悪魔を喰らう者
アスモデウスとミュリアの激突は、まずは互いに魔法の応酬から始まった。
悪魔の力で編まれた漆黒の鎖が四方から迫り、ミュリアもまた魔素で編み上げた漆黒の触手でそれを弾き返す。
どこかブヨブヨとした見た目に反して鋼のように丈夫なミュリアの魔法を見て、アスモデウスは小さく舌打ちを漏らした。
(一対一なら、と思ったけれど、圧勝とは行かなそうね。まあ……)
ニヤリと笑みを浮かべながら、アスモデウスは腕を振るう。
無数の鎖を巧みに操り、触手の守りを突破するべく一つに束ねていく。
『貴女は私に勝てないけれどね……絶対に!!』
鎖が巨大な槍のように形を変え、ミュリアへ向かって放たれた。
螺旋を描くように鋭い回転を見せながら突き進むその一撃に、ミュリアは触手を合わせて防御姿勢を取り……受け止め切れず、触手が砕け散っていく。
だが、ミュリアは動じなかった。
「そっちこそ……これくらいで、私に勝ったつもり……?」
砕けた触手が更にか細い無数の触手へと変貌し、渦巻く槍へと絡み付く。
急速に勢いを失くした槍は、その速度をみるみるうちに落としていき……ミュリアの眼前で、完全に停止する。
しかしその瞬間、漆黒の槍が再び無数の鎖へと分裂した。
鎖は次々にミュリアの胴を、腕を、足を、首を縛り上げ、宙吊りにする。
「ぐっ……」
『貴女の力は、悪魔のそれとほぼ同質……つまり、貴女に出来ることは私にも出来るのよ。同じ力なら、長い時を悪魔として生きた私の方が、より力への理解度が高く、使いこなすことが出来る……当然のことでしょう?』
身動きが取れなくなったミュリアへと近付いたアスモデウスは、自らの指先でそっとミュリアの頬を撫でていく。
そのまま、指先をそっと降ろし……首を、鎖骨を、胸をゆっくりと撫でながら、最後はお腹へと到達する。
「触るな……私に、触っていいのは……ロロンだけ……!」
『そう、ロロン。あの悪魔狩りの力を持った男の子……よっぽど好きなのね。ここが疼いているのを感じるわ』
「っ……」
ゆっくりと下腹部を撫でるアスモデウスに、ミュリアの眼差しが嫌悪に染まる。
そんな少女の姿に愉悦の表情を浮かべながら、アスモデウスは語り続けた。
『本当は、ずーっとその胸の中に抱いていたいんでしょう? 語り合っても、手を繋いでも、キスをしてもなお満たされない。めちゃくちゃになるまで抱かれて、愛し合って、一つに溶け合って、心の中にある空虚を彼の存在で埋め尽くしたい……違う?』
アスモデウスの瞳が、妖しい輝きを放つ。
悪魔による人間の憑依は、基本的に憑依相手に負の感情がなければ成立しない。
僅かにでもあれば、それを突破口として強引に乗っ取ることも出来るのだが、よりスムーズに、より完璧に自らの力を馴染ませるのであれば、憑依相手により大きく、ドス黒い負の感情が必要だ。
故に、アスモデウスは言葉を弄し、魔法を用いて、ミュリアの心を誘導する。
もっとも住み心地の良い負の感情を、ミュリアの中でハッキリと形にするために。
それ即ち、“色欲”。
ロロンへの恋心……元より普通よりも遥かに大きかったそれを暴走させ、自らの意思で悪魔を受け入れるように促していく。
『我慢することはないのよ? だってそれは、人間であれば誰だって持っていて当然の欲求……人が生きる糧なのだから。だからね? 解き放ちましょう、あなたの欲望を。そうすれば、ロロンはあなたの思いのままよ』
「思いの……まま……」
ミュリアの瞳から光が消え、意識が混濁していく。
その様を見て、アスモデウスは勝利を確信した。
