独立記念日
焼きトウモロコシ、美味しいですよね。
7月に入ると、町のあちこちに星条旗が飾られるようになった。メインストリートの街灯には赤と白と青のリボンが巻かれ、商店のショーウィンドウには星形の飾りが並んだ。住宅街でも玄関先に国旗を掲げる家が目立つようになった。
7月4日。独立記念日が近づいていた。この町では、毎年午前中にパレードが行われ、午後から川沿いの公園で祝賀イベントが開かれる。夕方には地元のバンドによる演奏があり、夜には花火が打ち上げられるという。町の規模を考えれば、なかなか盛大な催しだった。
エリン・ウォーカーは、その話をマーサ・ミラーから聞いた。
「この町の人間はね、独立記念日となると妙に張り切るのよ」
マーサは店のカウンターで、赤いリボンを結びながら言った。
「消防団は1週間も前から準備してるし、教会では焼き菓子を何百個も配るし」
「楽しそうですね」
エリンが言うと、マーサは笑った。
「楽しいわよ。ウォルターなんて、毎年バーベキューの味付けに口を出して、消防団の若い連中に嫌がられてるんだから」
奥の棚で商品を並べていたウォルターが顔を上げた。
「嫌がられてなんかいない!」
「あら、去年は何て言われたんだっけ?」
「気に入らないなら食べなくていいって」
「思い切り嫌がられてるじゃない」
エリンは思わず笑った。ウォルターは肩をすくめた。
「若い連中は、この町伝統の味付けがわかってないんだ」
「とにかく今年は黙って食べることね」
「それじゃ俺の出番がないだろう」
マーサは呆れたようにため息をついた。
エリンは2人のやり取りを見ながら、胸の奥が温かくなるのを感じていた。こんなふうに言い合いをしていても、互いを傷つけようとしているわけではない。言葉の端々に、長い年月を共に過ごしてきた夫婦ならではの親しさがあった。
以前のエリンなら大きな声で言い合う2人を見ただけで、身構えていたかもしれない。しかし今は笑っていられた。
「エリンも来るんでしょう?」
マーサが尋ねた。
「ええ。エミリーに誘われています」
マーサは満足そうに頷いた。
「せっかくだもの。楽しんでらっしゃい」
「はい」
エリンは微笑んだ。
病院でも独立記念日の話題で持ちきりだった。祝日は外来診療の多くが休みになるものの、入院病棟はいつもどおり動いている。看護師たちは交代で勤務に入り、休みを取れる者と取れない者がいた。エリンは幸い4日を休みにしてもらっていた。
「ねえ、エリン」
昼休みエミリーがサンドイッチを片手に声をかけた。
「花火、楽しみね。去年より規模が大きいんですって」
「そうなの?」
「ええ。あと消防団のハンバーガーが美味しいの。これは食べないとね」
エリンは笑った。
「マーサさんからも聞いたわ」
「ウォルターさん、また味付けに口を出すのかしら」
「それ有名なの?」
2人は笑った。
エミリーはコーヒーを一口飲んで、何気ない調子で言った。
「ノアも誘ってみようかな」
エリンは顔を上げた。
「ベネットさん?」
「前に食事に誘ったときは予定が合わなかったでしょう? 今度こそ来てもらいたいわ」
エリンは頷いた。
「いいと思う」
エミリーは、彼女の顔を見た。
「あなたもそう思う?」
「ええ」
エリンは微笑んだ。
「ベネットさん、いつも仕事ばかりしていらっしゃるから」
「そうなのよねえ」
エミリーはため息をついた。
「休みの日くらい、もう少し遊べばいいのに」
翌日、エミリーはリハビリテーション室の前でノアを見つけた。
「ノア!」
ノアが振り返った。
「エミリーさん。お疲れさまです」
「4日の夜、予定ある?」
ノアは少し考えた。
「特にはありませんが」
「じゃあ、決まり!」
「何がですか?」
「独立記念日の花火よ。エリンと一緒に見に行くの」
ノアは少し驚いた。
「そうなんですね」
「あなたも来ない?」
ノアが少し考え込む。エミリーは眉を上げた。
「何よ。また断るつもり?」
「いえ、そういうわけでは……」
「じゃあ、来る?」
ノアは少し困ったように笑った。
「僕がご一緒してもよろしいんでしょうか」
エミリーは呆れた顔をした。
「よくないなら誘わないわよ」
「そうですね」
ノアは小さく笑った。
