第一部 第四章 初めての異国へ I
辺りは白い靄が立ち込めている。今、少年達はそういう所に居た。まだ夜が明ける一時間ほど前なのだが、周囲は昼間の曇り時のような明るさがあった。三者が寝泊りしている場所はいつもこのような状況であった。そのことについて、年下の少年が「何で?」と聞くと、「さあ?」と返ってきて、年上の少年が「こうこう……こうだからなのでは?」と突いてみても、「どうだったかな?」ととぼけているのみで、彼は、その様子を飽くまで面白がって見ているだけであった。そして、その彼は別の所で夜の休息を取っているようなのであった。少年達の予想では、そこはここよりもずっと環境のいい所に違いない、とのことであるが、彼は、
「こんな明るい所よりいい空間がもしあったら、わしは分裂してしまうぞ。」と妙な物言いをして、やはり、そのことについても答えが口を突くことはなかった。
二人とは別の、もう一者にとってはここがどこであれ、夜が暗くないのは可笑しい、などということはどうでもいいことであった。疲れている時は寝て、元気になれば起きるということをしていて、ただ、それがほとんど夜と朝という時間帯なのであった。その境目が、足を忍ばせてこの日もやって来ようとしていたが、誰もその様子に気付くことはないのだった。ここはそういう場所であった。
少年達は岩の上で寝ていた。もちろん直にではなく、キィーバの町で買った布団の上で横になったり、あるいは、二重に敷かれた絨毯の上で丸くなったりしていた。春が来て一ヵ月後と夏間近の空気はどちらも寝るにはちょうどいい暖かさだった。初めてここを見た時、二人は例の如く、
「実は、大きな建物の中なんでしょ?」と尋ねると、型通りに、
「んー、わっはっはっ……。」と一度はかわしたが、すぐに、「そんな立派な建物が造れたら、わしは大工として城に仕えてたわ。」と笑いながら彼は言った。直後、二人は数時間の間、口が利けなくなってしまった。
これが意味しているものは殊の外重大なことであった。少年達ともう一者が寝ているのは、岩に似せた人工物の床の上などではなく、天然の岩肌、地面の上であった。そして、それは豪華な屋敷の敷地内に飾りとして置かれたものや、巨大な城の中庭としてそのまま残されたようなものではなく、逆に、小汚い木造か石でできた建物の中で撤去が面倒くさかったから放置してあるものでもない、寝床のある場所は紛れもなくそれがあるに相応しい、町から遠く離れた所の野外であると二人は確信した。周りに建物がなく、寝る彼ら以外に人や飛獣の気配はなかった。フォーダースの世界で以上のことが示すのは、「死」である。人だけに限ったことではなく、文化を持つ種族に共通の認識なのである。城下町に住む者、山や川に囲まれた村に住む者、その全てが自らの内なる就寝場所を持っているのである。それが外では駄目なのだということを、二人の少年も当然知っていたから、最初の一日は目を瞑ることもできなかった。
「……。」 「……。」
布団の中で声を掛け合うことなど、もっとできないことだった。
「……zzz……。」
しかし、二日目以降、その様子は変わっていた。二人の少年ともう一者はぐっすりと眠りについていた。決して、一日にして少年達の精神力が、悪魔や魔物が襲ってくるという恐怖感に打ち勝った、ということではなかった。この白いものに囲まれた空間の意味を教えられたという訳でもなかった。つまりは、その日が実質的な修行の一日目であって、少年達の体が恐怖のきの字も分からなくなるくらいまで扱かれたからなのであった。
その前日、それは灰色の山を下った翌日でもあったが、遠く離れた山に到着した二人と一者は、どこからか聞こえてくる声に従って奥へと進んでいった。三者を連れてきた大人は、その声が神秘的な雰囲気を無理して作り出していることに気付いて、やれやれ、といった仕草をして見送っていった。よく晴れた風曜日 -こちらで言うところの月曜日- の朝であった。東の山は、入口こそ岩肌がむき出しで大小の岩石も多く見られる場所であるが、多くの者が歩く所は木々や草花の豊かな緑の多い所である。三者もしばらくはその道を進んで、やがて、声が聞こえてきた。
「歓迎会はその中を通り過ぎた先だ。」それからすぐに、大きな木を右に迂回するような道があり、木の向こうには暗闇に続く下り坂があった。二人の内の年長者が進んで入っていった。少し離れて二者も入っていき、少々長めの下り道が続くと、今度は、一気に上り道になった。先頭の者は走って明かりの中へと向かっていた。続く二者も、一者は抱かれた格好であるが、遅れて走り出した。一分間ほど続いた暗闇から光の中に出ると、そこは雲か靄のような白いものが広がる場所であった。足元を見ると、再び土と岩石だけの山となっていた。そして、後ろを見ると、そこにはかなり遠くに緑の山があって、その更に遠くには緑の大平原があった。
