雨の駐車場にて
エミリーはヘイリー・ルー・リチャードソンさんを想像して読んでください。感情表現が巧みな彼女は、からかい上手のエミリーにピッタリだと思います。
6月の半ば、町には3日続けて雨が降っていた。川の水位が少し上がり、病院の駐車場にいくつもの水たまりができていた。朝から空は暗く、午後3時を過ぎる頃には廊下の照明をつけなければならないほどだった。
エリン・ウォーカーは、ナースステーションの窓から外を眺めていた。雨は嫌いではなかった。以前はむしろ好きだった。休日に窓辺で本を読みながら雨音を聞くのは、彼女にとってささやかな楽しみの一つだった。
だがいつからか雨の日が苦手になっていた。デレクが機嫌を悪くする日は、雨の日が多かったような気がする。もちろん実際にそうだったのかはわからない。ただ暗い空と窓を叩く雨音が、彼の怒鳴り声を思い出させることがあった。
「エリン」
エミリーに呼ばれ、彼女は振り返った。
「ハーパーさん、今日退院するのよね?」
「ええ、午後4時の予定」
「やっとだねえ」
エミリーは笑った。
「最初はどうなることかと思ったわ」
「本当に」
エリンも笑った。
ジョージ・ハーパーは入院当初、病棟でも有名な頑固者だった。薬を飲むのを嫌がる。検査に文句を言う。リハビリテーションの予定を伝えれば、決まって不機嫌になる。それが最近はずいぶん穏やかになっていた。
歩行器を使って廊下を歩けるようになり、退院後の生活に向けた準備も進んでいた。何より本人の表情が明るくなっていた。
「犬に会えるのが、楽しみなんでしょうね」
エリンが言うと、エミリーは頷いた。
「そうでしょうね。昨日なんて犬の写真を3枚も見せられたわ」
「私は5枚」
「負けたぁ」
2人は笑った。
午後4時。ジョージは病室のベッドに腰掛け、退院の準備を終えていた。迎えに来た隣人が荷物をまとめている。
「ハーパーさん、忘れ物はありませんか?」
エリンが尋ねた。
「ねえよ」
ジョージがぶっきらぼうに答えた。
「薬の説明書はこちらに入れてあります」
「わかった」
「次の診察日は来週の火曜日です」
「それも聞いた」
エリンは微笑んだ。
「念のためです」
ジョージは鼻を鳴らした。
「お前さんもずいぶんしつこくなったな」
「誰かさんの影響かもしれませんね」
「ノアか」
「さあ、どうでしょう?」
いたずらっ子のようなエリンの表情に、ジョージは笑った。
そのとき病室のドアがノックされた。
「失礼します」
ノア・ベネットだった。
「ジョージさん、退院おめでとうございます」
「おう」
ジョージは顔を上げた。
「いいところに来たな。お前を待ってたんだ」
「そうでしたか」
「ちょっとこっちに来てくれ」
ノアはベッドのそばへ近づく。ジョージはしばらく彼を見つめていた。
そしてゆっくりと立ち上がった。杖をつきながら慎重に。
ノアはすぐに手を出そうとはしなかったが、転倒しないようすぐそばで見守っていた。
ジョージは立ち上がると、ノアに右手を差し出した。
「ありがとう。世話になったな」
ノアは少し驚いた顔をしてから微笑んだ。
「こちらこそ、ありがとうございました」
2人は握手をした。
ジョージはノアの手を強く握った。
「お前がいなかったら、俺は途中で諦めてたと思う」
「そんなことはありませんよ」
「そんなことあるんだよ」
ジョージは言い切った。
「俺は自分がこんなに弱くなったってことが、腹立たしかったんだ」
ノアは黙って聞いていた。
「何でも1人でできたのに、急に人の世話にならなきゃならなくなった」
ジョージは小さく息を吐いた。
「情けなくてな……」
エリンは、そっと視線を落とした。
ジョージは続けた。
「でもお前は一度も俺を子供扱いしなかった」
ノアは何も言わなかった。
「できないことを言うんじゃなくて、できたことを見つけてくれた」
ジョージは少し照れくさそうに笑った。
「本当にありがとな」
ノアは静かに頷いた。
「こちらこそ」
その声は、いつもより少し小さかった。
ジョージは握手を終えると、エリンに目を向けた。
「ウォーカーさん」
「はい」
「お前さんにも世話になった」
エリンは微笑んだ。
「こちらこそ」
「最初の頃はずいぶん怒鳴っちまったな」
「そうですね」
エリンは、少し笑った。
ジョージも笑った。
「悪かった」
エリンは驚いた。
「謝ることではありませんよ。慣れない入院生活、戸惑ってしまうのは当然ですから」
「いや謝っとく」
ジョージは真面目な顔になった。
「お前さんが悪いわけじゃなかったからな」
