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男子校のポンコツ姫が通ります♡  作者: いちみりヒビキ
1stシーズン:~姫営業は地味男に効かない~
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第8話 体育祭と、必要な分だけ速い男

体育祭当日の白鷺坂高校は、朝から校庭ごと騒がしかった。


赤、青、白のテントが並び、校舎の窓からも男子たちが身を乗り出している。校庭の白線は朝日に光り、スピーカーからは係の声が流れていた。


二年三組の赤組席で、黒瀬陸斗はすでに限界まで燃えていた。


「赤組、勝つぞ!」

「黒瀬、開会前から声が本番」


「本番だからな!」

「今は集合確認」


「集合確認も勝負だろ!」

「何と戦ってるの」


依央は赤い腕章をつけ、応援用の団扇を持った。赤組の男子たちが自然とこちらを見る。下級生も、他クラスの男子も、少し離れた場所から視線を向けてくる。


見られている。


それは、依央にとっていつものことだった。


(はい、来た。学校中から見られる日。赤組の姫、出勤。笑顔、姿勢、団扇の角度。全部いける。俺はこういうの得意。大丈夫。今日は赤組の花として咲く)


篠宮怜央が集合表を確認しながら言う。


「花宮、応援合戦は三つ目。黒瀬は声を抑えめに」


「抑えめって何だ?」

「普通の人間の声量」


「難しいな!」

「黒瀬、それ難しくしないで」


鷹宮蓮が赤いはちまきを整え、依央を見て笑った。


「花宮、今日かなり目立つね」

「赤組のせい」


「それだけじゃないと思うけど」

「鷹宮は朝から台詞がきれい」


「本当のことだから」


近くの男子が小さくざわつく。依央は外向きの笑顔で受けた。


視線は集まる。期待される。かわいい、きれい、頼れる、赤が似合う。そういう視線は、いくらでも扱える。


でも。


依央は、校庭の向こうを見てしまった。


久我燈真が、障害物競走の集合場所にいた。


力の抜けた立ち方。赤組の熱にまるで染まっていない顔。けれど、靴紐だけはきちんと結び直している。


その何でもない動きに、依央の目が止まった。


(いた。いや、いるのは知ってる。種目も知ってる。見る場所も確認した。……確認した? 俺、どんだけ見る気だよ。やば)


「依央」


横から晴臣が声をかけてきた。別クラスのはずなのに、こういう時は当然みたいな顔で赤組席の近くにいる。


「何」

「朝から久我探すの早くない?」


「探してない。視界に入った」

「校庭広いのに?」


「晴臣、今日ほんと黙って」

「無理」


「即答すんな」


晴臣はけらけら笑った。


****


開会式が終わると、体育祭は一気に動き出した。


短距離走、綱引き、玉入れ。黒瀬は出る種目でも出ない種目でも声を出し、篠宮は赤組の得点表を見て、鷹宮は応援席で何をしても絵になっていた。


依央は応援席の中央で、団扇を上げる。


「赤組、いくよ!」


声が返ってくる。


「いけー!」


「黒瀬、声量!」


「抑えてる!」

「それで!?」


周りが笑う。依央が笑えば、一年生も笑う。赤い団扇がそろって揺れる。


学校中の視線が、依央を通って赤組に集まる。


(見られるのは平気。むしろ、ここは俺の場所。赤組の応援も回せてる。黒瀬は爆音、篠宮は冷静、鷹宮は王子。俺は姫。完璧。……なのに)


目が、また校庭の向こうを探してしまう。


燈真の姿。


まだ障害物競走は始まっていない。分かっている。なのに、集合場所の赤いゼッケンを見てしまう。


(まじで何。俺、みんなに見られてる側なのに、完全に見る側になってない? やば。体育祭、立場バグる)


****


午前の途中、借り物競走が始まった。


晴臣の姿が校庭に見える。依央は赤組席から見ていた。晴臣は紙を引き、少しだけ固まったあと、観覧席の方へ走る。


その先にいたのは、白石千紘だった。


「え、白石先輩?」


依央が思わずつぶやくと、係の生徒がマイクで読み上げた。


「お題、上級生!」


依央は軽く納得した。


(それで白石先輩。白組の花だし、こんな時しかお近づきになれないしな。晴臣、案外やるじゃん。へぇ、清楚系が好みなのかも)


