三、箱庭の外の絶望
都の大正門をくぐり抜けて、どれほど経ったろうか。
門の外に広がっていたのは 緑豊かな大地でも、人の往来がある街道でもなかった。幼い頃からヒジリが聞かされてきた『都の外の世界』は、どこにも見当たらない。
空には一筋の光も差さず、重い曇天が被さっている。乾いたどす黒い地面には、人間とも獣ともつかない巨大な足跡や、粘着性を帯びた未知の怪物の爪痕が 無数に刻まれていた。ウツロが向かっていく先に目を向ければ、ねじくれた不気味な巨木が重なり合う 終わりのない闇色の森が待ち構えている。
前後左右、遠くのどこかから 地鳴りに似た禍々しい咆哮が響くたび、ヒジリの足はすくみ、身体はぶるりと震えた。
「……これが、外の、世界……? 他に人の暮らす地は、ないのか……?」
かさつく声で問いかけるヒジリに、ウツロは振り返るどころか歩みを止めることもない。じわりと湿った毒々しい風だけが、赤茶けたウツロの髪を揺らす。
「聞いたこともねぇや。……この世界は、とっくの昔にバケモンに食い尽くされてんだ。お前ら都の人間が、外の世界の現状も知らずに ぬくぬく生きてこられたのは、姫さんが 気まぐれに箱庭遊びをしてくれていたからなんだよ」
――都の外にも 明るく豊かな世界が広がっていて、小さくとも人の暮らす集落が無数にある。その中でもより 大きく繫栄するために、都を護る化神『ヤチヨ姫』に『供物』を捧げなければならない。
幼いヒジリに、都の長である父は そう教えてくれたのを憶えている。父は都の外の絶望について、知っていたのだろうか。
「姫さんに召し取られた人間は、運が良ければ俺みたいに『動く手足』となって、少しばかり寿命を残してもらえる。お前も 最初からおとなしく受け入れておけば、もうしばらく 都も保っていたかもな」
背中のまま流れてくるウツロの声には、憎しみすら通り越した諦念の冷やかさがある。
「ただし ヤチヨ姫の手足として外を歩くってのは、こんな場所でずっと、命のやり取りを続けなくちゃならねぇって事でもある。お情けを頂戴したって、弱けりゃ生き残れやしない。強くならなければ、手足となることさえできねぇ。……お前らが軽い気持ちで突っぱねた『供物』ってのは、この絶望を遠ざけるための、たった一つの 安い代償だったんだよ」
「たった一つの 安い代償」という言葉が、ヒジリの胸を深く抉った。
理不尽な要求に抗っただけのつもりが、都という名の箱庭は呆気なく壊れてしまった。そうして露出した世界は、一柱の化神の『気まぐれな加護』に縋らねば 人ひとり 生きることのできない 過酷な死地であった。
*
ヤチヨ姫の待つ森までの道は遠く、その日の宿は刺々しい灌木の茂みの中にできた わずかな空洞だった。念を入れて怪物除けの香料を撒いた後、ウツロは無造作に上着を脱ぎ捨てた。むき出しになったウツロの肌を目にした瞬間、ヒジリは はっと息を吞んだ。
自分とそう変わらない、まだ二十を過ぎたくらいの 削ぎ落とされたように締まった身体。そこには 真新しい赤黒い肉芽から 白く引き攣れた古いものまで、数え切れないほどの傷痕が びっしりと刻み込まれていた。それは彼がどれほど苛烈な世界を生き抜き、強くあることを「強要」され続けてきたかという 雄弁な証だった。
「……すまない」気がつけば、勝手に口から零れていた。
「何も、知らなかった。都の外に、人の居場所がないことも……放り出されて傷だらけで生きる者がいたことも、何も……」
ちら、とヒジリを見やってから、ウツロは フン、と鼻で笑った。
「今更 謝るなよ、若サマ。お前に謝られたところで傷も消えねぇし、都にも戻れねぇ。……これからはもう、生き延びることだけ考えろ。取りあえずは寝るこった」
ウツロはそれ以上 何も語らず、横になって目を閉じた。
胸元をかき合わせ、ヒジリも膝を抱えて顔を埋める。
都の外の本当の姿を知った今、ヒジリの中でウツロという男の存在が、単なる『化神の手先』から『共に生き残らねばならない人間』へと 変わり始めていた。