その言葉を聞いた瞬間、エリンは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「ありがとうございます。そう言っていただけると救われます」
ジョージは頷いた。
「じゃあな」
そして隣人に支えられながら、病室を出ていった。
ジョージを見送った後、エリンとノアは病棟の廊下を歩いていた。
「よかったですね……」
エリンがそう言うと、ノアは微笑んだ。
「無事に退院できて本当によかったです」
「ハーパーさん、最初の頃とは別人みたい」
ノアは少し笑った。
「でもあの方らしさは変わっていませんよ」
エリンは笑った。
「確かに!」
2人はしばらく歩いた。やがてエリンが言った。
「ベネットさん。今日のハーパーさん、嬉しかったでしょうね。ベネットさんにちゃんとお礼を言えて」
ノアは少し驚いた顔をした。
「そうでしょうか?」
エリンは微笑んだ。
「ずっと言いたかったんじゃないでしょうか?」
ノアは少し考えて静かに頷いた。
「そうかもしれませんね」
「ベネットさんは?」
「はい?」
「嬉しかったですか?」
ノアは微笑んだ。
「もちろんです」
「そうですか」
エリンは頷いた。そして少しだけ言葉を選んだ。
「よかった」
ノアは、彼女を見た。
「何がですか?」
エリンは少し照れくさくなった。
「ベネットさんが嬉しそうだったので」
ノアは静かに微笑んだ。
「ありがとうございます」
その声はいつもより少し柔らかかった。
その日の勤務が終わったのは午後7時過ぎ。雨はまだ降っていた。
エリンは更衣室で着替え、駐車場へ向かった。傘を差しても風に吹かれた雨粒が顔に当たった。
車に乗り込みエンジンをかけようとした。だがキーを回してもエンジンはかからなかった。
「え?」
もう一度試す。
小さな音がするだけだった。
エリンは眉をひそめた。
3度目。
やはりかからない。
「嘘でしょう……」
彼女はシートに背中を預けた。
車には詳しくない。バッテリーだろうか? それとも別の故障だろうか? 携帯電話を取り出し、ロードサービスの番号を調べた。
そのとき運転席の窓を軽く叩く音がした。
エリンの身体が跳ねた。
振り返る。
窓の外に男が立っていた。
一瞬息が止まった。
しかしすぐに見覚えのある顔だとわかった。
ノアだった。
エリンはゆっくりと窓を少し開けた。
「すみません。驚かせてしまいましたか?」
エリンは息を整えた。
「いえ。どうかしましたか?」
「まだ駐車場にいらしたので、何かあったのかと思いまして」
「実はエンジンがかからなくて」
ノアは少し考えた。
「よろしければ見てみましょうか?」
エリンは迷った。
車の故障を見てもらうだけだ。それなのに誰かに助けを求めることにはまだ抵抗があった。
「でもお疲れでしょう?」
ノアは微笑んだ。
「大丈夫ですよ。急いで帰らなければならないわけでもありませんから」
エリンは少し考えてから頷く。
「お願いします」
その言葉に笑顔で答えたノアは、雨の中で車の状態を確認した。エリンも傘を差して外に出た。
「バッテリーが弱っているのかもしれませんね。断定はできませんが……」
ノアが自分の車を指さした。
「ジャンプスターターを積んでいるので、試してみてもいいですか?」
エリンは驚いた。
「そんなものまで持っていらっしゃるんですか?」
ノアは少し照れくさそうに笑った。
「以前困ったことがあったので。無理に動かさないほうがいい場合もありますから、様子を見ながらにしましょう」
エリンは少し安心した。彼は何でも知っているふりをしなかった。できることと、わからないことを、きちんと分けて話してくれた。
しばらくしてエンジンがかかった。
「あっ!」
エリンは思わず声を上げた。
「ありがとうございます!」
エリンは心から言った。
「本当に助かりました」
「いえ」
ノアは道具を片づけた。
「ただバッテリーの状態は、明日以降に整備工場で確認してもらったほうがいいと思います」
「はい。そうします」
エリンは頷いた。
そのときノアの肩がすっかり濡れていることに気づいた。
「ベネットさん、ずぶ濡れじゃないですか……」
ノアは自分の肩を見た。
「ああ……そうですね」
「そうですね、じゃありませんよ」
エリンは思わず笑った。
「風邪をひいてしまいます」
ノアは困ったように笑った。
「大丈夫ですよ」
「駄目です」
エリンは少し強い口調で言った。
「今日はちゃんと温かくして休んでください」
ノアは少し驚いた顔をした。
「わかりました」
エリンがノアの目をじっと見る。
「約束ですよ」
ノアは笑った。
「はい。約束します」
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