「それでは始めよう。」という声の後、男は百メートルほど先のあまり高くない山の頂上に立っていた。男は白い衣を身にまとっていた。その日に行ったことは、「ようこそ我が山へ」と題されたちょっとした歓迎式なのであったが、男は、山にまつわることをほとんど何も教えずに、自分の趣味の話を夕陽が見える時間まで喋り続けてたのだった。山にやって来た二者は、その時は、修行は楽なものなんだ、と思っていたのだった。
しかし、そんな予想とは裏腹の厳しく過酷な修行は、日々休むことなく続けられ、それから約三ヶ月が経っていた。この日、少年達は、久しぶりに家に帰ることになっていた。前日の修行は頭を鍛えることを中心に行っていて、二人の体は元気そのものであった。それで、その晩は久しぶりに寝付くことができないのだった。
「明日の夜はハンバーグにしてもらうんだ。」年下の少年が言った。
「……、俺はマグロのステーキにしてもらうつもりだ。」年上の少年が言った。
「魚いいなあ、こうきゅう料理だね。それじゃあ、デザートにはたっくさんのチベタンフルーツを出してもらおう。」
「こっちはクリームテーブル(主に表面が白く上が平らな形をした、ケーキのようなもの)をだしてもらうつもりだ。その中身がチベタンフルーツだ。」
「言い間違えた。うちはチベタンフルーツとケーキだ。しかも、チョコレートケーキにしてもらおう。」
「アイスもいいなあ。」 「チョコレートアイスもつけてもらうぞー。」
こんな調子で長い時間、他にも色々なことを話して、星の裏側を太陽が通る頃にようやく二人の声は止んだ。辺りは暗闇のない不思議な夜へと戻っていった。空に浮かぶ星や月を見ることができない夜であった。
少年達はここに居る間、たまに寝れない日があってもその時見上げた先にあるのは、奇妙な粒の集まりであった。粒と言っても、その一つ一つは識別できないほどに小さく、しかし、その力は大きかった。その力故に、闇はどこかの遥か彼方にあるのだった。その見えないものを想像して、一週間に一回程度、キィーバの山と毎回違う何かを併せた絵を書かせるということも、白い衣の者が課したものの内の一つだった。
「単純に夜を忘れない為でもあるが、当然、他にも理由はある。教えんけどな。」その彼が、ようやく静かになったか、と、霧の間に姿を現した。砂が擦れるような音も立てずに数十歩、老齢な裸足が灰色の地面を叩いた。その技術を会得する為に掛かった年数は、十年であった。それを知るのはここの少年達ではなく、その父親達であった。
「不思議と、あれやこれやの考え事をした結果だ。いよいよ俺も年だな。」二人は尊敬する者に対して何も言えなかった。言うとうるさくなるから、それで正解であったが、今の彼には、それが許されるかもしれないのだった。言わないのが礼儀というものだが、この彼は少年達を見て思い出しているところであった。
「八歳と九歳……、」その声が、息が擦れるような音と共に出た。大きな目がゆっくりと左右に向けられ、すぐに正面へと戻った。おかげで彼は、少年達が間違いなく寝ているのだと確信した。二人は泣いているのだった。夏を忘れてしまうようなむせび泣きであった。お互い普段から強がっていたが、正直な所、自分の家が恋しくない日はなかったに違いない。
「……やはり、まだ子供だったな。」思わず、今度は、はっきりとした小さな声が出てしまったが、眼前の光景は時が繰り返されているようだった。トゥーダは二人に近づいていった。腹部の近くで足が停まると、黙って彼の細い手がそれぞれ向けられた。手の平に皺は多かったが、それは何とも力強そうだった。手の平が目線の先にあるそれぞれの顔を一瞬だけ隠した後、老人は前進するような格好で下がっていった。二人は、赤子が子守唄の調べをまくらにしたかのように、ぐっすりと眠ってしまった。両者の胸には一つの球体がそれぞれ置かれていた。もう一者のお腹にもそれは置かれた。それから、トゥーダは目を閉じながら足を動かし出した。現れた所へ戻るまでに、裸足は岩から二メートルも高い所へと移っていた。
「取り敢えず、勇者の基礎はでき上がったと言えよう。わしの役目はひとまず終わりということだな。これからはまた一人……、静かに……、流れる時の一部と同化していよう。何も見ず、何も聞かず、何も触らず。……だが、もし、万が一、わしが再び俗世に姿を見せるようなことがあれば、その時は、この世界の危機が近いということじゃな。……本当に、ただの憂いだといいのだが……。」その言葉が終わると同時に、彼の周囲は闇に包まれた。その闇はすぐに霧が覆い隠していったが、その時には、トゥーダ仙人の姿はなくなっていた。彼の居た地面には赤い紋章が刻まれていた。
それから数時間後、静寂した空間に一方向から光が差し込んできた。北の空に陽が昇り始めたのだった。紋章はその場所に届く久方ぶりの光を受けるとやがて、焚上げの残り火が風に吹かれるが如く、その魔力を失っていった。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