晴臣と千紘は、短い距離を並んで走った。千紘は少し困ったように笑い、晴臣は妙に照れているように見えた。


依央はそれを一瞬だけ見て、すぐに赤組の応援へ戻った。


「黒瀬、次、綱引きの集合!」


「おう!」


****


体育祭は止まらない。


そして、午後。


障害物競走のアナウンスが流れた。


依央の手が、団扇の柄を少し強く握った。


「依央」


晴臣が横からのぞく。


「顔」


「晴臣」

「はい」


「今から黙れたら、あとで購買のパン一個」


「久我出るまで?」

「うん」


「高いパンで」

「調子に乗るな」


晴臣は笑って、口を閉じた。たぶん数分しか持たない。


障害物競走の選手たちが並ぶ。跳び箱、網、平均台、低いハードル、最後の旗取り。黒瀬は自分の種目でもないのに赤組席から叫んでいる。


「久我ー! いけー!」


燈真は聞こえているのかいないのか分からない顔で、スタート位置に立った。


力は入っていない。


肩も上がっていない。


けれど、目だけはまっすぐ前を見ている。


依央は息を止めかけた。


(来た。見る。ちゃんと見る。赤組の戦力確認。……違う、もうその言い訳ちょっと薄い。とにかく見る。久我くんが、どれくらい動くのか)


号砲が鳴った。


燈真は走り出した。


派手ではなかった。


黒瀬みたいに全身で速さを叫ぶ走りではない。鷹宮みたいに見栄えのする動きでもない。けれど、足の置き方に無駄がない。跳び箱の前で速度を殺さず、手をついて軽く越える。網では体を低くするのが早い。平均台では揺れない。ハードルは必要な高さだけ越える。


必要な分だけ、速い。


依央は団扇を上げた。


「赤組、いけー!」


いつもの声で言えたはずだった。


けれど燈真が網をくぐった瞬間、声が一つだけ名前を選んでいた。


「久我くん!」


言ってから、自分で少し驚いた。


黒瀬の声でも、応援席の流れでもない。


ただ、出た。


周りがざわついた。


「あれ、久我速くない?」


「え、地味にすご」


「今の何?」


依央は次の声を出すのも忘れて、一瞬見入った。


(何それ。軽い。なのに速い。ずるい。力入ってないのに、ちゃんと前に出る。答案の時と同じ。無駄がない。必要なところだけ、すっと行く。やば。見たいと思ったやつ、想像より刺さる)


最後の旗取りで、燈真は前を走る男子を抜きすぎず、でも赤組に必要な順位を取った。全力で目立つのではなく、必要な位置に滑り込む。


ゴールしたあとも、息は少し上がっているだけだった。


黒瀬が跳ねた。


「久我、すげえ!」


その声で、依央はやっと我に返った。


「赤組、久我くんに拍手!」


自分の声が、思ったより本気だった。


赤組席から拍手が起こる。団扇が揺れる。依央は中央で笑っている。ちゃんと姫の顔で、赤組の応援を回している。


でも目は、ゴール後の燈真から離れない。


燈真が、こちらを見た。


距離がある。


校庭の真ん中と応援席。


なのに、目が合ったと分かった。


燈真は少しだけ手を上げた。


依央の胸が、跳ねる。


団扇の縁を握る指に力が入った。


(今の、受け取った? 俺の応援、受け取った? いや、赤組全体の拍手。俺だけじゃない。分かってる。分かってるけど、こっち見た。今、こっち見た。無理)


