1人に慣れすぎている
以前も書きましたが、ヌクミズ先生は温水洋一さんで読んでください。
9月の第2金曜日。病院のカフェテリアで、ケンジ・ヌクミズはエミリー・カーターの昼食を眺めていた。
「エミリーさん、それだけですか?」
エミリーはサンドイッチを持ったまま顔を上げた。
「何がですか?」
「お昼ご飯ですよ」
「サンドイッチとスープですけど……」
「野菜が足りませんね」
「レタスが入ってます」
「レタスだけでは不十分です」
「先生のお皿にはフライドポテトしか見えませんけど」
ヌクミズは自分のトレーを見た。ハンバーガーとフライドポテト、それに大きなコーラ。
「今日は特別です!」
「昨日も同じことを言ってました」
「昨日も特別だったんです」
エミリーは呆れた。
「先生、よくそれで医者をやってますね」
「患者さんに厳しく、自分に優しく」
「最低の標語ですね……」
ヌクミズは笑った。
そのときカフェテリアの入口にエリンとノアが現れた。2人はトレーを持って、並んで料理を選んでいた。エリンが何かを言う。ノアが笑う。
それを見たヌクミズはフライドポテトを1本つまんだまま動きを止めた。
「いいですねえ」
エミリーは嫌な予感がした。
「何がですか?」
「青春ですよ」
「2人とも30代ですよ」
「青春に年齢制限はありません」
「それ前にも聞きました」
「大切なことは何度でも言うべきです」
エミリーはため息をついた。
「先生、余計なこと言わないでくださいよ」
「余計なこと?」
「2人のことです」
ヌクミズは不思議そうな顔をした。
「私が何か言うとでも?」
「顔に書いてあります」
「どこに?」
「おでこに」
ヌクミズは自分の額を触った。
「本当ですか?」
「嘘です」
ちょうどそこへエリンとノアがやって来た。
「こんにちは」
ノアが挨拶すると、ヌクミズは嬉しそうに頷いた。
「やあ、ノア君。エリンさんも」
「こんにちは、先生」
エリンが微笑んだ。
ヌクミズは2人を見比べた。
「いやあ、いいですねえ」
エリンは首を傾げた。
「何がですか?」
「2人とも最近とてもいい顔をしています」
ノアは少し困ったように笑った。
「そうでしょうか?」
「ええ。医者の観察眼を侮ってはいけません」
エミリーが口を挟んだ。
「先生、最近は人の恋愛ばかり観察してるのよ」
「違います。人間関係の観察です」
「同じことです」
エリンは笑ったが、ノアは少し戸惑った顔をしていた。そしてエリンに小声で尋ねた。
「ヌクミズ先生って、あんな感じだったかな?」
エリンは一瞬だけ真面目な顔になった。
「残念ながら……」
エミリーが吹き出すと、ヌクミズは心外そうに両手を広げた。
「何ですか、その言い方は!」
4人の笑い声が昼休みのカフェテリアに響いた。
その日の午後、エリンは救急外来から病棟へ移ってきた12歳の少年を受け持った。
マイケル・リード。自転車で転倒し、左腕を骨折していた。手術を必要とするほどの怪我ではなかったが、本人はひどく落ち込んでいた。
「もう試合に出られない」
ベッドの上でマイケルは呟いた。母親が困ったように言った。
「来月、野球の大会があるんです。本人、ずっと楽しみにしていて」
マイケルは唇を噛んだ。
「僕がいないと負ける」
母親は小さくため息をついた。エリンはベッドの横に椅子を寄せた。
「マイケル」
少年は顔を上げた。
「何?」
「悔しいよね」
マイケルは黙った。
「ずっと練習してきたんでしょう?」
少年は小さく頷いた。
「それなのに試合に出られないのは悔しいと思う」
マイケルはぽつりと言った。
「みんなに迷惑かけちゃう」
エリンは少し考えた。
「チームの子たちは、マイケルが怪我をしたら怒るの?」
少年は首を振った。
「わかんない」
「じゃあ、まずは話してみようか」
「何を?」
「怪我をしたこと。試合に出られないこと。それから悔しいって思ってること」
少年は視線を落とした。
「そんなこと言ったら弱虫だと思われる」
エリンは首を振った。
「試合に出られなくても、チームの一員でいられると思うよ」
少年は少し考えた。
「そうかな?」
「うん。ベンチから声をかけることだってできるし、みんなの練習を見て、気づいたことを言うこともできる」
エリンは微笑んだ。
「マイケルが仲間を大切に思ってるなら、きっと仲間もマイケルを大切に思ってるよ」
少年はしばらく黙っていた。そして小さく笑った。
「そうだといいな……」
エリンも笑った。
「きっとそうだよ!」
夕方。エリンは病院の廊下でヌクミズに呼び止められた。
「エリンさん。さっきの少年、よく話を聞いてあげましたね。骨折は治せます。でも試合に出られない悔しさまでは治せませんから」
「そうですね」
ヌクミズは微笑んだ。
「いい看護でした」
「ありがとうございます」
そしてヌクミズは何かを思いついたように言った。
「ところで……」
エリンは嫌な予感がした。
「ノア君とは、どうなんですか?」
ヌクミズはマイケルの話のときと同じくらい真剣な顔をしている。それを見てエリンは困り顔で言葉を発する。
「今、せっかくいいお話をしていたのに……」
「もちろん続きですよ」
「どこがですか?」
「人の心を大切にするという話です」
エリンは吹き出してしまった。ヌクミズも笑った。
「まあ冗談はともかく」
彼は少しだけ声を落とした。
「ノア君はいい人ですよ」
エリンは静かに頷いた。
「確かにそうですね」
「ただ少し不器用です」
「そう思いますか?」
「ええ」
ヌクミズは微笑んだ。
「人のことはよく見ているんです。でも自分のこととなると、途端にわからなくなる」
エリンは静かに頷いた。
「そうかもしれません」
「以前、彼に訊いたことがあるんですよ」
「何をですか?」
「休みの日は何をしているのかって。そうしたら本を読んだり、散歩したりしていると答えました」
エリンは微笑んだ。
「ノアらしいですね」
ヌクミズは頷いた。
「誰かと出かけたりしないのかとも訊いたんです。でも『僕は1人でいるのが普通ですから』と言ってました」
エリンは何も言わなかった。ヌクミズは続けた。
「別に寂しそうな顔をしていたわけじゃありません」
少し間を置いた。
「でもね。私は思ったんです」
「何をですか?」
「彼は1人でいることに慣れすぎているんじゃないかって」
エリンは胸の奥が少し痛んだ。ヌクミズは苦笑いする。
「まあ余計なお世話かもしれませんけどね」
エリンは、静かにかぶりを振った。
「そんなことないと思います」
ヌクミズは彼女を見て穏やかに言った。
「急がなくていいと思いますよ」
エリンは、少し驚いた。
「え?」
「大切なことほど、時間がかかるものです」
ヌクミズは微笑んだ。
「2人とも、ゆっくり進めばいい」
「ありがとうございます」
ヌクミズは満足そうに頷くと廊下を歩き始めたが、数歩進んだところで振り返った。
「でもあまりゆっくりしすぎるのも、どうかと思いますけどね!」
エリンは呆れたように笑った。
「先生!」
ヌクミズは笑いながら去っていった。
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