第五話 放課後二人で
放課後。
終わりのホームルームが終わると、教室の中が少しずつ騒がしくなっていった。
「じゃあ、今日はこれで終わりだ。気をつけて帰れよー」
先生がそう言って教室を出ていく。
それを合図に、みんなが帰る準備を始めた。
私も鞄に教科書をしまう。
「…………」
いつもなら。
そのまま一人で帰る。
でも今日は。
「白上さん」
「…………?」
隣から声がした。
顔を向けると、木下くんが鞄を持って立っていた。
「帰ろう」
「…………うん」
私は小さく頷いた。
* * *
教室を出る。
昇降口で靴を履き替えて、校門を出る。
「…………」
「…………」
最初は、二人とも何も話さなかった。
隣を歩いているだけ。
でも。
不思議と嫌ではなかった。
「そういえばさ」
木下くんが口を開く。
「白上さんって、いつもこの道?」
「……うん」
「俺さ、前あった空き地のとこ、曲がるんだよね」
「……私は真っ直ぐ」
「じゃあ、途中まで一緒だね」
「…………うん」
そんな何気ない会話をしながら歩く。
学校では隣の席だけど。
こうして学校の外を一緒に歩くのは、初めてだった。
「…………」
なんとなく。
いつもの帰り道が、少し違って見える。
しばらく歩いたところで。
「あ、ちょっと待って」
木下くんが立ち止まった。
「……?」
木下くんが指差した先には、自動販売機があった。
「ジュース買おう」
「……うん」
木下くんが財布を取り出す。
「白上さん、何飲む?」
「…………」
私は自動販売機を見る。
いろいろな飲み物が並んでいる。
その中から。
「……これ」
私が指差したのは、苺ミルクだった。
「苺ミルク?」
「……うん」
木下くんが少しだけ驚いた顔をする。
「白上さん、苺ミルク飲むんだ」
「……悪い?」
「いや、全然」
木下くんは笑った。
「なんか意外だなって思って」
「…………」
私は少しだけむっとする。
「……じゃあ、変える」
「え、なんで?」
「……からかってるでしょ」
「からかってないって」
木下くんが慌てる。
「ただ、もっと苦いのとか飲みそうだなって」
「……何それ」
「なんとなく?白上さん大人っぽいしさ」
「…………私苦いの飲めないし」
私は少しだけ木下くんを見る。
「……木下くんは?」
「俺?」
「……何飲むの」
「俺はこれ」
木下くんが選んだのは、炭酸のジュースだった。
「……炭酸」
「うん」
「子供っぽい」
「えっ」
今度は私が言った。
木下くんが目を丸くする。
「白上さん、今ちょっと仕返しした?」
「…………してない」
「絶対したでしょ」
「…………」
私は少しだけ口元を緩めた。
「……ふふ」
「あ、また笑った」
「…………」
私は慌てて顔を逸らした。
木下くんが楽しそうに笑う。
「はい、苺ミルク」
「……ありがとう」
木下くんから飲み物を受け取る。
「俺のも」
木下くんは自分の炭酸ジュースを開けた。
「じゃあ、乾杯」
「……何に?」
「今日、一緒に帰れたこと?」
「…………」
私は少しだけ恥ずかしくなる。
「……変なの」
「いいじゃん」
木下くんは笑った。
私は小さく苺ミルクを飲む。
「…………」
甘い。
いつも飲んでいる味なのに。
今日は少しだけ特別に感じた。
* * *
また歩き始める。
木下くんは炭酸を飲みながら、学校のことを話していた。
「今日の数学、思ったより難しかったな」
「……そう?」
「白上さんは余裕そうだったけど」
「……普通だよ」
「俺、また分からないところあったら聞くから」
「……うん」
「よろしくね白上さん」
そう言って笑う木下くんを見て。
私は少しだけ嬉しくなった。
そんなふうに話しながら歩いていると。
ポケットの中から音がした。
「…………?」
スマートフォンの着信音。
私は立ち止まった。
「あ」
慌ててポケットから取り出す。
「もしもし」
電話の相手は、お母さんだった。
『澪? 今日、仕事が少し長引きそうなの』
「……うん」
『だから、帰り少し遅くなるからね』
「……分かった」
『気をつけて帰ってきてね』
「……うん。分かった」
電話を切る。
「…………」
顔を上げると。
木下くんがこちらを見ていた。
「白上さんって、携帯持ってるんだ」
「……うん」
「いいなぁ」
「……?」
「俺、持ってないんだよね」
「……そうなの?」
「うん」
木下くんは少し羨ましそうに言った。
「連絡とかできるし、便利そうだなって」
「……そっか」
私は少し迷ってから。
「……うちは、お母さんと二人だから」
「……え?」
「お父さんとは……離婚してるの」
木下くんが黙った。
私は少しだけ俯く。
「だから、お母さんの帰りが遅くなるときとかは、こうやって電話がくるの」
「……そうだったんだ」
「……うん」
少しだけ気まずい沈黙が流れる。
でも。
木下くんは、何も変なことを言わなかった。
しばらくして。
「そっか」
それだけ言って。
少し考えるように前を向いた。
「……でもさ」
「……?」
「何かあったら、いつでも頼ってね」
「…………」
私は木下くんを見る。
「学校でも、帰り道でも」
木下くんは、いつものように自然な顔で笑った。
「俺でよかったら、いつでも頼って」
「…………」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「……どうして?」
「え?」
「……どうして、そんなこと言ってくれるの?」
「どうしてって……」
木下くんは少し困ったように笑った。
「友達だからじゃない?」
「…………」
友達。
その言葉が、胸の中にゆっくり落ちていく。
私には。
今まで、いなかったもの。
「…………」
私は少しだけ俯く。
「……ありがとう」
小さな声で言った。
「うん」
木下くんも笑った。
* * *
しばらく歩いて。
私の家へ向かう道と、木下くんの帰る道が分かれる場所まで来た。
「じゃあ、俺こっちだから」
「……うん」
「今日は一緒に帰れてよかった」
「…………」
「また一緒に帰ろうね」
「……うん」
私は小さく頷いた。
「じゃあ、また明日」
「……また明日」
木下くんが手を振る。
私も小さく手を振り返した。
木下くんの姿が見えなくなるまで、その場に立っていた。
「…………」
そして。
一人になった帰り道を歩き始める。
手には、まだ少しだけ冷たい苺ミルク。
胸の中には。
さっき言われた言葉が残っていた。
『何かあったら、いつでも頼ってね』
「…………」
優しい。
木下くんは、本当に優しい。
そんなことを思いながら。
私は少しだけ笑って、家へ向かって歩いた。




