第一部 第一章 Wa
彼ったら、大学の時から女癖が良くないの。でも、私が分かれた理由はそんなんじゃなかった。許婚が居たからだったの。
-一部省略-
そして、法務官となって三十年。日記を付けてから、今日でちょうど十年になるけど、その日に偶然見かけた彼は、私が大好きな彼だったの。だから、私は迷わず声を掛けたわ。断られることが分かってて…。負け惜しみじゃないのよ。夫以外で一番長く一緒に居た異性は、彼だったんだから。 -日記・「連ね」、より抜粋-
水飲み休憩の前とお説教時間の後とでは、校庭に流れる風の冷たさは少し変わっていた。ちょうど今が、山に残る冷気が高原の平地で存在感を示す時間なのであった。夕陽がより一層その紅さを強めていて、「その紅はお昼のキィーバの暖かさなんだ。」と書くのも納得するなあ、と思ってる五年生は多く居た。冬休みに部長が書いた宿題の作文にある一文であった。国語の先生は彼の作文に優秀点を与えたのだった。部長のことをただの剣術バカだと思っていたソイソーは、そのことを「兄ちゃん」から聞いて、『ヘェー…』という反応でその時は終わったのだが、それから、少し見方が変わったのだった。
この時間、学院近くにそびえ立つ、キィーバを囲む山々の北側部分は、その複雑な地形が生み出す本来の色合いをほとんど失った状態であった。逆に、夕陽を受けた南側の山脈はその紅さを複雑な模様へと変えていた。それは珍しいことだった。遅刻少年が槍壁の近くで副部長と特別練習をしている時に、他の部員達が「空振り」の練習をしていた頃、彼らは隣同士でその事をしゃべっていた。
「すげえ赤だよな。」 「そうかな? 僕は変な紅だと思うけど。」
彼らのやっている「空振り」という練習は、このキィーバ国立学院で剣術を学ぶ者達だけが知ることのできる、独特な練習方法なのである。
「山の上、まるで燃えてるみたいだな。」 「伝説の竜が火を吹いたんじゃねえの?」
昔から、学院の子供達が学ぶ剣術はキィーバ軍の兵士達が使っている型を基本としていた。その兵士達が代々磨いてきた剣の技というのは、もちろん、多少の独自性というのはあったのだが、他流の剣士が非常に剣を交えづらいと感じるほどのものではなかった。ただ、それはキィーバの兵士・剣士達が弱いということを示しているのではなかった。寧ろ、キィーバの戦士達 -槍、斧等、様々な武器を扱う者達を含めて- は大変な強者が多い、というのは世界的に有名なところであった。そして、その者達が創る伝説というのも時代毎に一つはあるのだった。
その伝説の一つは、それを探るために時を遡る必要があるのだが、それこそ伝説の「竜」が暮らしの中に出てくるほど古い時代を見る必要はなかった。それは、およそ七十年前の事と言われている。ソイソー・アーマスの父の両親がちょうどそのくらいの時に生まれているのだが、二人はソイソーが生まれる一週間ほど前に亡くなっていた。父から剣を初めて教わる時に、少年はおじいちゃん・おばあちゃんのことを知ることになって、体の中で見たことも感じたこともないあつい何かを、やはり、初めて感じることになった。つい最近も、体の中にその感覚を持ったばかりであったが、ソイソーは不思議とそれらの感覚のことだけは覚えていないのであった。さて、その七十年前のことだが、今のキィーバ第一将軍より三代前の時代なのであった。
「新たな剣術の誕生だ」という感じを本人はほとんど持っていなかった、と伝説は言っている。伝説を創った勇者の名前は、
トミー=バラハス=トゥーダ。今より三代前のキィーバ第一将軍を任されていた者なのであった。トゥーダは、現将軍と比べると決して真面目とは言えない感じの男であり -ただ、それは時代が許したものでもあったのだが- 、残された資料に拠れば、城の要職に就く者としては非常に稀な、離婚をしている将軍なのであった。そのような男が酔狂から生み出した剣術は、諸刃である「剣」と片刃である「刀」を同時に扱うという、当時としては、異色の異色とされる形の技であった。
