第一部 第三章 Nu
皮肉にも、その時点から闇の力が勝り始めた。だが、時が過ぎた頃に、その過ちに気付く。キィーバの山で、再びの力に呼び起こされた時に。
「ヒャハヒャハヒャハ。」
ソイソーは我に復って目線を元の位置に戻した。そこにはまだ多くの小悪魔が残っていた。そして、その中の五、六匹ほどがソイソー目掛けて突進してきていた。その視界の端の端では、すでにテリーが同じくらいの数を相手に刀を振り回していた。利き腕とは逆の左腕だけを使って、やって来る奴らの一匹は突き飛ばしたり、もう一匹は袈裟斬りにしたり、はたまた、二匹をまとめて一文字に斬りつけたりと奮闘していた。遅れてソイソーも刀を構えたが、先陣の悪魔の一撃が僅かに早く懐へと入っていった。でも、普段はまずこのような肉弾攻撃を行わないような奴の一撃だったので、ソイソーは数歩後退させられるだけで特に傷も負わなかった。
「この野郎!」だが、ソイソーは自分でも不思議に感じるくらい、その悪魔に対する憎しみの感情を心に宿した。ソイソーは眼前の悪魔を目が痛くなるくらいに睨みつけた。その狭くなった視界には、先陣を切った悪魔とその後ろから突っ込んでくる数匹の悪魔が居た。
「ふんっ…、ヤー!」ソイソーは強く短く息を吸い込むと、それらの悪魔を一太刀で真っ二つにしてしまった。その黒い粉塵の奥には、更に二、三匹の悪魔がソイソーへと突進してきていたが、ソイソーはそれらもあっという間に撫で斬りにしてしまった。
「……。」目の前の悪魔が姿を変えていく様を視界に収めているその時、ふと、二人の前方を何かが襲った。それに反応して、咄嗟にテリーが首を激しく横に振った。彼の顔は少々黒く汚れていた。それは小悪魔の塵であった。空いてる手で顔を拭いて彼自身も確認したが、別に辺りには黒い霧が発生していた。一陣の風が何処からか送って寄越したような黒い霧は、また違う冷たい風に乗って緩やかな移動を始めて、ソイソーを掠めていった。「……。」テリーは、自分の周辺に居る悪魔が風の発生している方へと下がっていくのを見て、事の異変に気付いた。小悪魔共とは逆に、風に押されるような形でゆっくり後ろ歩きをしていった。途中、地面に突き立てられたままの自分の剣が目に入ってきたので、テリーは右手で抜き取ろうとした。だが、そこで視界の中に意外なものが入ってきたので、とうとうテリーは掴み損ねてしまった。
「ソイソー、何してるんだ。早く下がれ! デカ悪魔の攻撃手法が変わってるぞ。」ソイソーは聞きなれた声を耳にして、再び我に復った。そして、反射的に
「え、何か言った?」テリーの方に向き直ってしまった。
「バカ! こっち向くな。前だ、前。悪魔が…、」
テリーの声はそこで途絶えた。ソイソーの顔はテリーの所までは廻りきらず、ショー=サナエの所で停まっていた。ショー=サナエの後ろ姿があった。その格好に、ソイソーは自然と見えない翼と光を重ね合わせていたのだが、その焦点は奇妙なことに、合ったり合わなかったりであった。それで、ソイソーはショー=サナエの元へと近づこうとした。
が、
「サナエー!」少年の声である。
風の勢いは俄かに頂点に達した。それらは背後の壁に当たって行き場を失い、乱れながら地面を張っていた。ソイソーは、どんどんとやって来るその風が伸ばした諸手で後ろから押されるようにして体勢を崩した。顔面は食らいつくように同じ所を向いていたが、ふらついた足が地を捉えきることができずに、顔ごと上体は大きく乱れていった。そのままだと頭から前部を地面に叩きつけるような形だった。だが、そこは、持ち前の並外れた運動神経が為せる業なのか、既の所で靴の裏がしっかりと地面を蹴ると、前傾姿勢で更に大股と小股合わせて四歩ほど進んでから地に膝と手が突いて、ソイソーは転ぶことを免れた。しかし、次に顔を上げた時には、ショー=サナエはもはや、小さな陽の光の、その中であると思われた。
「サナエ?」ソイソーの視界には少年の声だけしかなかった。
「サナエ!?」目の中の風景が上下に揺れた。声が上ずって刀を持つ手は震えていた。口の奥が徐々に痛くなっていって、目頭に微小の熱が発生していた。
「サナエーー!!」
「シャーーー!」
その奇声と共に悪魔達は多くが一斉にその場に伏せた。そして、その後ろに居た大巨体の骸骨顔の悪魔は体の右側面で廻していた例の武器を一気に投げ放った。愚鈍にも地に体を倒しきれなかった奴や屈みきれなかった小悪魔共が、高速で走り抜けていった黒い光に触れて、本来あるべき姿へと戻されていった。ショー=サナエが突然に目の前から去ってしまったという事実は、少年にとっては剣を投げることとも同じようなものであったが、異なる刃が自分の身に迫ってきていることなどは夢にも思っていないのだった。霧は光に飲まれたり、地に消えたり、いずれも惨めであった。黒い光は少年の後頭部を軌道の終着点に定めていた。当初は背中だったのだが、少年自身がその位置を変えてしまっていた。しかし、どちらにしても、少年にはそれをどうこうする術がなかった。ここまで、良くも悪くも心を大きく揺さぶる出来事に遭遇してきて、今、ショー=サナエに走られてしまったことで、少年の深くではすでに刃を受けたような痛手を負っているのだった。刀どころか小石さえ持てないような状態だった。高速で走る刃は自らが起こした風の残骸を切り裂いて、哀れな小僧の下まで残り半分を切った所まで突き進んでいた。ソイソーはできのいい彫刻のようになっていた。薄暗い空間の中のどこかに落ちていた遠い光によってそれは密かな白い光を湛えていて、少し離れた所で、本来は生を授かることの許されない死神の子達が、じっと見詰めていた。何とも不釣合いな白い歯を見せて一匹が奇声を発した。
「アイシュワオウオヒャリヤ(あいつはもう終わりだ)!」
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




