第一部 第二章 キィーバの山に住む者・中編 I
その者は、森の中をある程度の高さを保ちながら飛んでいた。誰が聞いてる訳でもないのだが、彼の者は音を出さずに飛んでいた。正確には、その森独特の、常に流れている水の音を表現しながら翼を使っているのだった。そう、この者は今、飛獣であった。時々、この森を、緑の葉に触れそうなくらい高い位置、低くても十数メートルの所で飛行しては、密かに辺りの様子を観察しているのだった。
「ん? あの者…。確か、あの雨の日もここを通っていたな。しかも、今日はあれだけの荷物を背中と手に持ってのお出掛けか。だが、まあ、何も気にする必要はないだろう。あの子供が、近々のことに関係しているとは思えないからな。いや、関係していたら国の一大事となってしまうな。」彼は高度を上げていった。その直後、地を行く者の手にあったものが動き出した。
「何かあった?」
「…。」
珍しく、何も答えなかった。ただ上を向いて、ジーッと翼が動く姿を見詰めているだけだった。
それでは、二章の本文をどうぞ。
「参ったなあ。地図に載ってない洞窟だから何だろう、と思って入ってみたけど、どっちに行ってもこの場所に行き着くなんて。…まさか、外にも出られない、なんてことは…。」
彼の前方には三本の路が伸びていた。背後にも一本あった。彼の中には、まだ、前にあるいずれかの路に入りたいという思いがあった。だから、彼の片足は自然と地面から離れていった。だが、彼は足をその場に下ろした。逆の足も上がり始めたが、その足は僅かに後ろの方で下ろした。その状態のまま彼は静止した。呼吸の為に小さく開けていた口までがゆっくりと閉じられていった。そして、完全に口が閉まったその時、彼は何かの気配を耳にした。耳の中に入っていったその何かは猛然と彼の体を刺激していき、直後に、彼は背後の通路へ大股を踏み出していった。
「……、ハッ…、……、」彼は、その集まりの中では非常に高い身体能力の持ち主で、僅かな時間であったとはいえ呼吸の調子を崩した直後の運動行為であっても、息を大きく乱すことは無かった。彼の左手には魔法蝋が握られていた。洞窟の中だから、ということで彼は明かりを点けていた。激走の中でその小さな炎は大きく揺れていて、普通の蝋に点いてるものであれば消えてしまいそうな様子であった。彼の走っている路は直線が少ないところであったが、彼は、自分がどういう道を走っているのか、という感覚は全く無い状態であった。数分の間、右か、左か、と走った後、彼の視界に白い光のようなものが見えてきた。だが、次の瞬間、彼は急激な目眩に襲われた。
「ん…、何だ?」彼は不意に足を止めた。眼前の白いものは非常に眩しい光を放っていたので、とにかく、彼は右腕でそれを遮っていた。再び前に進もうかどうかを迷っていると、やがて、その光はゆっくりと弱まり始めていった。彼は警戒しながらも腕を下ろしていった。両腕が下がった状態で少し経つと、その光は彼の目でまともに見える状態になった。そこにあった光景を見て、彼は少しの驚きを感じた。
「な、何だ。戻って来れたんだ…。」
彼は自分の目の前にある岩のことをよく覚えていた。それは、大きさは彼の倍くらいのもので、大人でも見上げる必要があるほどのものだった。真ん中より少し上の辺りには、二つの窪みがあった。それらの窪みは岩の大きさからすれば小さなものであったが、それでも、彼の顔と同じ大きさがあって、形は左右対称であった。彼はそれらを、相手の体を石のように固めて動けなくさせる力を持つ、悪魔の目のようである、と考えていた。その下には、ある程度の高さに渡って、横長に出っ張っている部分とへこんでいる部分、更に、出っ張っている部分、というものがあった。へこんでいる部分は、中が更に細かな凹凸の形をしていて、三つを併せて見た時に、彼はそれを、手に持った刃ごとその身を食らってやろうとしている、魔物の口のようである、と考えていた。そして、そのようなものを有しているこの巨岩を彼は、古に伝わる伝説の生き物である、
竜、その顔にそっくりである、と思っていた。
そんな岩の前にあったこの洞窟は、不思議なことに、父親からこっそりと拝借したこの地図には記されていなかった。入口の見た目は、この山に幾つもある他の洞窟のものよりわずかに小さい、という所以外は特に変わった点はなかった。ただ、眺めれば眺めるほど、彼は何とも言えない違和感をその辺りから感じるようになり、外で立ったまま数分間は過ごしていた。それで、いつものことではあったが、競争相手の到着が遅れていることもあったので、彼は試みにその洞窟を探索してみたのであった。結果は、決して彼を満足させるものではなかった。そのことは彼の予想していた所であったが、別に彼の予想と重なっている部分もあった。
「まあ、調べた甲斐はあったな。」
彼は竜岩 -彼の勝手に付けた名前- の近くに歩いていった。そして、その側で腰を下ろして、背負っていたリュックも地面に置いた。最初、リュックはここに置いていこうとしたのだが、洞窟に入る直前、一つの風の音に少々不気味なものを感じて、結局、持っていくことにしたのだった。「(仮に、リュックが無くなったら、自分の計画が大きく狂うところだったから、それを防ぐ意味でも持っていって正解だったかな。)」と彼は今になって思った。その大事な物の中から鈍い光を放った金属の筒を取り出た。蓋を開けるとそれを器として、中に入っているものをそこに六分ほどまで注いだ。彼はそれを飲み干してから、同じく中からタオルを取り出して、それを頭の上から左右が垂れるように置いた。
「…さてと、」彼は更にリュックの中に手を入れた。リュックの内側に極薄だがある程度の面積のある収納空間があって、彼の手はそこに伸びていた。出てきた彼の手には借り物であるこの山の地図があった。地図は二枚あった。一枚はこの山の地形と洞窟の場所を記したもの、もう一枚は洞窟内部の構造を記したものであった。どれがどの洞窟であるかもしっかりと明記されているのであった、一箇所を除いてであったが。彼は今一度この山についての確認をし始めた。時折、山の上部を見詰めては、そこの霧が出ている所と出ていない所の境辺りを指しながら口元が僅かに動いていき、そして、目線がパペルに戻っていった。
そのような作業を数分の間繰り返した所で、彼は、二枚のパペルが先ほどより白く光っているように見えた。乗っけたタオルで軽く顔全体を拭くと、再び飲み物を口に含んでいった。
「ふぅ、少しは暖かくなってきたかな。」灰色の山々はその色に明るさが見えてきているが、それでも、山から吹く風はまだ幾らかの冷気を持ったものであり、そのことが彼を再び不安な気持ちにさせた。
「…今、何か聞こえたような…?」彼はそう思うと、素早く後ろを振り返った。それは、森の方向であった。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




