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神様は見ている  作者: ももらら
幸せになる資格

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26/62

明日も

ノアとエリン、急接近です。

 その日の夕方。エリンはリハビリテーション室の前でノアを待っていた。彼が出てくると、待ちきれなかったというように声をかけた。

「ノア!」

 ノアは微笑んだ。

「どうしたの?」

「今日、時間ある?」

 ノアは頷いた。

「じゃあ、少し歩かない?」

「いいよ」

 2人は病院から少し離れた川沿いの遊歩道を歩いた。9月の夕方は、8月よりも少し涼しくなっていた。木々の葉はまだ緑色だったが、ところどころに黄色が混じり始めていた。

 エリンはゆっくりと歩いていた。ノアはその隣を歩いていた。しばらくしてエリンが言った。

「ロバートさん、よかったね」

 ノアは頷いた。

「これからが大事だけど」

 そこから2人は、しばらく黙って歩いた。無言の時間さえも心地よかった。

 やがてエリンが言った。

「私ね、最近少し考えることがあるの」

 ノアは顔を向けた。

「何を?」

 エリンが穏やかな口調で言う。

「これからのこと……」

 エリンは続けた。

「この町に来たときは、ただ逃げたかっただけだった」

 ノアは静かに頷いた。

「誰にも見つからない場所で、静かに暮らせれば……それでいいと思ってた」

 エリンは川を見つめた。

「でも……最近は少し違うの」

 エリンは微笑んだ。

「ここでちゃんと暮らしていきたいと思うようになった」

 ノアは静かに頷いた。

「いいことだね」

 エリンは彼を見た。

「それに……」

 ノアが首を傾げた。

「それに?」

 エリンが言葉に詰まった。胸が高鳴った。それでも今は逃げたくなかった。

「1人じゃなくてもいいかなって……」

 ノアが足を止めた。エリンも立ち止まった。彼女はノアを見た。ノアは何も言わなかった。

 エリンは少しだけ頬を赤くした。

「変なこと言った?」

 ノアはゆっくりと首を振った。そして静かに微笑んだ。

「嬉しいよ」

 エリンが安堵する。

「よかった」

 ノアはしばらく彼女を見つめてから静かに言った。

「僕も最近少し考えることがあるんだ」

「何を?」

 ノアは少しだけ視線を落とした。

「これからのこと……」

 エリンは静かに微笑んだ。

「そうなんだ」

 ノアは頷いた。

「以前はあまり考えなかったんだけど。最近は少しだけ……」

 そこで言葉を止めた。エリンは彼を見た。

「少しだけ?」

「明日のことを考えるようになった」

 エリンは胸の奥が温かくなるのを感じた。

「いいことだね」

 ノアは、静かに笑った。

「そうだね」


 2人は再び歩き始めた。川沿いの道には夕日が差していた。エリンはノアの横顔を見て、意を決したように言葉をかける。

「ノア」

「うん?」

「手、繋いでもいい?」

 ノアは少し驚いた顔をした。エリンは緊張していたが目を逸らさなかった。

「うん……」

 エリンはそっと手を伸ばした。ノアも手を差し出した。2人の手が触れた。

 大きな手だった。古い傷跡があった。温かかった。エリンは静かにその手を握った。ノアも優しく握り返した。

 2人は何も言わなかった。ただ並んで歩いた。夕日が川面を赤く染めていた。

 エリンはずっと抱えていた恐怖が溶けていくような感覚を覚えた。不安がまったくないわけではなかった。それでもこの手を離さずにいたら、そうした恐怖や不安は吹き飛ぶような気がした。だからノアの手を離したくなかった。


 遊歩道の終わりに小さな橋があった。2人はその橋の手前で立ち止まった。エリンはノアを見た。

「ノア」

「うん?」

「私、あなたと一緒にいると安心する」

 エリンは続けた。

「それだけじゃなくて……」

 少しだけ息を吸った。

「楽しい」

 エリンは少し照れくさそうに笑った。

「何でもないことが楽しいの」

 ノアはゆっくりと頷いた。

「僕もエリンといると楽しい」

 エリンは胸が高鳴るのを感じた。

「本当に?」

「うん」

 ノアは頷いた。そして少しだけ真面目な顔になった。

「だから……これからも一緒に歩けたら嬉しい」

 ノアの言葉にエリンは喜びを隠せなかった。

「私も!」

 ノアは安心したように笑った。エリンは彼の手をもう一度握った。ノアも優しく握り返した。

 2人はしばらくそのまま立っていた。


 帰り道。2人は手を繋いだまま歩いた。特別な言葉は交わさなかった。でもエリンは感じていた。

 自分が少しずつ変わっていることを。以前は誰かに触れられることが怖かった。誰かを信じることが怖かった。誰かと未来を考えることが怖かった。けれど今は。ノアと一緒なら少しだけその先を見てみたいと思えた。

 そしてノアも。何も言わなかったけれど。その手を離さなかった。

 病院の駐車場に戻ったとき、エリンは足を止めた。

「ノア」

「うん?」

「明日も会えるね」

 ノアは小さく笑いながら答えた。

「同じ病院だからね」

 エリンも笑った。

「そうだけど……」

 少しだけ頬を赤くした。

「それでも嬉しいの!」

 ノアは静かに微笑んだ。

「僕もだよ」

「よかった……」

 2人はゆっくりと手を離した。エリンが車のドアを開けた。そして振り返った。

「おやすみ、ノア」

「おやすみ、エリン」

 エリンは車に乗った。エンジンをかける。窓を開けるとノアがまだ立っていた。

 エリンは手を振った。ノアも手を振った。そしてエリンは車を走らせた。


 その夜。ノアはキッチンで夕食の皿を洗っていた。窓の外はもう暗くなっていた。

 彼はふと手を止めた。そして自分の右手を見た。

 今日エリンが握ってくれた手。

「手、繋いでもいい?」

 その声が耳に残っていた。

 ノアは静かに息を吐いた。以前なら考えられなかったことだった。誰かと手を繋いで歩く。明日のことを考える。その人とまた会えることを楽しみにする。そんなごく普通のこと。

 ノアは自分の胸に手を当てた。胸の奥が温かかった。だが同時に少しだけ痛んだ。

 彼女は何も知らない。自分の過去を。自分がどんな人間だったのかを。

「いつか話さなければならない……」

 そう思った。

 でも今はまだその勇気がなかった。エリンが自分の手を怖がる姿を想像したくなかった。もう一度右手を見た。

「明日も会えるね」

 エリンの言葉が頭に浮かんだ。ノアは静かに微笑んだ。

「うん……」

 小さく呟いた。

「明日も」

 そして再び皿を洗い始めた。

 その夜、ノアは久しぶりに翌朝が来るのを楽しみにしていた。

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