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夜の暗闘

 悪魔は本来、そう簡単に現れるような存在ではない。

 強力な悪魔であれば尚更、“異界”と“現世”の間を隔てる次元の壁を超えるのは難しくなる。


 しかし──一度その壁を破る大悪魔が現れると、そこに空いた大きな“穴”を潜るようにして、向こう数年、十数年の間は、無数の悪魔がその国に出現するようになるのだ。


 その男子生徒に取り憑いたのも、そんな悪魔の一体だった。


「くそっ……! ずっと目を付けていたというのに、まさかあんな弱小研究室に奪われるなんて! あり得ない!!」


 その男子生徒の名は、コロル・ポート。魔法学園の三年生であり、近接魔法研究室に所属している。


 彼は元より、あまり戦闘が得意ではない。それを克服するためにこの研究室に属し、三年間頑張って来たのだが……思うように、成績は伸びなかった。


 別に、そのことで同じ研究室のメンバーから冷たくされたとか、そんな事実はない。

 元より、所属している生徒の多い研究室だ。他貴族と繋がりを得るために名前だけ所属しているという者や、才能はないが憧れだけで所属した者も少なくないため、コロル一人を殊更貶める理由など誰も持ち合わせていなかったからだ。


 しかし、本気で強くなろうと名を連ねたコロルの中には、この三年間の内に鬱屈した思いが募っていた。


 自分が強くなれないのならせめて、良い新入生を自分の手で迎え入れて、自分の手で指導を重ね、良き先達として周囲の者達の記憶に己の名を刻み付けようと、妥協に妥協を重ねた目標を抱きながら、今回の勧誘期間に突入し……もっとも狙い所だった試験組の首席合格者には、名前すら初めて聞くような小さな研究室に逃げられてしまった。


「許せない……!!」


 まるで自分が、そんな弱小研究室の人間よりも格下だと、侮られたみたいで。


 自分には……誰の記憶に留まるほどの力も風格もないのだと、見下されたみたいで。


『全部……ブチ壊してやる……』


 そんなコロルの負の感情に引き寄せられるように、一体の悪魔がその体に取り憑いた。


 決して、強い悪魔ではない。それこそ、ロロンが幼い頃に討伐したグレムリンと比べても格下だ。


 しかし、それでも悪魔は悪魔。コロルの負の感情を増幅し、どす黒い悪意でその心を染め上げていく。


『ははは……ここだな……』


 既に日も落ち、人気のなくなった校舎の一角。魔法遊戯研究室が活動拠点としている教室に、コロルはやって来た。


『くは、は……ははははは!!』


 中に入るなり、コロルは抜剣と同時に内なる力を解放し、中にあった機材やゲームを破壊していく。


 これまで抱え込んできた黒い感情が、一気に解き放たれる解放感。

 それに呼応し、不思議と湧き上がる膨大な魔力と全能感。


 あまりの快感に、コロルの心は更に闇に染まっていく。

 悪魔に、魂ごと侵食されていく。


『最高だ!! ああそうだ、最初からこうすれば良かったんだ!! 難しいことなんて何も考えなくていい……ただ衝動のままに剣を振るえば、それで!!』


「何を……してるんですか……?」


『あァ?』


 突然聞こえてきた声に振り向けば、そこには小柄な亜麻色の髪の女子生徒……モニカ・クロースがいた。


 不気味な力を漂わせるコロルの姿に「ひっ」と声を引き攣らせたモニカは、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまう。


『あぁちょうどいい……てめぇのことも気に入らなかったんだ、ついでに剣の錆にしてやるよぉ……』


「や……やめ……あぐっ……!?」


 モニカの下まで歩み寄ってきたコロルが、その細い首を掴んで力任せに持ち上げ、締め上げる。


 呼吸が出来ず、足をバタつかせるモニカだったが、その程度で抵抗になるはずもなかった。


『恨むなら、雑魚の癖にでしゃばったてめぇの浅はかさを恨むんだなぁ……』


「ぐっ……あっ……」


 何の話か、モニカにはさっぱり分からなかった。

 分からないが、このままだと自分が殺されるということだけは分かる。


「だれ、か……たす、け……」


『無駄だよ、こんな時間に人なんか来るわけないだろぉ……? 死ねよ、大人しく』


 ただ、研究室に忘れ物をしたから取りに来ただけだというのに、こんなことになるなんて。


 絶望に包まれた心の中で、モニカが思い出すのは新しくやって来た仲睦まじい新入生二人のことだった。


(私、も……あんな風に……アインス様と、過ごしてみたかった、なぁ……)


