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男子校のポンコツ姫が通ります♡  作者: いちみりヒビキ
■finalシリーズ:~ポンコツ姫は飾らず恋をする~
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第49話 卒業式、千紘先輩と晴臣の春

三月の白鷺坂高校は、冬の顔を少しだけ残していた。


朝の空気はまだ冷たい。瑞城市の山の稜線には薄い白さが残っていて、校門へ続く坂道では、吐く息がほんの少しだけ見える。


けれど、校舎の中はいつもと違っていた。


体育館の入口には卒業式の案内紙が貼られ、廊下には三年生の胸につける花が入った箱が置かれている。花の生徒会の生徒たちが、受付の位置や来賓案内の紙を何度も確認していた。


依央は、花の生徒会の腕章をつけて、体育館前の掲示を見上げた。


卒業生入場経路。


保護者受付。


在校生待機場所。


文字だけならただの案内だ。


でも、今日はその先に、白石千紘がいる。


花の生徒会の先輩。


清楚で、きれいで、いつも落ち着いていて。


晴臣の彼氏。


依央は掲示紙の端を指で押さえながら、少しだけ息を吐いた。


(白石先輩、卒業か。分かってたけど、紙にされると急にくる。卒業生、って文字、強い。晴臣、大丈夫かな。いや、たぶん大丈夫じゃない。あいつ絶対、朝から変な顔してる)


晴臣は別クラスだ。


だから朝の二年三組にはいない。


その代わり、教室には黒瀬陸斗の声が響いていた。


「卒業式って、何か急に学校がちゃんとするよな」


依央は腕章を外さずに席へ戻りながら答える。


「普段もちゃんとしてるよ」

「いや、今日の廊下、空気が違う」


篠宮怜央が静かに言った。


「卒業式だから当然」

「篠宮、今日も事実がまっすぐ」


鷹宮蓮は窓の外を見て、少しだけ笑った。


「花宮も、来年は送られる側に近づくんだね」


依央は一瞬、返事に詰まった。


来年。


その言葉は、最近ずっと近い。


花の生徒会の次の中心。


雑部の継続。


燈真の医学部への道。


自分の進路。


全部が、少し先で待っている。


「まずは今日をちゃんとやるよ」


依央が言うと、鷹宮は穏やかにうなずいた。


「うん。花宮なら大丈夫」


黒瀬が即座に乗る。


「今日の花宮、式典の姫って感じする」

「黒瀬くん、その呼び方は外で言わないで」


「え、ぴったりじゃん」

「式典に姫を混ぜない」


教室が笑う。


依央も笑った。


その笑いは、前より少しだけ楽だった。


完璧な顔を作らなくても、こうやってツッコんで、笑って、戻れる。


それを教えてくれたのは、雑部での時間と、燈真の短い言葉だった。


後ろの席で、燈真が静かに立ち上がる。


「花宮」

「はい」


「旧校舎側の案内紙、式の後で回収?」

「そうです。卒業生と保護者が通るところだけ、臨時掲示を出してるので」


「手伝う」


依央は自然に笑った。


「お願いします」


その返事が、もう当たり前みたいになっていることに、胸が少し熱くなる。


(手伝う、って短いのに、好き。俺がやる仕事に普通に入ってきてくれるところ、好き。朝から卒業式でしんみりしてたのに、久我くん一言で心臓が通常通りやばい♡)


****


体育館は、花の匂いと少しだけ冷たい空気で満ちていた。


卒業生が入場し、式が始まる。


依央は花の生徒会の手伝いで、体育館の端に立っていた。千紘は三年生の列の中にいる。いつもより少しだけ背筋が伸びていて、胸の花がよく似合っていた。


白石千紘は、最後まで白石千紘だった。


派手に泣くわけでもない。


周囲を落ち着かせるように、静かに座っている。


でも、卒業証書を受け取って戻る時、ほんの少しだけ目元がやわらかくなった。


依央はそれを見て、胸がきゅっとした。


(白石先輩、きれいだな。最後まで。俺、ああいう先輩になれるかな。いや、白石先輩になる必要はない。俺は俺でいい。……って思えるようになったの、けっこう大きいな)


