10 竜巻の脅威と凡人の嘆き
渋々と壁画に向かい、クルクルと手元でペンを回すリンの横にストンとガイがしゃがみ込む。
「何とかなりそう?」
「とにかく応急処置で凌ぐ。あとでエレオノーラ様に変態工学者カイルを派遣してもらえばいいだろ。あと、俺の手に負えない文字の解読はシオンに見てもらった方がいいかもな」
古い魔道具の複雑な設計を眉を寄せながら何度も見返した。本体そのものの修理は、今の道具と時間では無理だ。ならば欠けた機能だけを外付けの魔法で補うしかない。
座標を固定する魔法を付与する方針を決めると、リンは、ガイにチラリと目をやり、軽くうなずいた。
魔法を付与しようとしたその時、外が急に騒がしくなった。
それまでおとなしくしていたアギルの耳がピンと立ち、ビリビリとした気を放つ。
騒然とする神殿内で誰かの悲鳴が聞こえた。
「黒い竜巻だ!いや、大量の虫が…!」
神殿から見える空を覆いつくす『暗黒の暴食者』が、太陽の光を遮っていた。
あたりに夜のような闇が落ち、砂漠の黄金色は一瞬でくすみ、無数の羽音が大地そのものを震わせるように轟く。
「…チッ。のんきにメンテしてる場合じゃねぇな!ガイ、神殿に防御魔法だ。てめぇは無暗に飛び出すんじゃねぇ!下がってろ!」
外に飛び出そうとするアギルを制し、リンが光のペンで素早く魔道数式を組み上げる。
虚空に指先を走らせるたび、ペン先から青白い光の粒が零れ、空間に緻密な数式が編み上げられていく。
完全なる天地の象徴である六芒星をベースとし、幾何学模様といくつもの文字を組み合わせ複雑な図形を二重丸で閉じる。
その瞬間にガイがその目で魔方陣を映し出し膨大な魔力で完璧に複写し、展開した。
「早い…!!」
眩い光が神殿を包み込み、それに触れる暗黒の暴食者を焼き焦がしていく。その強大な魔法の威力にアギルは息をのんだ。
魔法の仕組みを学んだことがある。魔方陣に魔力をつぎ込むことによって生じるエネルギーだ。
だが、他人の組み上げた魔方陣をこれほどの精度で発現するなど聞いたことがない。
「本来なら魔方陣の構築に数時間、発動にも相応な儀式を必要とするレベルだ…」
この危機的状況の中で、しかしアギルはその美しさに言葉を失った。
…その騒動の中、リリアーヌはいまだにじっと壁画を見つめていた。
「素敵な壁画なんだけど、何かが足りない気がするわ…」
そして隅の方に描かれた小さな花に気が付いた。
愛らしい花の中心部が少し欠けている。違和感の正体はこれに違いない。
…小さな穴がすごく気になる。首元のネックレスに手を当てて、そういえばと思い出す。
「先日、お姉さまからいただいたこの薔薇色の真珠。サイズがピッタリじゃないかしら?」
嵌めてみたい。どうしても試してみたい。
欲望を抑えきれず、リリアーヌはネックレスからそっと真珠を外す。
その間にも次々と現れる数の暴力に、リンとガイがジリジリと追いつめられていく。
ブンブンと響く羽音が不気味な圧となってのしかかる。ジワリと汗が浮かんだ。
「リン!これ、結構まずいかも……!!!」
「……っく、分かってる!数が多すぎるんだ、全部ヤるには魔力が足りねぇ!!」
リンの叫びが羽音に掻き消されようとしたその時――。リリアーヌがネックレスから外した薔薇色の真珠を、迷いなく壁画の穴へと押し込んだ。
「えいっ!」
カチリ、と小さな、けれど決定的な音が神殿に響く。
「まあ!すごいわ!!ぴったりはまる上にお花もすごく綺麗になったわ!!!」
リリアーヌが歓喜の声を上げた瞬間、リンとガイの魔法によって光を帯びていた神殿が、目も明けていられないほどの強い輝きを放った。
古代の魔道端末の回路が最適解を得たのである。
それは、一瞬にしてあたり一面を白く染め上げた。
空を覆う禍々しい黒さも、神殿も、砂漠の砂の一粒も余さずに。
時間の概念さえ存在しないその光が、スッと収まるとあたりは静謐な空気に満ちていた。
光の中心、祭壇の前のリリアーヌだけが神秘の輝きを残し壁画の前に立っていた。
自らの真珠を使い、壁画の花を完成させた喜びでパンと合わせた手が、まるで祈りのようである。
誰もが言葉を失い呆然とする中、いち早く状況を理解したリンがガックリと肩を落とす。
「…ああいう閃き型の天才が、凡人の努力を踏みにじるんだよ」
ガイが何とも言えない顔でリンの肩を叩く。
「さすがは私の天使!!!」
「太陽神の遣わした、最愛の月の女神か!!!」
エレオノーラとアギルの叫びはほぼ同時であった。




