ノアの料理
不器用でも一生懸命作ってくれた料理は最高に美味しいですよね。
ノア・ベネットが料理の練習を始めてから、2週間が過ぎた。
最初の失敗は卵だった。火を強くしすぎたせいで、フライパンの底にこびりついてしまった。
2度目はトマトだった。水分が出すぎて、炒め物というよりスープになった。
3度目は、塩を入れすぎた。4度目で、ようやく食べられるものができた。もっともそれを料理と呼んでいいのか、ノア自身には判断がつかなかった。
彼は出来上がった皿をテーブルに置きしばらく眺めた。黄色い卵と赤いトマト。見た目は、それほど悪くない。一口食べる。
「うん……」
悪くなかった。少なくとも最初の3回よりは。
そのとき携帯電話が鳴った。画面にはエリンの名前が表示されていた。ノアは電話に出た。
「もしもし」
「ノア? 今、大丈夫?」
「うん。どうしたの?」
「今度の日曜日のことなんだけど」
ノアは少し背筋を伸ばした。
「うん」
「本当にお料理を作ってくれるの?」
「そのつもりだけど」
電話の向こうで、エリンが笑った。
「よかった。楽しみにしてる」
ノアは目の前の皿を見た。
「あまり期待しないでね」
「どうして?」
「そんなに上手じゃないから」
エリンは、明るい声で言った。
「大丈夫よ。ノアが作ってくれるなら、それだけで嬉しいもの」
ノアは何も言えなくなった。
「ノア?」
「あ、うん」
「どうしたの?」
「……何でもない」
少し間を置いてノアは言った。
「ありがとう」
電話の向こうでエリンが笑った。
「どういたしまして」
ノアは静かに微笑んだ。
翌日の昼休み。エリンは病院のカフェテリアでエミリーと向かい合っていた。
「それで?」
エミリーが尋ねた。エリンは首を傾げた。
「何が?」
「日曜日よ」
「日曜日?」
「ノアの家に行くんでしょう?」
エリンは少し驚いた。
「どうして知ってるの?」
エミリーは得意そうに笑った。
「本人から聞いたの」
「ノアから?」
「ええ」
エミリーはコーヒーを一口飲んだ。
「昨日、休憩室で料理の本を読んでたから、何してるのか聞いたのよ」
エリンは思わず笑った。
「料理の本?」
「そう」
エミリーは頷いた。
「しかも初心者向けのやつ」
エリンは笑いをこらえた。
「そうなんだ……」
「それで何を作るのって聞いたら、エリンに食べてもらうんだって」
エリンは少し頬を赤くした。
「そんなふうに言ったの?」
「ええ」
エミリーは、にやりと笑った。
「何だか嬉しそうだったわよ」
エリンは視線を落とした。
「……そう」
エミリーはしばらく彼女を見ていた。そして少し真面目な顔になった。
「ねえ、エリン」
「何?」
「ノアのこと、好きなんでしょう?」
エリンは顔を上げた。以前ならすぐに否定していたかもしれない。でも今は違った。
彼女は少し考えた。そして静かに頷いた。
「うん」
エミリーは、驚いた顔をした。
「あら!」
エリンは微笑んだ。
「好きだと思う」
エミリーはしばらく何も言わなかった。そして嬉しそうに笑った。
「そっか……」
エリンは少し照れくさくなった。
「何よ」
「何でもない」
エミリーは首を振った。
「ただ嬉しいだけ……」
エリンは彼女を見た。エミリーは続けた。
「あなたが誰かを好きだって言えるようになったことが」
エリンは少し驚いた。よく見ればエミリーは少し涙を浮かべていた。
「ありがとう」
エミリーは頷いた。
「でも焦らなくていいからね」
エリンは彼女を見た。
「ノアはいい人だと思う」
エミリーは静かに言った。
「でもあなたが安心できる早さで進めばいいのよ」
エリンはゆっくりと頷いた。
「そうする」
日曜日。エリンは約束の時間より10分早くノアの家に着いた。車を停め玄関を見つめた。小さな平屋だった。庭はきれいに手入れされ、玄関脇には鉢植えの花が並んでいた。窓には薄いカーテンが掛かっていた。派手さはないが落ち着いた家だった。