式の途中、依央は体育館の後ろにいる晴臣を見つけた。


在校生の列ではなく、手伝いの合間に少しだけ見える位置。


晴臣は、いつものように騒いでいなかった。


背筋を伸ばして、千紘を見ている。


目元が少し赤い気がした。


でも、ちゃんと笑おうとしている。


その顔を見た瞬間、依央の胸が少しだけ痛んだ。


(晴臣、顔。泣くの我慢してる。いや、我慢しなくてもいいのに。けど、あいつなりにちゃんと見送りたいんだろうな)


式は静かに進んだ。


校歌。


卒業生代表の言葉。


拍手。


椅子の音。


体育館の高い天井に、すべてが少し遅れて響く。


そして、卒業生が退場していく。


千紘が近くを通る瞬間、依央は軽く頭を下げた。


千紘は依央に気づき、ほんの少しだけ微笑んだ。


それだけで、依央は十分だった。


****


式の後、校内は一気にざわついた。


三年生を囲む後輩。


写真を撮る保護者。


廊下に響く笑い声。


花束。


制服の胸の花。


白鷺坂高校の廊下が、今日だけ少し広く見える。


依央は花の生徒会の後輩たちと一緒に、体育館周りの案内紙を確認していた。


「この保護者受付の紙、もう外して大丈夫ですか?」


後輩が聞く。


「うん。そっちは回収。卒業生の写真撮影場所の案内は、もう少し残しておこう」

「はい」


「旧校舎側の案内は、雑部で回収するから、こっちに束ねておいて」

「分かりました」


後輩が小さく笑う。


「花宮先輩、今日すごく先輩っぽいです」

「今日だけ?」


「いつもです。でも今日は特に」


依央は少しだけ笑った。


「ありがとう」


以前なら、完璧に褒め言葉として受け取ったかもしれない。


今は、少し違う。


先輩っぽいと言われる自分も、雑にツッコむ自分も、雑部で机に沈む自分も、全部が自分の中にある。


その全部で、前に立てばいい。


そう思える。


廊下の向こうから、晴臣が歩いてきた。


いつもの勢いは、少しだけ控えめだ。


「依央」

「晴臣」


「千紘さん、あとで旧校舎寄るって」

「雑部に?」


「うん。少しだけ」


晴臣はそう言って、照れたように目をそらした。


「最後に、三人にも挨拶したいって」


依央は頷いた。


「分かった」

「俺、泣いてないから」


「何も言ってない」

「顔見たら言いそうだった」


「言わないよ」


晴臣は少しだけ笑った。


でも、その笑いは揺れていた。


依央は、晴臣の肩を軽く叩いた。


「ちゃんと見送った顔してる」


晴臣は一瞬だけ黙った。


「……そう?」

「うん」


「なら、いい」


それだけ言って、晴臣は小さく息を吐いた。


その横顔が、いつもより少し大人びて見えた。


****


旧校舎の掲示回収は、三人で行った。


依央、燈真、晴臣。


卒業式用に貼った臨時案内紙を外し、クリップを小箱に戻し、備品台帳に使用数を書く。旧校舎の廊下は、式のざわめきから少し離れていて、窓から入る光だけが明るかった。


晴臣は案内紙を外しながら、ぽつりと言った。


「千紘さん、卒業したんだな」


依央は掲示紙を束ねながら答える。


「うん」

「変な感じ」


「そうだね」


燈真は金具を確認しながら、短く言った。


「でも、会うんだろ」


晴臣は燈真を見た。


「会う」

「なら、続く」


その一言に、晴臣は目を丸くした。


それから、少しだけ笑った。


「久我、たまにすげえこと短く言うよな」

「普通」


「普通じゃないんだよな」


依央はそのやり取りを聞きながら、胸が温かくなった。


続く。


卒業しても。


学校の廊下で毎日会う形ではなくなっても。


晴臣と千紘は、続いていく。


そのことを、燈真は当たり前のように言った。


(続く、か。いいな。短いのに、すごくいい。久我くんらしい。晴臣の顔、ちょっと戻った)


