“主人公”の新たな悩み
ルイス・ヒロルートの一度目の人生は、特筆するところもないごく普通の人生だった。
ごく普通の町娘として生まれ、ごく普通の町娘として育ち……強いていえば、幼い頃から魔力を増やす訓練をよく積んでいたことだけは、普通と違うところだろうか?
強く健康な子に育つには、魔力が多い方がいい──そんな父の教育方針に従い、少しばかり嫌々ながらも訓練を積んだ。
その訓練が意味を成したのは、ルークウェル公爵領及びその周辺地域が、“悪魔”の出現によって滅んでからだ。
伝承の中にしか存在しないはずの悪魔が現実に現れたと聞いて、ルイスは混乱するばかりだったが……父は、違った。
──ついにこの日が来てしまったか。
そう言って父が明かしたのは、ヒロルートの家系は古の悪魔祓いの血を引いており、悪魔に対抗する特殊な力……“魔素”の技術と知識を継承する一族であること。
ルイスが幼い頃から魔力を増やす訓練を続けていたのは、それが魔素を習得するための絶対条件だからだということを。
遅くとも五、六歳までに魔力を増やす訓練を始めると、魔力の“柔軟性”が失われずに成長する……その状態で、十歳までの間に魔力量が一定量を超えていれば、魔素を作る前提条件が整う──らしい。
しかし魔力を増やす訓練は、子供にとっては過酷そのものだ。
だからこそ、ルイスも三歳の頃から少しずつ訓練を重ねて、父が“十分な魔力になった”と口にしたのは、十歳を目前に控えた九歳の頃だったと記憶している。
あの時は、意味が分からなかった。
悪魔が現れたと聞き、一族の真実を聞かされた時でさえ、現実味が湧かなかった。
本当の意味でそれを理解したのは、悪魔の出現から二年後。
魔素の生成と使い方を完全に習得し──生まれ故郷であるラインベルク伯爵領が、悪魔の手で滅ぼされた時だ。
『アハハハハ!! 弱い、弱いわね!! そんなので私を止められるとでも思ったの? アハハハハ!!』
町を焼き、逃げ惑う人々を戯れのように殺し、狂笑を上げる少女の顔は、ルイスの目にしっかりと焼き付いている。
ルイスにとって魔素の師匠だった父が為す術もなく殺されたことも、人々の避難誘導を必死で行っていた母が無惨に殺されたことも、全て覚えている。
だからこそ。
「ミュリア、こちらがルイス・ヒロルート……俺が探してた、魔素の師匠になってくれるかもしれない人だ」
「……ミュリア・ルークウェル……です」
自分の家族を、故郷を滅ぼした少女を目の前にして、湧き上がる殺意を抑えるのには苦労した。
たとえ、一度目のあれが悪魔に体を乗っ取られた結果だとしても。
「…………」
そのせいか、ミュリアは明らかに怯えた様子でロロンの陰に隠れてしまった。
いけない、とルイスは自分を戒める。
ロロンと出会った翌日、こうしてミュリアと引き合わせて貰ったのは、決して一度目の恨みをぶつけるためではない。
悪魔に乗っ取られていない、まっさらな状態の彼女の為人を確かめるためだ。
「睨んでごめんね、ちょっと悪魔のこと思い出して……ええと、ミュリア様って呼んだ方がいい、ですか?」
「……ミュリアで、いい」
「ほんと? ありがとうね、ミュリア」
ルイスは“二度目”とはいえ、生粋の平民だ。貴族と関わった経験などない。
普通にして良いと言われれば、素直にありがたかった。
「それじゃあ、俺は部屋の外に出てるよ。……ミュリア、どうしても無理だったらすぐ出てくればいいから、出来るだけ話を聞いてやってくれ」
「……うん」
二人で話をしたい、というルイスの意を汲んで、部屋の外に出るロロン。
ミュリアのために用意されたその部屋で、小さなテーブルを挟んで二人きり。
明らかに緊張している様子のミュリアへ、ルイスは早速本題に入った。
「ミュリア、君の話はロロンから軽く聞いてるよ。その上で、一つだけ……直接確かめたいことがあるんだ」
「……?」
「君は……この世界を、恨んでるの?」
生まれ持った呪いの力のせいで、人と関わることすら許されずに監禁され、家族の愛も温もりも、何一つ知らずに生きて来たとロロンから聞いている。
