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男子校のポンコツ姫が通ります♡  作者: いちみりヒビキ
3rdシーズン:~姫の素顔は地味男にだけ見せたい~
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第36話 秋空の屋上、言いかけた好き

文化祭の片づけが終わった翌週、白鷺坂高校は少しだけ静かになっていた。


廊下に貼られていたポスターは外され、教室の後ろに積まれていた段ボールも消えた。黒板の端に残っていた小さな落書きも、誰かがきれいに消したらしい。騒がしかった数日間が嘘みたいに、校舎はいつもの顔へ戻っている。


でも、依央の中には、まだ文化祭の熱が残っていた。


入口で笑ったこと。


花の生徒会の腕章をつけたこと。


雑部の巡回で、燈真と校内を歩いたこと。


後夜祭のあと、旧校舎の雑部室で、燈真に全部受け止められたこと。


全部が、少しずつ胸の奥で光っている。


(文化祭、終わったのに終わってない。変なの。看板も片づいたし、教室も戻ったし、黒瀬くんの声量も通常運転なのに、俺の中だけ片づいてない)


朝の二年三組では、黒瀬陸斗が文化祭の写真を見返していた。


「花宮、これ見ろ!」

「また写真?」


「これ、俺が看板持ってるやつ。めっちゃ良くない?」


依央はスマホをのぞいた。


黒瀬が看板を持ち、後ろで篠宮怜央が冷静に位置を直している。さらに端に鷹宮蓮が写っていて、何でもない片づけ写真なのに妙に整っていた。


「黒瀬くん、すごく元気」

「だろ!」


篠宮が横から言う。


「元気すぎて、看板が斜めだった」

「そこは言うな!」


鷹宮は写真を見て、少し笑った。


「でも、いい写真だね。文化祭の後って感じがする」

「鷹宮くんが言うと、片づけ写真まで作品っぽい」


「花宮の写真もあるよ」

「俺?」


鷹宮がスマホを見せる。


そこには、クラスの入口で笑う依央が写っていた。


花の生徒会の腕章をつけ、少しだけ振り返っている。自分で見ると、ちゃんと姫の顔をしている。


見られるための顔。


笑うための顔。


その場を明るくするための顔。


「……よく撮れてるね」


依央が言うと、鷹宮は穏やかに笑った。


「花宮、文化祭中ずっと綺麗だったよ」

「朝から褒めが強い」


「本当のことだし」


黒瀬が頷く。


「花宮、めちゃくちゃ姫だった!」

「黒瀬くんは言い方が雑」


篠宮がプリントを鞄にしまいながら、淡々と言った。


「でも、実際助かった。入口も案内も、花宮がいると人の流れが落ち着いていた」

「篠宮くんの褒めは数値が見えそう」


「数えてはいない」

「数えてそう」


小さな笑いが起きる。


依央は笑顔で受けた。


褒められるのは、嬉しい。


見られることにも慣れている。


そのはずなのに、写真の中の自分を見ていると、胸の奥が少しだけざわついた。


(これも俺。ちゃんと俺。でも、この顔だけ見られて満足だった時と、今はちょっと違う気がする。いや、かなり違う)


視線が、教室の後ろへ向かう。


燈真が席で、何かのプリントを見ていた。


鞄のファスナーには、銀色の星形ストラップがついている。テーマパークで買った、依央の薄い青の星と同じ形のもの。


文化祭中も、模試の日も、今日も、ちゃんとそこにある。


燈真が顔を上げた。


目が合う。


依央は反射で笑いかけようとして、途中で少し止まった。


姫の顔を作るのではなく、ただ、普通に笑った。


燈真の目元が少しだけやわらかくなる。


それだけで、写真を褒められた時とは違う場所が温かくなった。


(ああ、だめだ。やっぱり、ここだ。学校中に見られるのも嬉しい。でも、久我くんに見られると、別のところが動く)


****


放課後、依央は花の生徒会の部屋へ向かった。


文化祭後の整理は、思ったより落ち着いていた。残った掲示物を確認し、借りた備品の返却先をまとめ、後輩たちへ次の準備を伝える。


千紘はいなかった。


代わりに、千紘が残したメモが机に置かれていた。


『花宮くんへ。掲示の整理、ありがとう。あとは後輩に任せて大丈夫。ちゃんと頼れていると思います』


依央はその文字をしばらく見つめた。


「……白石先輩」


声に出すと、少しだけ胸が温かくなる。


任されること。


頼ること。


誰かの前でちゃんと立つこと。


全部、文化祭を通して少しずつ分かってきた気がした。


(ちゃんと頼れている、か。白石先輩、ほんと見てるな。俺、ちょっとは変わったのかな)