部室へ戻ると、棚には三つのマグが並んでいた。


薄い青。


深いグレー。


オレンジ。


机の上には回収した案内紙と、備品台帳。電子レンジの横には、ココアの箱が少しだけ残っている。


晴臣は自分のオレンジのマグを見て、少しだけ笑った。


「今日、ココア飲む?」


依央は頷いた。


「飲もう」


燈真も棚からグレーのマグを取った。


「温める」


晴臣が即座に反応する。


「久我、マグ運用うまくなったな」

「運用?」


「雑部の冬文化」

「晴臣が勝手に作ったやつ」


「でも定着しただろ」

「したね」


依央は薄い青のマグを手に取った。


その時、部室の扉が軽く叩かれた。


「入ってもいいかな」


千紘の声だった。


晴臣の動きが止まる。


依央は扉へ向かった。


「どうぞ」


千紘が入ってくる。


制服の胸には、卒業生の花。


手には小さな紙袋。


いつもの清楚な笑顔のままなのに、今日だけは少し違って見えた。


卒業する人の顔だった。


「白石先輩、ご卒業おめでとうございます」


依央が言うと、千紘はやわらかく笑った。


「ありがとう、花宮くん」


燈真も短く頭を下げる。


「おめでとうございます」

「ありがとう、久我くん」


晴臣は、少し遅れて言った。


「……おめでとう、千紘さん」


千紘は晴臣を見る。


その目が、式の時より少しだけ甘くなる。


「ありがとう、晴臣くん」


部室の空気が、少しだけ変わった。


依央は、自分のマグを持ったまま、そっと一歩引く。


燈真も同じように、机の横へ移った。


晴臣と千紘が向かい合う。


晴臣は、言葉を探しているようだった。


「卒業、したな」

「うん」


「制服、今日で最後?」

「学校ではね」


「そっか」


晴臣の声が少しだけ揺れる。


千紘は紙袋を晴臣へ差し出した。


「これ、晴臣くんに」

「え」


「卒業だから。お礼と、これからもよろしくの分」


晴臣は紙袋を受け取った。


中には、小さなハンカチと、落ち着いた色のペンが入っていた。


晴臣はそれを見て、何度か瞬きをした。


「……俺、今日、何か渡す側のつもりだった」


千紘が笑う。


「受け取る側でもいいんじゃないかな」

「千紘さん」


「うん」

「卒業しても、会いに行くから」


千紘の目元が、少しだけやわらかくなる。


「うん。待ってる」

「連絡もする」


「うん」

「うるさかったら言って」


「たぶん、言わない」


晴臣が少し笑った。


笑った瞬間、目元が赤くなった。


「……泣いてない」


千紘は一歩近づき、晴臣の手をそっと握った。


「うん」


それだけ。


それだけで、晴臣は黙った。


依央は胸がいっぱいになった。


晴臣がいつもみたいに騒がない。


千紘も、いつもの清楚な距離より少しだけ近い。


学校内では秘密にしてきた二人が、卒業の日の旧校舎で、ほんの少しだけ素直に手を握っている。


それが、すごく綺麗だった。


(晴臣、よかったな。ほんとに。白石先輩も、晴臣のことちゃんと大事にしてる顔してる。……泣くな俺。俺が泣く場面じゃない。でも、くる。これはくる)


