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3 アムン・ラ公国入国審査

 アムン・ラ公国の国境検問所。

 そこは、照りつける太陽と、砂塵にまみれた獣人の兵士たちが放つ獣臭で満ちていた。


「次だ。……おい、そこの貴族。止まれ」


 筋骨隆々としたジャッカル耳の門番が、槍を突き出して一行を止める。

 招待状を確認すれば済む話だが、不運にも現在の公国は「黒い竜巻」の脅威に晒され、神経を尖らせていた。


「招待状は問題ないようだな。だが、近頃は変装した間者も多い。……おい、そこの女。ベールを取れ」


 門番が指し示したのは、エスコート役のガイの隣で、不自然なほど深くベールを被り、微動だにしない「令嬢」だった。


「……ッ」


 ベールの下から、ギリ、と奥歯を噛み締める音が微かに漏れる。


 リンは今、人生最大の屈辱の中にいた。


 慣れない厚化粧、足捌きの悪い薄布のドレス、そして何より、隣でイケメン面したガイの存在が、言いようのない怒りの炎に拍車をかける。


 胸元は華やかな金のネックレスが重ねてつけられ、鮮やかな宝石が彩っている。裾が絞られたゆったりとしたシルエットのパンツに、絢爛な帯締めをしたガイは、この国独特の男らしい装いを難なく着こなしている。その様が余計に彼の血管を一本ずつ引き千切らんばかりに逆撫でしている。


「おい、聞こえないのか。ベールを――」


 門番がその不敬な手を伸ばそうとした、その刹那。


「――触るな。この野犬が」


 それは首元に添えられた、茜色の美しいカニによって透き通るような音色に変えられてなお、冷え切った、それでいて爆発寸前の火山のような声となり響いた。


 リンが、殊更ゆっくりと自らのベールを上げた。


 コハル(アイライン)によって強調された鋭い瞳が、門番を真っ向から射抜いた。あまりの怒りに、瞳孔は収縮し、氷のような殺気が物理的な圧力となって門番を押し包む。


「……っ!?」


 門番の背筋に、極寒の震えが走った。


 目の前にいるのは、華奢で美しい「女性」のはずだ。しかし、彼が本能で感じ取ったのは、触れれば一瞬でその命を食いちぎる「手負いの猛獣」か、あるいは「全てを見下ろす高貴な支配者」の威圧感だった。


「……っ、し、失礼いたしました! まさか、これほどまでの……気位をお持ちの御方とは……!」


 門番は、自らの槍を地面に落とし、その場に膝をついた。


 獣人にとって「強者の気配」は絶対だ。リンの隠す気もない殺気が、本来は「手負いの獣」で正解なのだが、「凡俗を寄せ付けない高貴な令嬢の覇気」として、あまりにも劇的に誤読されたのである。


「行こうか、リン。……あ、いや、『リンネ』。あんまり怒っちゃダメだよ。ふふ、綺麗な顔がもったいないよ?」


 隣でガイが、リンの腰を抱き寄せ優しい声で囁く。


 回された手が小刻みに震えている。こちらも実情は抱腹絶倒寸前なのだが、周囲からは「最愛の婚約者をなだめる優しい貴公子」にしか見えない。


「……死ね。ガイ、後でマジで殺す」


 腹話術のような最小限の口の動きで、リンが呪詛を吐き出す。

 その光景すら、門番たちには「仲睦まじい高貴なカップルの囁き合い」に見えていた。


 そして。


 その後に続いた本物の「美」――リリアーヌが静かに馬車から降り立った瞬間、検問所は静寂を超えて聖域へと化した。


 砂漠の陽光が、彼女の白皙の肌に反射し、まるで彼女自身が光を放っているかのように錯覚させる。

 それは言葉はおろか、思考さえも刈り取る暴力的な美の威圧を放ち、見る者の頭を抑えつけた。


「……あ、太陽神(アムン・ラ)よ……」


 槍を構えていた兵士たち、検問を待っていた商隊の獣人たち、その全員が、まるで風に倒れる麦のように次々と平伏していく。


 検問に当たっていたジャッカル耳の門番は、口を半開きにして、ただただその「光」を見上げている。


「神の使いか…いや、夜空を統べる女神の化身だ……」


 呆然自失と呟く彼は、自分が槍を落としたことすら気づいていないだろう。


 怒り狂うリンと、神々しいリリアーヌ。


 アムン・ラ公国の人々にとって、この一行は「怒れる女神リン」と「慈悲深きリリアーヌ」を伴った、とんでもない一団として記憶に刻まれることとなった。


「……おいおい、マジかよ。俺の殺気なんて比じゃねぇ。アイツ、ただ顔出しただけで、この国の本能を支配しちまったぞ……!」


 一方、怒れる女神の方も深くため息をついていた。


「リンも見倣いなよ」


「…ぶち殺すぞ、てめぇ」


 ひそひそと囁かれるふたりの殺伐とした会話は相変わらず、はた目には仲の良い恋人同士のようだというのが、非常に残念なところである。


「あらあら、やはりリリアーヌの美しさは世界の理ですわね」


 エレオノーラは満足げに頷き、馬車から降り立つ。そして平服する兵士たちも怒れるリンも、砂漠の砂の一粒ほども気に留めず、するりと検問所を通過するのであった。


 衝撃的な二人を目にしたせいで、自国へ足を踏み入れた最も恐ろしい厄災が実は最後尾にいたことを獣人たちは、知る由もなかった。


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