晴臣が横で小さく言った。


「依央、パンいらないから言っていい?」

「だめ」


「でも言う。今、完全に落ちてる顔」


「晴臣」

「はい」


「その言葉、午後いっぱいなし」

「長い」


「パンなし」

「厳しい」


依央は団扇で顔を少しだけ隠した。


赤組の歓声はまだ続いている。黒瀬は燈真のところまで走っていき、肩を叩こうとして、燈真に軽く避けられていた。


「避けるなよ!」

「汗」


「体育祭だぞ!」

「だから」


そのやり取りに周りが笑う。


依央も笑った。


笑えたけれど、胸の奥は落ち着かない。


(もっと見たい。今の、もっと見たい。軽くじゃなくて、本当に必要になった時の久我くん。どんな顔するんだろ。どんな速さなんだろ。……はい危険。だいぶ危険。これは攻略のため。久我燈真の本気確認作戦。続行。続行だけど、言い訳の紙がぺらぺら)


****


午後の応援合戦では、依央は赤組の中央に立った。


学校中の視線が集まる。


赤い団扇。腕章。揃った声。黒瀬の爆音。篠宮の段取り。鷹宮の整った立ち姿。


依央は堂々と笑った。


「赤組、いくよ!」


声が広がる。


他クラスの男子も、上級生も、観覧席も、依央を見る。慣れている。視線を浴びるのは得意だ。笑えば、場が動く。手を上げれば、熱が上がる。


なのに、校庭の端にいる燈真が見ていると分かった瞬間だけ、足元が少しだけふわついた。


燈真は水を飲みながら、応援席を見ていた。


熱くもない。騒ぎもしない。ただ見ている。


その目が、他の誰よりも気になる。


(学校中から見られるのは平気。俺、ちゃんとできる。なのに久我くんが見てるって分かると、急に変になる。何で。目立つのは慣れてる。でも、あの視線だけ慣れてない。やば)


応援合戦が終わると、赤組席は拍手と歓声でいっぱいになった。


黒瀬が泣きそうな顔で叫ぶ。


「花宮! 最高だった!」

「黒瀬、まだ泣くところじゃない」


「泣いてねえ!」

「声は泣いてる」


篠宮が結果表を確認しながら言う。


「応援はかなり揃ってたと思う」


鷹宮が軽くうなずく。


「花宮が中央にいると、全体が見やすかった」

「みんなが合わせてくれたからだよ」


「そういうところも含めて、花宮だね」


依央は笑って受け取った。


そこへ、燈真が戻ってきた。


手には空になった紙コップ。髪が少し乱れている。いつもよりほんの少し、体育祭らしい顔をしている。


「花宮」

「はい」


「応援、見えた」


依央は団扇を持つ手を止めた。


「……赤組全体が、ですか」


「うん」

「そうですよね」


燈真は少しだけ笑った。


「でも、中央は分かりやすい」


依央は団扇の柄を握り直した。


「中央担当なので」


「うん」

「役割です」


「ちゃんとしてた」


その声は短くて、静かだった。


さっきまでの笑いにするには、少しだけまっすぐすぎた。


依央はすぐに言い訳を出せなかった。


「……ありがとうございます」


「うん」


燈真はそれだけ言って、紙コップを捨てに行った。


晴臣が隣で、今度は茶化さなかった。少しだけ笑っているだけだった。


依央は団扇を胸元で抱え直す。


(ちゃんとしてた。そういうの、ずるい。みんなの前で立つのは得意なのに、久我くんにちゃんと見られると、何か全部ずれる。やば。俺、今日ずっと見てるし、見られてる)