依央の隣で、燈真が静かに立っている。


その手が、ほんの少しだけ依央の手元に近づいた。


触れない。


でも、近い。


依央はそれだけで落ち着いた。


千紘は晴臣の手を離し、今度は依央へ向き直った。


「花宮くん」

「はい」


「花の生徒会、よろしくね」


その言葉は、軽くなかった。


けれど、重たく押しつける感じでもなかった。


千紘が大事にしてきた場所を、依央へ渡す。


そういう言葉だった。


依央は背筋を伸ばした。


「はい。俺なりに、ちゃんとやります」

「うん。花宮くんなら大丈夫」


「白石先輩みたいには、できないかもしれません」


千紘は少し笑った。


「花宮くんは、花宮くんのままでいいよ」


胸の奥が、静かに熱くなる。


それは、最近ずっと燈真からもらってきた言葉と、同じ場所に届いた。


依央は頷いた。


「はい」


千紘は燈真にも視線を向ける。


「久我くんも、晴臣くんと花宮くんをよろしく」


燈真は短く答えた。


「はい」


晴臣がすぐに言う。


「俺も久我のことよろしくするけどな」

「晴臣が?」


依央が言うと、晴臣は少しだけいつもの顔に戻った。


「俺だってするわ」

「じゃあ、まずクリップ数えて」


「卒業の日にそれ?」

「雑部なので」


千紘が笑った。


その笑い声が部室に響く。


卒業式の日なのに、雑部はちゃんと雑部だった。


しんみりして、少し泣きそうで、でも最後にはツッコミがある。


晴臣がそれで少し元気になるのを、依央はちゃんと見た。


千紘は紙袋から、小さな包みをもう一つ出した。


「これは、雑部へ」

「え」


晴臣が目を丸くする。


包みの中には、少し高そうなココアの缶が入っていた。


「電子レンジとマグがあるって聞いたから」


依央は思わず笑った。


「白石先輩、把握してるんですね」

「晴臣くんがよく話してくれるから」


晴臣が照れた。


「言ってたっけ」

「たくさん」


燈真が缶を見て、短く言う。


「助かります」

「よかった」


千紘は部室を見回した。


三つのマグ。


電子レンジ。


備品台帳。


掲示物の束。


おでん要相談の文字が残る使用ルール表。


その全部を見て、千紘は穏やかに笑った。


「いい場所だね」


依央は、胸を張りすぎないようにして言った。


「はい。いい場所です」


晴臣も頷く。


「かなり」


燈真も短く言う。


「うん」


三人の声が、少しずつ重なる。


千紘はそれを見て、満足そうに目を細めた。


しばらくして、千紘は名残惜しそうに部室を出た。


晴臣が送っていくことになった。


廊下へ出る前、晴臣は振り返る。


「依央、久我」

「何」


「ありがとな」


依央は少しだけ笑った。


「何が?」

「いろいろ」


晴臣はそれ以上言わなかった。


燈真が短く返す。


「うん」


依央も頷いた。


「行ってきな」


晴臣は千紘の隣へ並び、少し照れた顔で歩き出した。


二人の背中が、旧校舎の廊下を進んでいく。


卒業生の花が、窓から入る光に少しだけ白く見えた。


*****


部室に戻ると、依央と燈真だけが残った。


机の上には、千紘からもらったココアの缶。


三つのマグ。


回収した掲示紙。


備品台帳。


依央は、ゆっくり息を吐いた。


「卒業、しちゃいましたね」

「うん」


「白石先輩、きれいでした」

「うん」


「晴臣、泣きそうでした」

「泣いてた」


「やっぱり?」

「少し」


依央は笑った。


少しだけ。


「でも、いい顔してました」

「うん」


燈真は窓の方を見る。


旧校舎の窓からは、体育館の方が少し見える。まだ写真を撮る声が遠くに聞こえる。


依央は、薄い青のマグを手に取った。


中には、千紘からもらったココアが少しだけ入っている。


「俺、来年どうなるんでしょうね」


燈真がこちらを見る。


「花宮なら、大丈夫」


その言葉は、もう聞き慣れたようで、何度聞いても胸に来る。


「久我くんも、そういうの急に言いますね」

「急?」


「急です」

「でも、思ったから」


依央はマグを見つめた。


白石先輩みたいにはできない。


でも、花宮依央のままでいい。


千紘も、燈真も、そう言った。


なら、やるしかない。


作った姫の顔だけではなく、雑なツッコミも、ポンコツな内心も、好きな人の前で真っ赤になる自分も、全部持って。


「久我くん」

「何」


「俺、ちゃんと前に出ます」

「うん」


「花の生徒会も、雑部も」

「うん」


「……久我くんの隣も」


声が少しだけ小さくなった。


でも、言えた。


燈真の目が静かに依央を見る。


「うん」


短い返事。


けれど、そこには確かな温度があった。


燈真の手が、机の上で少しだけ依央の手に近づく。


依央も、ほんの少しだけ指を伸ばした。


触れる。


指先だけ。


それだけで、卒業式のざわめきとは違う静けさが部室に落ちる。


「花宮」

「はい」


「一緒に見る」


依央は燈真を見る。


「何を」

「来年」


その言葉に、胸の奥がふっと熱くなった。


来年。


少し怖くて、少し楽しみで、少し眩しい言葉。


依央は、指先を重ねたまま笑った。


「はい」


外から、晴臣の声が聞こえた。


「依央ー! ココアの缶、千紘さんからだから大事にしろよ!」


依央は吹き出した。


「声大きい」


燈真も少し笑う。


部室の中には、三つのマグと、卒業式の案内紙と、千紘からのココアがある。


それから、指先だけ触れた二人の手。


白石千紘が卒業して、晴臣は少し泣いて、でもちゃんと笑った。


そして依央は、自分の番が少しずつ近づいていることを感じていた。


冬はまだ残っている。


でも、廊下の光は、朝より少しだけ春に近かった。


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