『さあ、受け入れなさい、私を。あなたの純粋なる願いのために!』
「…………」
こくん、とミュリアが頷いたことで、アスモデウスの顔が喜悦に歪む。
自分がこれまで持っていた体を放り捨てて、嬉々としてミュリアの中へ飛び込んだ。
『アハハハハ!! 簡単だったわね、やっぱり私の目に狂いはなかったわ!!』
アスモデウスの目から見て、ミュリアの心のあり様は間違いなく“こちら側”だった。
それはそうだろう。悪魔の器として生を受けた以上、その精神はどうしたって欲望に流されやすく、負の感情を抱きやすいように出来ている。
どれだけ手を尽くそうが、どれだけ愛を注がれようが、決して変わることのない“本質”だ。
むしろ、周囲から愛を受けて育ったからこそ、自分にとって都合の良い感情を拗らせてくれたと、アスモデウスは歓喜する。
『ありがとうね、ロロン・ハートナー!! お礼として、あなたの大好きな大好きなミュリアの体で殺してあげるわ!! アハハハハ!! ……ハハ』
しかしそこで、アスモデウスは疑問を覚えた。
潜っても潜っても、自身が乗っ取るべき肉体の核……悪魔の器たる“魂”へ辿り着かない。ただ、無限の闇が広がるだけだ。
『どういうこと? これは一体……っ!?』
戸惑うアスモデウスの魂へ、闇の中から無数の触手が迫り来る。
迎撃も出来ずに捕らえられ、手足と胴を拘束されたアスモデウスは、奇しくも先程のミュリアと同じ格好で、闇の中に宙吊りにされた。
『一体、何が起きているの!?』
「決まってる、でしょう……? ここは私のお腹の中。あなたを“食べる”ために用意した、偽物の“器”だよ」
ここはミュリアの体の中、魂の存在する精神世界だ。
だからこそ、その肉体の主は決して自らの理性でもって干渉出来ない空間であるはずだというのに、当たり前のようにミュリアが目前に現れた。
その事実に、アスモデウスはゾッとする。
『偽の、器……? 一体、どういう意味!?』
「これまで見付けた、下級の悪魔……その力を、器の中に、溜め込んでたの……そこに、悪魔が入り込んだ時、私の魂に辿り着く前に、捕まえて……殺すために」
ミュリアが、ふわりと近付いて来る。
まるでお人形のような、天使のような、愛らしく可憐な少女。
しかし……アスモデウスの目には、まるで自分達以上の悪魔にしか見えなかった。
『なぜ……どうして、こんな真似を……』
「現実世界で真正面から戦っても、私一人じゃ勝てるか分からなかったから。ロロンがいれば、絶対に負けないけど……そうしたら、今度は私が食べられない。ロロンが、自力で倒しちゃうから。あなたを……大悪魔を食べて、器を満たして……悪魔を超える、私だけの力を得る。そのために……念入りに、時間をかけて作った罠に、あなたを誘い込んだ」
あり得ないと、アスモデウスは絶句する。
悪魔の器は、魂に根差した精神空間。自分を形作る、心の源泉だ。
そこに魔法をかけて、罠を張るという行為も。悪魔を招き入れて、そこで仕留めるなどという大胆な発想も、アスモデウスからすれば想像の埒外だ。
何せそれは……自分の心臓に毒を仕込んで、入り込んだ寄生虫を殺すような無謀な行いなのだから。
「さようなら、アスモデウス……私の中で、地獄にすら逝けない無の彼方に、消滅しろ」
『や、やめっ……!!』
「《黒捕食》」
無数の触手が殺到し、アスモデウスの魂を千々に引き裂き、喰らい尽くす。
彼女が最期に目にしたのは、ミュリアが奪い取った悪魔としての自身の力を、ぺろりと飲みこむ姿だった。
「ごちそうさま。これで、もう……悪魔に、二度と私の心は踏み荒らさせない」