元来、「剣」を主力武器として使っていた将軍なのだが、他にも槍・斧・弓等と様々な武器を並みの軍曹 -キィーバ軍では、五人×十部隊の長- 以上に使いこなすだけの力があった。加えて、抜群の戦闘感覚があったその男は、「刀」を初めて握った直後に袈裟斬りを数度行って、その全てで目の前の相手を切り落としたのだった。「刀」は戦利品の中にただ一刀だけあった物だったが、その時、トゥーダはそれ以上刀に興味を示さなかった。「刀」を右手に持ち替えた後、トゥーダはそれをぞんざいに近くの兵士へと渡し、男の足元とそのすぐ前に立っている数本の小さくなった木の枝を残したまま、「飯を食おう」と言って、立ち去ってしまった。数日後、キィーバ城にて戦利品を整理していた兵士の一人がその刀を目にした時であった。彼がその時に何も言わなかったら、伝説はそこで終わりを迎えていたかもしれなかった。兵士は、第一将軍殿はまだこの刀をご覧になっていないのでは、と思い、刀を持って参上したのだった。
「ああそれか。不思議な『剣』だよな、て思って何度か試し斬りはしたんだがな、…どうもしっくり来なくてな。んー…。」とトゥーダは兵士に言った。一瞬、兵士はドキッとしたのだが、「刀」と言わなかったのが気になって、更に言ったのだった。
「将軍、『刀』には『刀背』というものがあるんですが、…。」
その日、トゥーダはいつもより遅くに城を後にした。普段は、陽の短い季節でも太陽が山に隠れ始めたら酒屋に繰り出す、というような男であった。同僚で文官の要職に就いている者が城を出る彼を見つけて、やはり、食事に誘ったのだった。だが、彼は首を縦には振らなかった。同僚の日記にはこうあったのだった。
「面白いものを見つけてな。今からちょっと寄ってみるとこなんだよ。」
「私も連れて行ってくれない? 連れを亡くして結構経つんだけどねえ。」
「ちょっとだけ堅苦しいとこなんだよ、そこ。そういう所苦手だろ、レン?」
その同僚の日記や部下、町民等の話から男の向かった先は幾つか考えられたのだった。しかし、トゥーダがひいきにしている、町で一番の鍛冶屋の所に行った、というのが伝説を解釈する学者達の一般的な見方であった。その根拠は、彼をよく知る女性が語っていたから、なのだそうだ。
その鍛冶屋はキィーバでは少ない「刀」の使い手でもあった、と言われている。だが、そこで何が為されたかということだけは、ついに明かされることはなかった。直後、しばらくの間、トゥーダは、側近以外の者を滅多に寄せ付けなかった。そして、そんな彼らはもちろんのこと、トゥーダの向かったと思われる関係場所に居る者達の誰もが、生涯にかけてその一切を話さなかったのだった。ただ、その中で、確実に言えることがあった。例の兵士が朝早くに訓練所でトゥーダを見かけたのだった。その時、将軍は踊っているようであった、と兵士は言っていた。まるで酒屋の中の将軍であったと。
キィーバ第一将軍が新剣術を披露したのは、彼の母校でもある国立小学院の特別講師となった日のことであった。新剣術は、両方の手で異なる刃、「剣」と「刀」を使っての二刀流剣術、後に、「新キィーバ剣術」と呼ばれるものなのであった。同じ種の武器でさえ複数同時持ちをする者がほとんど居なかった頃のことである。そして、その剣術専用の練習方法として考え出されたのが、「空振り」と呼ばれるものなのである。「空振り」はこの異色の二刀流剣術の、七十年後のこの時代でさえも二刀流自体が世界的に見て異色なのではあるが、その精神訓練を大きな目的として行われるものであって、ここができていない者には刃を手にしてのいかなる初歩的な技も教えること許さず、ということなのである。
地味だが長い時間同じことを繰り返すこの練習は、すでに練習のほとんどが形ある刃を手にしながらである城の兵士にとっても、「一番疲れる練習だ」と口を揃えて言うほどのものであった。小学院のちびっ子剣士達が投げ出さずにこの練習に取り組ませる為には、部長も隣同士の多少の世間話を認めざるを得ないのであった。ただ、彼の地獄耳は、悪魔の一種、ヘルケルベロスが掛けた魔法に遣られたからだ、と言われるくらいに小さな雑音も逃さなかった。だから、二者の話している音量が隣同士のそれでないという場合は、すぐに、彼の耳と目に留まるのであった。この日の練習でも一組が部長の領域を犯してしまい、特別な扱きを受けているソイソーの下へと送られることになった。
前書きは、架空の世界に住んでいる方の日記によるものです。