****


花の生徒会の整理を終えると、依央は旧校舎へ向かった。


雑部室には、晴臣だけがいた。


机の上には、文化祭の写真を印刷した小さな束が置かれている。


「晴臣」

「お、依央。これ見ろ」


「写真?」

「千紘さんが撮ってくれたやつもある」


晴臣の声が明らかに嬉しそうだった。


依央は写真を一枚手に取る。


そこには、晴臣が千紘と並んでいる姿が写っていた。派手な距離ではない。ただ、晴臣の横顔がとても嬉しそうで、千紘もやわらかく笑っている。


「いい写真」

「だろ」


「晴臣、顔が分かりやすい」

「うるさい」


晴臣は少し照れてから、別の写真を出した。


「あと、これ」


そこには、依央と燈真が文化祭の廊下を歩いている姿が写っていた。


雑部の腕章。


確認表。


並んで歩く二人。


写真の中の自分は、いつもの姫顔ではなかった。


少しだけ気を抜いている。


隣の燈真を見て、笑いかける直前みたいな顔をしている。


依央は、息を止めた。


「……これ、誰が」

「千紘さん。廊下で見かけたって」


「白石先輩、なんでそんな良い瞬間を」

「だよな。俺も見た時、ちょっと声出た」


「声出さないで」


晴臣はにやっとした。


「依央、この顔、久我相手にしか出ないよな」


依央は写真を持ったまま固まった。


「晴臣」

「何」


「急に刺すな」

「刺さった?」


「かなり」


晴臣は少しだけ真面目な顔になった。


「依央さ、文化祭中、ずっとすごかったじゃん。クラスでも、花の生徒会でも、雑部でも」

「うん」


「でも、この写真の顔が、一番楽そう」


依央は写真を見た。


楽そう。


確かに、そう見える。


飾っていない。


頑張っていないわけではない。


でも、肩に力が入りすぎていない。


燈真の隣にいるから。


その事実が、もうごまかしようもなくそこに写っていた。


「……晴臣」

「うん」


「俺、どうしたらいいと思う?」


晴臣は一瞬、目を丸くした。


それから、少し笑った。


「どうしたいかじゃない?」

「それが分かれば苦労しない」


「いや、たぶん分かってるだろ」


依央は言い返せなかった。


分かっている。


たぶん。


かなり。


でも、言葉にすると全部変わりそうで怖い。


晴臣は椅子にもたれて、写真を見ながら言った。


「屋上、行ってきたら?」

「屋上?」


「久我、さっき鍵借りてた。文化祭の飾り外し忘れがあるか見るって」

「雑部の仕事?」


「一応」

「一応って何」


晴臣は笑った。


「行ってこいってこと」


依央は写真を置いた。


心臓が少し速くなる。


でも、嫌ではなかった。


「晴臣」

「ん?」


「ありがと」


晴臣は少しだけ照れた顔で、手を振った。


「はいはい。姫、行ってらっしゃい」

「その呼び方は今いらない」


「照れ隠しに反応できるくらいなら大丈夫」

「晴臣、ほんとそういうとこ」


依央は文句を言いながら、雑部室を出た。


****


屋上へ向かう階段は、普段より静かだった。


文化祭の飾りはほとんど外されている。途中の踊り場には、端が少し折れた紙花が一つ落ちていた。依央はそれを拾い、手の中で軽く転がす。


秋の夕方の光が、階段の窓から差し込んでいる。


瑞城市の空は高い。


東京のテーマパークの明るさとも、文化祭の校舎の熱とも違う。山の稜線の向こうまで、空がすっと抜けているように見えた。


屋上の扉を開けると、風が入ってきた。


燈真はフェンスの近くに立っていた。


手には、外し忘れた小さな飾りがいくつかある。鞄は足元に置かれ、銀色の星形ストラップが夕方の光を受けて小さく光っていた。


「久我くん」


燈真が振り返る。


「花宮」

「飾り、まだ残ってました?」


「少し」

「手伝います」


「もう終わった」

「早い」


「花宮は?」

「晴臣に追い出されました」


「そっか」


燈真は少しだけ笑った。


依央はフェンスの近くまで歩く。


空が広い。


文化祭が終わった校舎は、下から見るより静かに感じた。中庭には片づけられたテントの骨組みが少し残っていて、風が通るたびに白い布の端が揺れる。


依央は手の中の紙花を見た。


「文化祭、終わりましたね」

「うん」


「教室、もう普通に戻ってました」

「うん」


「でも、なんか」


言葉が少し止まる。


燈真は急かさない。


風が、依央の髪を少し揺らした。


「終わった感じが、しないです」

「うん」


「変ですか」

「変じゃない」


依央は笑いそうになった。


燈真の短い肯定は、相変わらず強い。


でも、もうそれだけで派手に崩れる感じではない。


ちゃんと受け取って、胸の奥に置けるようになっている。


「俺、文化祭中、ずっと見られてました」

「うん」


「クラスでも、花の生徒会でも、廊下でも」

「うん」


「見られるのは、平気なんです。むしろ、得意で」

「知ってる」


依央は燈真を見た。


「知ってるんですね」

「見てたから」


