6 黒い竜巻の脅威と調査命令
想像以上に図太い公国のプリンスはさておき、リンは小さな違和感を感じ取り、静かに警戒していた。
未だ続く稲光に、楽しげだった給仕の獣人たちが、一瞬だけ目を見合わせ、耳を伏せて震える。
その「本能的な怯え」を、淑女を演じながらも、リンは見逃さなかった。するりとエレオノーラの背後に回り、可愛らしい内緒話のように囁く。
「今の雷、ただの悪天候じゃねぇ。給仕たちの怯え方が異常だ。……嫌な風が吹いてやがる」
「あら、そうなの…」
眉ひとつ動かさずにエレオノーラが流れるような所作で扇子を開いた。そしてアムン・ラ大公に向かって、ゆったりと困ったように微笑んだ。
「…ところで大公閣下。先ほどの雷には驚かされましたわ。 公国の夜は、いつもこのように騒々しいのかしら?」
「いや、あの様な落雷は珍しいことで、その、…滅多にあることではないの、だが…」
獣人は基本的に嘘が下手である。忙しなく目が動き、尾がゆらゆらと揺れている。しかし根が善良な彼らが客人を不安にさせまいと気遣っているだけだというのも確かである。
狡猾さを人の形にしたようなエレオノーラはわずかに目を伏せた。頭の中で算盤を弾く。大公に視線を合わせたときには、損得勘定をしっかりと終えていた。ーー恩を売る方が得である、と。
そっとその手を取り、慈愛に満ちた優しい声音で囁きかける。
「私たちはお互いに良い隣人ですわ。私が連れてきた魔導士達は優秀ですのよ?お役に立てることが有るかもしれませんわ」
天使の誘惑は悪魔の囁きとよく似ている。見分けるのは難しいのだ。この申し出がどちらに該当するかなど、リンにだって分からない。
ただ、エレオノーラが善意で動く人間ではないということを知っているだけだ。
「エレオノーラ嬢…」
真実を知らない善良な、あるいは藁にもすがる思いの大公がその手を取ることを止める義理はないが、少しばかり同情してしまうのは仕方ない。
「…場所を移そう。どうぞ、こちらへ」
ちょうど宴が一段落した頃であったことも幸いして、エレオノーラ達はごく自然な形で会場を後にした。
案内された応接用の部屋には美しい織物であつらえたクッションが置かれている。急ごしらえではあったが、普段は床に座する機会のないエレオノーラ達が辛くないように配慮されていた。
「客人の前で……お恥ずかしい。実は、東の地域で『黒い竜巻』が頻発していてな……。神の意思と諦めてはいるのだが、このままでは……」
「竜巻?それってよくあることなの?季節的な、とか」
ガイの素朴な疑問は、沈痛な面持ちで首を振る大公によって否定された。
「あのように頻繁に発生することなど、まずあり得ない。ましてあの地には『天の祭壇』があるというのに…」
「『天の祭壇』っていうのは、何だ?」
カニによって変換されたリンの美しい声が鈴の音のように転がる。
「言葉通り、神との対話のための祭壇だよ。神託が降りることもあるといわれているが…」
アギルがリンの横にするりと腰を下ろしその手を掬い取ろうとして、叩き落とされる。
「痛っ。つれねぇなあ。…その祭壇のある神殿はこの国の信仰の心臓部だ。その付近からの竜巻だから、神の意思だろうって事なんだが、な…」
叩き落とされた手の項を擦りながら着けたアギルが、正面の父親を見つめた。
「もう、六度になる…。これ以上は…民に被害が…」
大公が絞り出すような声で呟いた。信仰の根深いこの国で、神の意思とされた自然災害を否定するのは、神そのものを、否定するのと同義なのだろう。
だが、為政者としての良心がそれを許せず板挟みになっている。
軽く言葉を続けているアギルにしても、それは同じなのだろう。
「それは、ご心痛お察し致しますわ。…ところで、我々がその祭壇に祈りを捧げに伺うことは可能なのかしら?」
究極の無神論者エレオノーラが、信心深げに申し出た。何も知らない大公は目を瞬いた。
エレオノーラをよく知るリンとガイも瞬いた。
気持ちは全く異なっていたが、清廉と微笑むエレオノーラに釘付けになる。
「リンネとガイも同行なさい。皆で祈れば神に届くかも知れなくてよ?」
言葉の裏側に隠された意図をリンとガイは正確に読み取り、力なく頷いた。祈りを捧げるふりをしながらこき使われる未来が見える。
…祭壇の調査命令である。
エレオノーラは無神論者の現実主義者ではあるが、古い伝承や祈りと言った民間に伝わる細かな情報を疎かにはしない。彼女の中では、それは過去の「最先端の科学」なのだ。
原因究明の手がかりとなりうる、その祭壇を見逃すことはなかった。
「リリアーヌが雷に怯えているの。一刻も早く解決しなくてはね」
実のところ、竜巻と先ほどの雷に因果関係があったわけではない。だが、あいにくこの場にそれを正しく切り分けられる者はいなかった。
その結果、この任務は必ず成し遂げねばならぬものとして、リンとガイに与えられたのである。
「そういうことなら、明日、俺が案内するぜ。女神の不安を拭い去ってみせる!」
強く拳を握るアギルにエレオノーラは感情の読めない笑顔を向けた。
「あら、頼もしいこと。明日が楽しみですわね」
どう楽しみなのか、考えたくないリンとガイは黙ってそっと目をそらした。




