーヒーロー。小さな恐竜の衣装を着た男の子もいた。
「トリック・オア・トリート!」
子供たちが声を揃える。マーサは笑顔でお菓子を配った。エリンは子供たちの衣装を褒めた。ノアは袋がいっぱいになった子供のために、新しい袋を用意していた。ウォルターは店の前に置いたカボチャの横で、得意そうに腕を組んでいた。
「どうだ。立派だろう!」
マーサが言った。
「運んだのはノアよ」
「選んだのは俺だ」
エリンは笑った。
そのとき小さな女の子がノアの前に立った。5歳くらいだろうか。白いシーツをかぶり、目の部分だけ穴を開けた、お化けの仮装だった。女の子はノアを見上げた。
「お兄ちゃん」
ノアはしゃがんだ。
「何かな?」
女の子は少しだけ首を傾げた。
「怖くない?」
「何が?」
女の子は自分のシーツを指さした。
「お化け」
ノアは考え込むそぶりを見せて真面目な顔で言った。
「うーん」
女の子はじっと彼を見た。
「ちょっと怖いかもしれない……」
女の子は嬉しそうに笑った。
「やった!」
そしてエリンのほうを向いた。
「お姉ちゃんも怖い?」
「すごく怖い!」
女の子は声を上げて笑った。そして両手を広げた。
「ばあ!」
エリンは大げさに驚いてみせた。
「きゃあ!」
女の子は大満足だった。母親に手を引かれ、嬉しそうに去っていった。2人はその後ろ姿を見送った。
エリンは彼を見た。
「ノア」
「うん?」
「今の上手だったね」
「そうかな?」
エリンは頷いた。
「うん」
そして満足そうに温かい笑みを浮かべた。
「子供に優しいところ……好き」
ノアが赤くなる。
「ありがとう……」
照れているノアを見てエリンは微笑んだ。
夜8時。子供たちの姿が少なくなり、店の前も落ち着いてきた。マーサは残ったお菓子を箱に戻していた。ウォルターはカボチャの横に座り込んでいた。
「疲れた……」
マーサが笑った。
「何もしてないでしょう」
「子供たちを見守ってたんだ」
「それなら私だってやってたわ」
エリンはノアと顔を見合わせて笑った。マーサは2人に温かいココアを差し出した。
「はい。お疲れさま」
エリンは受け取った。
「ありがとうございます」
ノアも頷いた。
「ありがとうございます」
2人は店の前のベンチに並んで座った。夜の空気は冷たかった。ココアの温かさが全身に染み渡っていく。
しばらく2人は黙っていた。やがてエリンが言った。
「今日は楽しかったね」
ノアは頷いた。
「うん」
エリンは思い出して笑った。
「あの女の子、可愛かった」
ノアも微笑んだ。
「そうだね」
エリンは彼を見た。
「ノア、私ね……前はハロウィンが苦手だったの」
ノアは少し驚いた。
「そうなんだ?」
エリンは頷いた。
「うん」
そして、静かに続けた。
「仮装した人が、急に近づいてくるのが怖くて……」
ノアは黙って聞いていた。エリンは少しだけ笑った。
「でも今日は楽しかった」
ノアは微笑んだ。
「よかった」
エリンは彼を見た。
「だってノアがいてくれたから……」
エリンは静かに微笑んだ。
「ありがとう」
「僕は何もしてないよ」
エリンは呆れるように笑った。
「また、それ」
ノアが少し驚いた。
「え?」
エリンは彼の手を握った。
「何もしてないなんて、言わないで。一緒にいてくれるだけで、安心できるし嬉しいんだから」
エリンは静かに微笑んだ。
「それで、十分だよ」
ノアはゆっくりと頷いた。
「ありがとう……」
エリンは笑った。
「どういたしまして!」
その夜。ノアは居間でジャケットを脱いでいた。ポケットから、昼間受け取った名刺が出てきた。
マーティン・クーパー。クーパー建設。
ノアはしばらく名刺を見つめていた。そして静かに机の引き出しを開けた。中にはいくつかの書類が入っていた。彼は名刺をその一番下にしまった。引き出しを閉める。
そして窓の外を見た。町の北側には、旧製紙工場の煙突が見えた。夜空に黒い影のように立っている。ノアはしばらくその煙突を見つめていた。やがて静かにカーテンを閉めた。
一方エリンは自宅で今日撮った写真を見返していた。カボチャの前で笑うウォルター。子供たちにお菓子を配るマーサ。そしてエリンとノアが並んで写った写真。撮影したのはエミリーだった。彼女は途中から店に現れ、2人を見るなり言った。
「せっかくだから、記念写真を撮りなさいよ!」
エリンは画面の中のノアを見た。彼は少し照れくさそうに笑っていた。エリンは静かに微笑んだ。そしてその写真をお気に入りに登録した。
翌朝。マーティン・クーパーは、町の北側にある旧製紙工場を訪れていた。錆びた鉄柵の向こうには、使われなくなった建物が並んでいた。
彼は工場の敷地を歩きながら、携帯電話で誰かと話していた。
「ああ。予定どおり進めてる」
少し間を置いた。
「病院にも顔を出してきた」
相手が何かを言った。クーパーは笑った。
「いや、別に。昔の知り合いに似た男がいただけだ」
彼は足元の割れたコンクリートを見た。
「名前?」
少し考えた。
「ノア・ベネット」
相手が何かを言った。クーパーは少しだけ眉を寄せた。
「何だ?」
沈黙。やがて彼は笑った。
「いや、まさかな……」
そして電話を切った。クーパーはしばらく工場の建物を見上げていた。その先には古い鉄骨の足場が残されていた。何年も使われていない、錆びた足場。風が吹くたび、金属が軋む音を立てていた。
クーパーは、顔をしかめた。
「こりゃ、危ないな」
彼は手帳を取り出し、何かを書き込んだ。そして工場を後にした。
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