9 神秘の真実とメンテの現実
ガイが年下の獣人を大人げなく威圧していることなど、全く耳に入らない様子でリンがブツブツと文字の解析を続けていた。
壁画の上から差し込む光を頼りに、一心不乱に細かく記された文字に目を落とし忙しなく光のペンを空に滑らせ、訳文を組み立てる。
「黒い風の?いや、…昆虫の隠語か。こっちは魔法構文じゃねぇな。回路と伝導の仕組みか?…工学分野っぽいな、…なんだ?」
しばらく、古代の文字と格闘をしていたリンだったが、やがて盛大なため息をついて、リリアーヌとその後ろのエレオノーラを振り返り、首を振った。
「……こいつは……ただの『電撃殺虫器』の起動キーだ。……経年劣化でどこか一部が欠けたせいで作動しねぇんだ。神の怒りどころか、ただの『機械の故障』だ」
「あら。…害虫駆除の魔道具だったの?まぁ、『害虫』の駆除は大事ですもの、確かに疎かにはできませんわね」
滑るように扇子を開き、頷くエレオノーラが指し示す「害虫」とは、果たして何なのか。
「要するに、旧式魔道端末の故障なのね?」
徹底した現実主義者のエレオノーラは、神への気遣いなど持ち合わせてはいない。淡々と事実の確認をするだけだ。
だが、敬虔な信仰心を持つアギルはそうもいかない。
「か、神の神具だぞ…、そんな馬鹿な!!」
ショックにうち震え、古代文字の前に座るリンをすがるように見つめる。リンはただ肩をすくめるだけである。
「落ち着きなさいませ。祈りの対象がガラクタだったとしても、信仰する神の尊さは変わりませんわ」
エレオノーラの落ち着いた声が冷たい水のように静かに響いた。
「それで、この装置の故障と『黒い竜巻』の因果関係はあるのかしら?」
「…ある。こいつが駆除してるのは魔虫『暗黒の暴食者』だ」
「『暗黒の暴食者』?」
アルテミス王国では馴染みのない名前にガイが首をかしげた。
「でっかいイナゴの群れだ。この地域じゃ今頃大量発生してスタンピートを起こすらしい」
細かく記された文字をなぞるようにリンが指を滑らせる。どうやら、その箇所に説明が書かれているようだった
「この壁画――見た目は祭壇だが、中身は魔導迎撃装置だ。『暗黒の暴食者の異常発生を感知すると、座標を特定して高電圧で焼き払う仕組みになっている」
エレオノーラがちらりとアギルをうかがい見ると、ネコ科特有の目をきょとんと丸くしていた。
「魔虫のスタンピートだと?公国ではまず確認されない事象だ」
「それって、公国に被害が出る前に原因そのものを消滅させちゃってたってこと?」
格式高い壁画は歴史を感じさせる重厚なものであったが、その反面そのような技術が搭載されているとは到底思えない古めかしさがある。
性能の意外性にガイが思わず声を上げる。
「ああ。だが座標の特定をするピースが欠けて狙いがずれちまった。六度の『黒い竜巻』はこの付近で発生したんじゃなくて、この付近まで仕留めそこなった結果だな。ギリギリまだ公国を護ってる」
「毎年遠くの東の空に輝く、『神の光』と俺たちが祈っていた輝きはそれだったのか…」
「『黒い竜巻』の正体は神罰なんかじゃねぇ。大量発生した『暗黒の暴食者の群れだ。お前らが『神の光』と呼んでたのは、それを焼く払う迎撃機構の放電だ」
神の神秘の真実に触れ、アギルが釈然としない顔で呆然している。
「そう、分かりましたわ。…で、『機械の故障』なら、あなたが何とかできますわね、リンネ」
文字の解読を終えたのでお役御免と構えていたリンが固まる。
「…は?」
「以前、カイルに魔法工学の基礎を叩き込むと言われて引きずられていったじゃないの」
「いや!無理だろ、基礎しか知らねぇよ!専門外だ!!」
エレオノーラの目が強い光を放ち、口許の扇子がパチリと閉じられた。口答えを許さない時のエレオノーラの癖である。
「基礎が分かっていれば、応用は実践で学ぶものです。やりなさい」
「無茶苦茶だ!カイルだって素人の修理は良くないって言ってた!!」
何度だって抵抗を忘れてはいけない。例え無駄だとわかっていても、いつかは聞いてもらえるかもしれないのだから。
ただ、残念ながら「いつか」が今日ではなかっただけだ。
手元の扇子をパシリと鳴らし、エレオノーラは優雅に微笑む。
「やりなさい」
リンは神の神秘より理不尽の方がよほど恐ろしいと知りながら、力なく「…はい」と、項垂れた。