「ではご一緒させていただきます」
エミリーは笑った。
「友達と遊びに行くのに、そんな言い方しないの」
ノアは少し照れくさそうに微笑んだ。
「わかりました」
「よし!」
エミリーは満足そうに頷いた。
「じゃあ詳しい時間はあとで連絡するわね」
ノアは頷いた。
「ありがとうございます」
エミリーは立ち去りかけて、ふと振り返った。
「ねえ、ノア」
「はい?」
「エリンにもう少し気楽に話してもいいんじゃない?」
ノアは首を傾げた。
「どういうことでしょう?」
「だってあなたたち、いまだにベネットさん、ウォーカーさんでしょう?」
ノアは少し考えた。
「そうですね……」
「同じ病院で、もうずいぶん一緒に働いてるのに」
ノアは微笑んだ。
「ウォーカーさんが、そう呼んでくださるので」
エミリーは、少し目を細めた。
「ふうん」
ノアは不思議そうに彼女を見た。エミリーは肩をすくめる。
「まあ、いいわ。じゃあ4日にね」
「はい」
エミリーが去ったあと、彼はしばらく廊下に立っていた。
「気楽に……か」
エミリーの言葉を心の中で反芻した。
ウォーカーさんと話す時間は心地よい。それは確かだった。だが、だからこそどこかで距離を保とうとしている自分もいた。彼女はようやく安心して暮らせる場所を見つけたのだ。その穏やかな日々を自分のせいで乱したくはなかった。
ノアは小さく息を吐き、仕事へ戻った。
7月4日。朝から町は賑やかだった。
メインストリートでは、消防車を先頭にパレードが行なわれた。消防団員たちは沿道の子供たちに手を振り、地元の高校のマーチングバンドが演奏しながら通り過ぎた。荷台を飾りつけたトラックには、町の商店や団体の人々が乗っていた。沿道には折り畳み椅子が並び、家族連れが星条旗の小旗を振っていた。
エリンは午前中ミラー夫妻と一緒にパレードを見物した。消防車が通るたびに、ウォルターが昔の車両との違いを説明してくれた。マーサはそのたびに「はいはい」と相槌を打っていた。
午後になると、エリンは一度自宅へ戻った。シャワーを浴び、薄い水色のブラウスとジーンズに着替えた。
鏡の前に立つ。少し迷ってから、髪を下ろした。
いつも仕事中は後ろでまとめているので、何だか落ち着かなかった。それでも、悪くないと思った。
玄関へ向かいかけて、ふと足を止めた。
「どうしてこんなに服装を気にしてるんだろう?」
エリンは少し笑った。久しぶりの外出だから。きっとそれだけだ。そう自分に言い聞かせて、家を出た。
夕方18時。川沿いの公園は大勢の人で賑わっていた。芝生の上にはピクニック用のブランケットや折り畳み椅子が並び、家族連れが思い思いの場所で食事を楽しんでいた。屋外ステージでは、地元のカントリーバンドが演奏していた。公園の一角には食べ物を販売するテントが並び、焼いたハンバーガーやホットドッグの匂いが漂っていた。バターを塗った焼きトウモロコシを売る店もあった。子供たちは綿菓子を持って走り回り、大人たちはビールやレモネードを片手に談笑していた。
エリンが待ち合わせ場所に着くと、エミリーが大きく手を振った。
「エリン!」
「こんばんは」
「こんばんは! 早かったわね」
「あなたも」
「私は食べ物が目当てだから」
エミリーは笑った。
その隣にはノアが立っていた。白い半袖シャツに紺色のチノパンという、飾り気のない服装だった。いつもの仕事着とは違う。
エリンは少しだけ目を奪われた。
「こんばんは、ウォーカーさん」
ノアが微笑んだ。
「こんばんは、ベネットさん」
「今日は晴れてよかったですね」
「ええ。本当に」
2人が微笑み合う様子をエミリーは見ていた。そしてわざとらしくため息をついた。
「あなたたち、本当に変わらないわね」
エリンは首を傾げた。
「何が?」
「呼び方よ、呼び方」
エミリーは2人を交互に指さした。
「ベネットさん、ウォーカーさんって」
ノアは困ったように笑った。エリンも少し笑った。
「もう慣れてしまったのよ」
「職場の仲間なんだから、もっと早くファーストネームになるでしょう?」
「そうね」
エリンは頷いた。
「でも何となく」
エミリーは肩をすくめた。
「まあ2人がいいなら構わないけど」
そしてにやりと笑った。
