四、成れの果て
黄昏と、夜闇と、黎明と。陽の昇らぬ時間を繰り返し、ヤチヨ姫の鎮座する異形の森まで、ウツロに連れられ辿り着いた。
かつてなら眩い光に満ちた昼時であるにもかかわらず、ねじれた巨木が生い茂るそこは、暗く粘ついた静寂に染まっている。
「足下、いろいろあるから 転ぶなよ」
素っ気なく注意を促された側から、固い何かに躓き ヒジリの体が傾く。危うく転びかけたヒジリの襟首を引っ掴み、ウツロは呆れた様子で溜め息を吐いていた。
軽く礼を言いながら足下を見ると、犬とも猪ともつかない獣の亡骸が目に入り、思わずヒジリは声を上げてしまった。前を歩く粗野な男の大剣によるものではなく、別の怪物に腹を食い破られた痕がある。
「……いつから、こんな世になっちまったんだろうな」
相も変わらず感情の乗らない声で、ウツロの背中は呟く。
ウツロがヤチヨ姫に差し出されるより ずっと、ずぅっと昔から、都の外は化神の支配する呪われた地に成り果てていた。どこまでが本当かはウツロにも判らないが、外の世界をうろつく怪物どもは この地で生きていた 原生の生物が化神の呪いで変質したものらしい。そう、ヤチヨ姫は語っていた。
口調に変化はないものの、心なしかウツロの口数が増えた。多少は打ち解けることができたかと、ヒジリの口元も緩む。もう少し、ウツロ自身のことも訊いてみようかと 彼の名を呼びかけるべくヒジリが顔を上げると同時に、ウツロの足がピタリと止まった。
背の大剣の柄に右手をかけ、空いたほうの手振りで ウツロはヒジリを制止する。ざわつく巨木の隙間から、獣か人か判別のつかぬ生臭い呼吸音が迫り来るのが聞き取れた。
「ヒジリ、勝手に逃げ出すなよ」
低くはあっても冷たくはないウツロの声色に、意図を察しヒジリは頷く。
直後に現れたのは、旅の途中に目にした怪物どもとは明らかに異質な『呪い』を受けた存在だった。
全身の皮膚は木膚のごとく硬質化した上で、生々しいヤドリギの蔓が絡みついている。顔の右半分は木の肥大化した瘤に覆われ、その左目にだけ 人間であっただろう痕跡が読み取れた。
「先代……」微かに洩れたウツロの言葉に、ヒジリの知らない感情が滲んでいた。しかしウツロが『先代』と呼んだ怪物は、正面に対峙し鋭利に構える剣士には 目もくれない。
憎悪と狂気で濁った眼は、突き立つように真っ直ぐ剣士の背後――栗色の柔い髪の美しい青年に向けられていた。
「オサ……ニエ……。クモ……ツ……。ニエ……エサ……!」
木の瘤で覆われた異形の顔いっぱいに 狂喜が浮かぶ。
一歩、二歩と近づいてきたかと思った途端、先代と呼ばれた怪物は ヒジリ目掛けて躍りかかってきた。
驚き 恐怖に身体が強張り、ヒジリは両目を瞑るのが精一杯だった。
金属がぶつかるには重く、鈍い音が瞑った目蓋の向こうに上がる。
いつまでも来ない衝撃に恐る恐る片目を開く。そこにあったのは異形の元人間ではなく、この数日ですっかり見慣れた精悍な背中だった。
猛禽、あるいは異邦の大蜥蜴を思わせる鉤爪は、ウツロが抜き放った大剣に押し止められている。否、よくよく見れば 爪というより枝と化した手指のようだ。ただし、木の枝というには あまりに鋭く 禍々しい。
「悪ィが先代、こいつはあんたのエサにはできねぇ」
飢えた怪物はただ邪魔をする者を除け、獲物を喰らいたいと手を伸ばす。
腕を切り落とされれば蔓を伸ばし、額を切りつけられようと 獲物から目線を外さない。異常なしぶとさは、化神に与えられた新しい心臓がもたらしていることを、ウツロ自身もよく 知っている。
「ちぃ、背中を見せてくれさえすれば……」
「背中?」自分を庇って防戦一辺倒のウツロのぼやきに、ヒジリは密かに拳を握る。ウツロは「逃げ出すな」と言っただけだ。
意を決し、ヒジリはウツロの背後から飛び出した。想定通り、先代と呼ばれた怪物は ヒジリに視線を向け、頭を真横に巡らす。
さらに距離を拡げようと駆け出す ヒジリの後ろに、じめついた気配が迫ってきた。凶悪な風圧が、今にも振り下ろされようとしていた。