エリンは少しだけ緊張していた。ノアの家に来るのは初めてだった。
彼が普段どんな暮らしをしているのか。何を大切にしているのか。どんなものに囲まれているのか。少しだけ知りたかった。
エリンは深呼吸をしてから玄関のベルを押した。しばらくすると扉が開いた。ノアが立っていた。
「エリン、早かったね」
少し驚いた顔をした。エリンは笑った。
「ごめん。早く着いちゃった」
ノアは微笑んだ。
「大丈夫。どうぞ」
エリンは家の中に入った。
居間は思っていた以上に簡素だった。小さなソファ。木製のテーブル。本棚。壁にはほとんど飾りがなかった。テレビもあまり大きくなかった。本棚には医学書や歴史書、小説が並んでいた。部屋はきれいに片づいていた。
エリンは少しだけ驚いた。
「本が多いね」
ノアは微笑んだ。
「うん」
「全部、読んだの?」
「半分くらいかな」
エリンは笑った。
「それでもすごい」
ノアは少し照れくさそうに笑った。
「時間があると、つい買ってしまうんだ」
エリンは部屋を見回して気づいた。
写真がほとんどない。家族写真も。旅行先で撮った写真も。唯一棚の端に小さな写真立てが1つ置かれていた。
そこには大学の卒業式らしい写真が入っていた。2人の若い男性が肩を組んで笑っていた。
1人はノアだった。今より少し若く、髪も短かった。もう1人は明るい笑顔の男性だった。
「これ、ノア?」
ノアは顔を上げた。
「大学の卒業式のときだよ」
エリンは写真を見つめた。
「隣の人は?」
ノアは懐かしそうに笑った。
「ダニー」
「ダニー?」
「うん。大学の友達」
エリンは、写真を見た。
「仲がよさそう」
ノアは頷いた。
「大切な友達なんだ」
エリンは少し驚いた。ノアがそんなふうに誰かのことを話すのは初めてだった。
「今も会うの?」
「たまに電話するよ」
ノアは微笑んだ。
「離れたところで仕事をしているから、なかなか直接会うことができないんだ」
「そうなんだ」
ノアは写真を見て小さく笑った。
「昔から賑やかな奴でね」
エリンも笑った。
「ノアとは正反対?」
ノアは頷いた。
「そうだね。でも不思議と気が合うんだ」
エリンは写真をもう一度見た。ノアは今よりずっと無邪気に笑っていた。その笑顔が少しだけ嬉しかった。
キッチンからいい匂いが漂ってきた。エリンは顔を上げた。
「何を作ってるの?」
ノアは少し困ったように笑った。
「トマトと卵の炒め物」
エリンは笑った。
「本当に?」
「うん」
「楽しみ」
ノアは少しだけ照れくさそうに微笑んだ。
「あまり期待しないで」
エリンは首を振った。
「期待してるよ」
ノアは苦笑した。
「困ったな」
エリンは笑った。
食卓にはトマトと卵の炒め物のほかに、グリーンサラダとパンが並んでいた。
「すごい」
エリンが目を丸くすると、ノアは少し照れくさそうに笑った。
「簡単なものばかりだけど」
「そんなことないよ」
エリンは微笑んだ。
「美味しそう」
ノアはホッとしたように笑った。
2人は席に着いた。
エリンは一口食べて顔を上げた。
「美味しい!」
ノアはエリンの顔を覗き込みながら不安な表情をしていた。
「本当に?」
「うん!」
エリンは頷いた。
「すごく美味しい!」
ノアはようやく安心したように笑った。
「よかった」
「これ何回くらい練習したの?」
ノアは少し考えた。
「4回くらい」
エリンは驚きを隠せない。
「4回?」
「うん」
思わず笑ってしまうエリン。
「そんなに?」
ノアは少し困ったように笑った。
「最初は、ひどかったから」
エリンは食べる手を止めて、静かに言った。
「ありがとう……」
エリンは、彼を見た。
「私のために練習してくれたんでしょう?」
ノアが照れたように俯く。
エリンは静かに微笑んだ。
「嬉しい……」
ノアはゆっくりと頷いて小さく笑った。
「よかった……」
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