まただ。


見てた。


その一言で、胸の奥が少しだけ熱くなる。


「でも」


依央はフェンスの向こうの空を見た。


「久我くんに見られると、平気じゃないです」


燈真は黙って聞いていた。


依央は続ける。


「入口で笑ってる俺も、花の生徒会で動いてる俺も、雑部でぐだってる俺も、たぶん全部俺なんですけど」


言葉が、少しずつ形になっていく。


「みんなに見られる時は、ちゃんとしてる俺を見せたいって思うんです」

「うん」


「でも、久我くんには」


喉が詰まる。


言うのが怖い。


でも、言いたい。


依央は紙花を握りすぎないよう、そっと指をゆるめた。


「ちゃんとしてないところも、見られていいって思う」


燈真の目が、静かに依央を見る。


「むしろ」


依央は息を吸う。


「久我くんには、そっちも見てほしいって思う」


言った。


言ってしまった。


風が屋上を抜ける。


遠くで、部活の声が小さく聞こえた。


依央は顔が熱くなるのを感じた。


(言った。かなり言った。これ、だいぶ言った。もう戻せない。いや、戻さなくていい。たぶん。無理。心臓がうるさい)


燈真はしばらく黙っていた。


その沈黙は、怖くなかった。


燈真がちゃんと受け取っている沈黙だった。


「俺は」


燈真が言う。


「どっちも見たい」


依央は息を止めた。


「入口の花宮も、花の生徒会の花宮も、雑部で机に沈みそうな花宮も」


燈真は少しだけ目を細める。


「全部、見たい」


依央は、視線をそらせなかった。


学校中に見られることには慣れている。


姫として笑うことにも慣れている。


でも、こんなふうに見たいと言われることには、慣れていない。


表も、素も。


飾った顔も、崩れた顔も。


全部。


「……久我くん」

「何」


「俺、最近」


声が震えそうになる。


依央は自分の手元を見る。


夏に自分から取った手。


秋に重ねた手。


模試の後に落ち着いた手。


文化祭の廊下で、手首を取られた手。


その全部が、今の自分をここまで連れてきた気がした。


「久我くんの前だと、俺」


言葉が止まる。


次を言ったら、もう変わってしまう。


でも、変わるのが嫌なわけではない。


ただ、心臓が追いつかない。


燈真は待っている。


急かさず、茶化さず、ただ待っている。


依央は、少しだけ笑った。


「変になります」


燈真の口元が、ほんの少し動いた。


「前からだろ」

「そういう返し、今いらないです」


「ごめん」


謝り方が、あまりにも燈真だった。


依央は笑ってしまった。


笑ったら、少しだけ力が抜けた。


「でも」


また言葉を探す。


「その変なのが、最近、嫌じゃないです」


燈真は静かに見ている。


依央は燈真の方へ、ほんの少しだけ手を伸ばした。


言葉より先に、手が動いた。


燈真はその手を見た。


それから、何も言わずに受け取った。


指が重なる。


握るというより、自然に繋がる。


もう足元のせいではない。


作業のためでもない。


人混みのためでもない。


依央が、そうしたかった。


燈真も、それを受け取った。


「……久我くん」

「うん」


「俺、たぶん」


そこで止まった。


言えなかった。


でも、燈真は手を離さなかった。


「うん」


たった一音。


それだけで、今は十分だった。


依央は秋空を見上げた。


夕方の色が少しずつ薄くなっている。山の向こうへ沈む光が、屋上のフェンスを金色にしている。文化祭の飾りはほとんど片づいたのに、胸の奥ではまだ、いくつもの光が残っていた。


学校中から見られる姫。


みんなに笑う自分。


頼られる自分。


雑部で力が抜ける自分。


燈真の前で、少しずつ隠せなくなる自分。


どれか一つを選ぶ必要はないのかもしれない。


全部持ったまま、燈真の隣に立っていいのかもしれない。


そう思えた。


「花宮」

「はい」


「寒くない?」

「大丈夫です」


「手、冷たい」

「久我くんのせいです」


「何で」

「緊張したので」


燈真は少しだけ笑った。


「じゃあ、もう少し」


繋いだ手に、少しだけ力が入る。


依央は言い返さなかった。


その代わり、指を返した。


秋空の下で、二人はしばらく黙っていた。


言えなかった言葉は、胸の奥に残っている。


でも、それは苦しいだけのものではなかった。


次に進むための、温かい重さだった。


文化祭は終わった。


秋も、少しずつ深くなる。

依央は繋いだ手を見下ろし、心の中で小さくつぶやいた。


(もう、なかったことにはできないな)


でも、そう思っても、怖くなかった。


燈真の手は、ちゃんとそこにある。

依央は秋の風の中で、少しだけ笑った。


学校中から見られていた姫は、今、ひとりの地味男の隣で、いちばん素の顔をしていた。


それが、どうしようもなく嬉しかった。


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