****


体育祭は終盤に近づき、最後の得点発表を待つ時間になった。


赤組の順位がどうなるか、黒瀬は落ち着かずに歩き回っている。篠宮は何度も点数を確認し、鷹宮は一年生たちに水分を回していた。


依央は少しだけ応援席を離れ、校庭の端に立った。


風が赤い旗を揺らしている。


燈真が隣に来た。


「疲れた?」

「少しだけ」


「声、出してたし」

「久我くんも走ってましたよね」


「少し」

「少しであれなら、本当に本気出したらどうなるんですか」


燈真は依央を見た。


「見たい?」


依央はすぐには返せなかった。


今日は、何度も見た。


障害物を越える足。旗取りの手。応援席へ向けた視線。赤組の中で目立ちすぎないように動く、その加減。


それでも、まだ足りないと思っている自分がいた。


「……見たいです」


言ってから、胸の中が少しだけ熱くなった。


攻略のため、と付け足すこともできた。赤組のため、と言うこともできた。


でも言わなかった。


燈真は、少しだけ目元をゆるめた。


「じゃあ、そのうち」

「そのうちって、雑ですね」


「今は終わったし」

「まあ、そうですけど」


「今日は、見てたからいいだろ」


依央は言葉に詰まった。


(見てたからいいだろ、って何。何がいいの。俺が見てたの、そんな普通に受け取るな。やば。今の静かに刺さる。無理。いや、無理って言うな。言うけど。無理)


晴臣の声が遠くから飛んできた。


「依央ー! 黒瀬が点数発表で爆発しそう!」

「黒瀬はいつも爆発しそうだろ!」


依央が返すと、燈真が小さく笑った。


その笑いが、体育祭の音の中でやけに近く感じた。


****


得点発表で赤組が大きく騒いだあと、夕方の校庭には片づけの時間が来た。


テントの影が伸び、赤い団扇が箱に戻され、旗が畳まれる。黒瀬はまだ悔しがったり喜んだり忙しい。篠宮は最後まで確認をし、鷹宮は椅子を運んでいる。


依央は赤い腕章を外し、手の中で軽く丸めた。


燈真は少し離れたところで、障害物競走に使った低いハードルを運んでいた。疲れた顔はしていない。けれど、髪が少し乱れ、袖がわずかに上がっている。


依央はまた見てしまった。


(今日、何回見たんだろ。数えたくない。見られる姫のはずなのに、完全に見る側になってる。やば。久我くん、必要な分だけ速い男。ほんとその通り。もっと見たいとか思った俺、だいぶ終わってる)


燈真が振り返った。


また、目が合った。


「花宮」

「はい」


「腕章、忘れるなよ」


依央は手元を見た。


丸めた腕章を、片づけ箱ではなく自分の鞄に入れかけていた。


「……これは、赤組の名残を確認していただけです」

「そう」


「そうです」


燈真は近づいて、片づけ箱を指した。


「こっち」

「分かってます」


「顔、疲れてる」


依央は腕章を箱に入れた。


「……体育祭なので」

「うん」


「久我くんも、少しは疲れてください」

「少し疲れた」


「それで?」

「うん」


「燃費よすぎません?」


燈真は少しだけ笑った。


「花宮は燃えすぎ」

「赤組なので」


「似合ってた」


依央は箱のふたを閉める手を止めた。


「……赤が、ですよね」

「うん」


「はい」


「でも、花宮も」


依央は、今度こそ何も言えなかった。


燈真はそのまま、低いハードルを持って倉庫の方へ歩いていく。


言うだけ言って、いつもの顔で行ってしまう。


依央は箱の前で固まった。


(でも、花宮も。何それ。何その雑な追撃。赤が似合う、でも俺も似合う? いや、意味分かるようで分からん。無理。体育祭終わりに置いていく言葉じゃない。久我くん、後片づけで爆弾置くな)


晴臣が後ろから来て、にやっと笑った。


「依央、腕章と一緒に魂も箱に入れた?」


「晴臣、今日ずっと黙っててほしかった」

「無茶言うな」


「パンなし」

「えー」


「えーじゃない」


校庭の赤い旗が、最後に畳まれた。


依央は夕方の風の中で、自分の手を見た。赤い腕章の跡が、うっすら残っている。


学校中から見られた日だった。


でも、最後に残ったのは、燈真を見ていた時間だった。


そして、燈真に見られていた感覚だった。


(攻略。そう、攻略。久我くんの本気を知るため。……って言い訳、今日でだいぶ薄くなった。やば。もっと見たい。これはもう、かなりやばい)


遠くで黒瀬がまた叫んだ。


「赤組、最高だったぞー!」


依央は笑った。


赤い夕方の校庭で、久我燈真の走りだけが、何度も頭の中で繰り返されていた。



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