実際、いくら悪魔のせいで負の感情が増幅されていたとはいえ、あの濃密な悪意はミュリア本人が世界の全てを恨んでいなければ説明がつかないだろう。
だからルイスは、どうしても自らの目で確かめたかったのだ。
“今”のミュリアが、“一度目”と同じなのか、違うのかを。
そして何より……一度目と同じように、この世界を滅ぼしかねない悪意を、その心に秘めているのかどうかを。
「……私の全部は、ロロンがくれた」
そんなルイスに対して、ミュリアはそう語り出した。
嬉しそうに、そして……愛おしそうに。
「初めて、会った時……私のせいで、死にそうになったのに。ただ私に会うだけで、すごく苦しかったはずなのに……何度も、何度も会いに来て……私は一人じゃないって、教えてくれた。ロロンは、何も言わないけど……毎日、毎日、私と会うために血反吐を吐くような訓練をしてくれてたの、知ってる」
ミュリアにとって、自分がひとりぼっちじゃなくなったのはロロンがいたからだ。
離れの外に出られたのも、呪いの力を制御出来るようになったのも、家族ともう一度話せるようになったのも……ミュリアにとって、全てロロンのお陰なのだ。
「私のせいで死んじゃったお母様にも……ロロンのお陰で、やっと……ごめんなさいって、言えた」
ロロンは知らないことだが、ミュリアはこの二年の間に、母親の墓参りをしていた。
自分が生まれてきたせいで死んでしまった、実の母親。
彼女がどれだけ慕われていたのかは、周囲の反応からミュリアもよく分かっていた。
墓石を前に、ただ謝ることしか出来なかったミュリアに、共に来ていた父のディランはこう言ったのだ。
──気にする事はない。あいつは、自らの意思で子を守ったのだ、誇りに思いこそすれ、申し訳なさを覚える必要などない。それでも、母に報いたいと思ってくれるのなら、どうか……。
「幸せに、なってくれって……そう、言われた」
「…………」
「だから私は……世界を、恨んでなんかない。だって……ロロンと会えて、本当に……嬉しかったから。ロロンと毎日一緒にいられて……幸せだから」
だから、えっと……と、話の切り時を見失って少しあわあわしているミュリアを見ながら、ルイスは思った。
……これでなんで、“幼馴染”なのか、と。
(もう付き合っちゃいなよ。これで婚約者でも恋人でもなくただの幼馴染って何!?)
ロロンがどれほど深くミュリアを想っているか、似た立場のルイスにはよく分かる。
何せ、前の人生と合わせて二周分の想いを募らせているのだ。
いきなり殺されかけたという話が本当なら、それでもなお救おうとした彼の想いがどれほどのものかは、想像に難くない。
それでいて、ミュリアだ。
今話を聞いて分かったが、彼女はその言葉通り、世界を恨んでなどいない。
ただ、彼女にとって"ロロンの存在が世界そのものである"というだけだ。
恐らくミュリアは、この先どんな困難があろうと、どんな悲劇に見舞われようと、ロロンさえ傍にいればきっと乗り越えられるだろう。
逆に言えば……ロロンがいなくなれば、一瞬にしてその心は崩壊し、“一度目”と同じか、それ以上に凶悪な存在になってしまうかもしれない。
ルイスは、そう感じた。
(どっちから告白しても上手く行くというか、ちゃんとくっ付いて添い遂げて貰わないと世界が終わっちゃうよ! けど、ここで変にボクが関わって二人の仲が拗れるようなことがあったら、それもマズイ)
ルイスは、貴族社会のことを何も知らない。
しがらみが多い、ということは何となく知っているが、それがどのようなもので、二人の関係にどう作用しているのか、全く想像すら出来ないのだ。
そんな状態で変にキューピッドになろうとして失敗すれば、大変な事態を招いてしまう。
(悪魔からこの世界を守りたくて頑張ってきたけど……こんな形で頑張らなきゃいけないことになるなんて聞いてないよ! ボクどうしたらいいの!?)
未だに沈黙に耐えかねて挙動不審になっているミュリアを余所に、ルイスはひたすら頭を抱えるのだった。