「今日は仕事じゃないんだから、少しは気楽に楽しみなさいよ」
3人は食べ物のテントを見て回った。エミリーはハンバーガーを買い、エリンはレモネードを注文した。ノアは焼きトウモロコシを1本買った。
「ベネットさん、トウモロコシがお好きなんですか?」
エリンが尋ねた。
「ええ。見かけるとつい食べたくなります」
「そうなんですね」
「ウォーカーさんも、いかがですか?」
ノアはまだ手をつけていないトウモロコシを少し持ち上げた。
エリンは笑った。
「ありがとうございます。でも私は後で買います」
「そうですか」
ノアは微笑んだ。
「美味しいですよ」
エミリーが横から口を挟んだ。
「ノア、あなた甘いものだけじゃなくてトウモロコシも好きなのね」
「はい」
「嫌いな食べ物ってある?」
ノアは少し考えた。
「あまり思いつきません」
エミリーは笑った。
「何でも食べるの?」
「そうですね」
「子供の頃、好き嫌いしなかった?」
ノアの表情が、ほんの一瞬だけ変わった。しかしすぐに微笑んだ。
「食べ物を選べるような環境ではなかったので」
エミリーは少し驚いた。
「あら、ごめんなさい。変なこと聞いちゃった?」
「いえ」
ノアは首を振った。
「昔の話です」
エリンは黙って彼を見た。
ノアは穏やかに笑っていたが、エリンはその言葉が少し気になった。食べ物を選べるような環境ではなかった。
彼は自分の子供時代について、ほとんど話さない。それは以前から知っていた。何かを聞こうとは思わなかった。聞かれないことが、ありがたいときもあることを彼女自身がよく知っているからだ。
19時を過ぎた頃、エミリーの携帯電話が鳴った。画面を見て、彼女は顔をしかめた。
「どうしたの?」
エリンが尋ねた。
「病院から」
エミリーは少し離れたところへ移動して電話に出た。数分後、戻ってきた彼女は申し訳なさそうな顔をしていた。
「ごめん、2人とも」
「何かあったの?」
「夜勤の看護師が急に体調を崩したみたい。代わりに入れないかって」
エリンは心配そうに言った。
「大丈夫なの?」
「ええ。引き受けたわ。明日は休みだし」
エミリーは苦笑した。
「花火、見たかったんだけどね」
ノアが言った。
「お気をつけて」
「ありがとう」
エリンも頷いた。
「無理しないでね」
「わかってる」
エミリーは2人を見比べた。そして少しだけ悪戯っぽく笑った。
「じゃあ2人で楽しんで」
エリンは頷いた。
「ええ」
ノアも微笑んだ。
「はい」
エミリーは手を振り、人混みの中へ消えていった。
2人きりになった。
エリンは少しだけ緊張した。ノアと話すことは、これまでにも何度もあった。病院の中庭。駐車場。ミラー夫妻の店。2人きりで話すこともあった。
しかしこうして仕事と関係のない場所で、2人きりになるのは初めてだった。ましてや先日、自分の過去を話したばかりだ。緊張するなというほうが無理である。
ノアも少し戸惑っているようだった。
「どうしましょうか?」
彼が尋ねた。
エリンは少し考えた。
「せっかくですし、花火を見ませんか?」
ノアは微笑んだ。
「そうですね」
2人は川沿いの遊歩道へ向かった。公園の中心部から少し離れると人の数が減った。川面には夕焼けの名残が淡く映っていた。
向こう岸には花火の打ち上げ場所が見えた。立入禁止のロープが張られ、作業員たちが準備を進めていた。エリンは手すりのそばに立った。ノアは少し離れたところに立った。
「綺麗ですね」
エリンが言った。
「ええ」
ノアは頷いた。
「この町の独立記念日は、初めてですか?」
「はい」
「そうですか」
ノアは微笑んだ。
「楽しんでいただけるといいんですが」
エリンは笑った。
「もう、十分楽しいです」
ノアは少し驚いた顔をした。
「そうですか?」
「ええ」
エリンは川を見つめた。
「こういうところに来られるようになったことが嬉しいんです」
ノアは黙っていた。エリンは少しだけ彼を見た。
「以前は人が多いところが怖かったので」
ノアは静かに頷いた。
「でも、今日は大丈夫です」
ノアは、少し安心したように笑った。
「それは、よかったです」
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