 婚約者の顔を思い浮かべ、小さな後悔を抱きながら、その命の灯火が尽きようとした──刹那。


 床を突き破って、漆黒の触手がコロルへと襲いかかった。


『な、なんだこれは!?』


 触手がコロルを縛り上げて宙吊りにし、モニカの体を優しく受け止める。


 そして……砕けた床の下、一つ下の階から、触手と共に一人の少女が這い上がって来た。


 銀色の髪を振り乱し、隠すつもりもない邪悪な魔力を撒き散らすミュリア・ルークウェルだ。


「私……最近、分かるの。“悪魔の器”だからかな……悪魔が近くに現れると、すぐに」


 誰に向けて語るでもなく、ただ一人淡々と呟く。

 そんなミュリアに、悪魔に憑かれたコロルはただ恐怖を覚えた。


『なんだよ……なんなんだお前は!?』


「ロロンと一緒に、来ようかと思ったけど……まあ、この程度の悪魔なら、いいかなって。試したいこともあったし……一人で、来ちゃった」


『っ……ふざ、けんなぁ!!』


 元々コロルが持っていた負の感情が、完全に格下とみなすようなミュリアの発言に引きずられ、爆発する。


 増幅した悪魔の力が、自身を拘束する闇の触手を切り刻み、ミュリアを手にかけようと突撃し……更に大量の触手が殺到し、押しつぶされるように捕らわれた。


『かはっ……!?』


「私の体……ずっと、ずっと、悪魔に狙われ続けたら、ロロンに迷惑がかかっちゃうから……どうすればいいかなって、ずっと考えてたの。それでね……思いついたんだ」


 にこりと、ミュリアが笑みを浮かべる。

 悪魔よりも悪魔らしい、邪悪な笑みを。


「悪魔が入り込む余地もないくらい……悪魔の“力”だけで、器を満たしちゃえばいいんじゃないか、って」


『一体何を……ぐっ、あぁぁぁ!?』


 触手を伝い、コロルの体から“力”を吸い上げる。

 魔力も、中に取り憑いた悪魔も、全て。


「悪魔の魂は、消滅させて……力だけ、貰う。私の心は、ロロンのものだから……余計なのは、いらない」


『ま、て……やっと、手に入れた力なんだ……やめろ、奪うな!! 俺から、奪うなぁ!!』


 コロルが何とか拘束から逃れようと、剣を振り回す。

 それを押さえ込むように、ミュリアは更に触手を増やしていった。


「大人しく、して……じゃないと、悪魔と一緒に……あなたも、死ぬよ……?」


『誰が大人しくなどするものかよ!! 悪魔だかなんだか知らないが、この力を失うくらいなら死んだ方がマシだ!!』


 悪魔の力に酔いしれ、内なる欲望を満たされながら増幅される快感を覚えたコロルは、もうそれを手放せなくなっていた。


 悪魔の侵食を自ら受け入れ、魂が徐々に一体化していく。

 このまま強引に力を奪えば、悪魔だけでなくコロル自身もまた命を落とすことになるだろう。


 しかし。


「そう……じゃあ、死んで」


 ミュリアは、取り合わなかった。


『なん、だと……?』


「無理やり、悪魔に乗っ取られたなら、ともかく……自分の意思で、悪魔を受け入れて……自分の意思で、ロロンが大切にしようとしていたものを踏み躙った人の命なんて……知らない」


 ミュリアは、これまでロロンが悪魔を幾度も打ち倒し、たくさんの人を救ってきたのを知っている。

 悪魔に乗っ取られた人間だって、ロロンは可能な限り救ってきた。


 しかし、それはあくまで《《可能な限り》》だ。


 大悪魔ベルゼブブの力を利用して大勢の人を殺そうとしたオーリョまで、何がなんでも救おうとまではしていなかったし、最期はその手で終わらせていた。


 だから、ミュリアもそれを悪いこととは思わない。


 悪魔に魂を売った人間など、死にたければ死ねばいいのだ。


「悪魔を拒絶しないなら……纏めて、消えて」


『ぐっ……あぁぁぁぁ!?』


 そのまま、最後の一滴まで、力の全てを絞り出されて──


 コロルの中に宿っていた悪魔は完全に息絶え、彼自身もまた力尽きるように倒れ伏すのだった。

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