表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男子校のポンコツ姫が通ります♡  作者: いちみりヒビキ
3rdシーズン:~姫の素顔は地味男にだけ見せたい~
PR
25/51

第25話 新学期、手を取った夏の続き

新学期の教室には、夏休みの残り香がまだ少しだけ残っていた。


二年三組の窓際では、日焼けした男子たちが土産袋を机に広げている。黒板の端には、担任が書いた始業式後の予定。

廊下の掲示板には、瑞城市駅前の秋祭りポスターが新しく貼られていて、夏が終わったことだけは妙に分かりやすかった。


瑞城市の朝は、風だけが先に秋になる。


白鷺坂駅から学校へ向かう坂道も、日差しはまだ強いのに、空気だけ少し軽い。山の稜線は昨日よりくっきりしていて、遠くの畑の方から乾いた匂いがした。


でも、教室の中は普通に暑い。


主に、黒瀬陸斗の声のせいで。


「花宮!」

「朝から声でか」


「見ろ、俺、夏で焼けた!」


黒瀬は腕を出して、やたら得意げに笑った。


「見れば分かる」

「だろ!」


「褒めてない」

「え、褒めてないのか?」


依央は外向きの笑顔で首を傾けた。


「でも、黒瀬くんらしいね。夏、全力で使い切った感じ」


黒瀬は一瞬で顔を明るくした。


「だよな! 俺、夏に勝った!」


篠宮怜央が横から静かに言った。


「季節を勝敗で処理するな」

「篠宮、朝から冷静!」


「日焼けの報告に熱量が高すぎるだけ」


篠宮の手元には、始業式後の提出物一覧がある。すでに何人かが篠宮の机へ宿題の確認に来ていて、夏明けでも優等生は優等生だった。


鷹宮蓮は、土産袋の中から小さなキャンディを一つ取り出し、包み紙を眺めている。


「駅前限定って書いてあるけど、駅前で普通に山積みだった」

「限定の意味が軽い」


依央が言うと、鷹宮は少し笑った。


「でも、包みは綺麗だよ。花宮に似合いそう」

「キャンディの包みが?」


「うん。上品な色」

「鷹宮くん、褒める範囲が広い」


近くの男子が「分かる」とうなずき、黒瀬まで「花宮、土産袋まで似合いそう」と乗ってきた。


依央は笑顔のまま言った。


「俺を土産売り場に並べないで」

「売ってたら買う」


「黒瀬くん、発想が雑」


教室に笑いが広がる。


いつもの感じだった。


男子校の姫として、見られて、声をかけられて、少し笑えば空気がやわらぐ。依央はその中心にいることに慣れている。


慣れているはずなのに。


教室の後ろの席で、久我燈真が鞄から筆箱を出した。


ただそれだけ。


本当に、それだけ。


なのに、依央の視線が勝手に手元へ吸われた。


指。


机に置かれた手。


夏休み最後の夕方、プールサイドで自分から取った手。


(登校してる。手の記憶まで登校してる。夏休み終わったよ? 何で一緒に来てんの? いや、俺が連れてきたのか。だる。朝からだる)


燈真が顔を上げた。


目が合う。


依央はすぐに姫顔へ戻した。


「おはよう、久我くん」

「おはよ」


短い返事。


いつも通り。


でも燈真の目が、ほんの少し依央の手元へ落ちた。


机の端に置いていた依央の指先。


それだけで、胸の奥が一拍ずれた。


(見た? 今、手を見た? いや普通に机見ただけかも。自意識すご。新学期初日から心臓の出席率高すぎ)


「花宮」

「はい」


「顔」


依央は固まった。


「顔?」

「朝から忙しそう」


「人気者なので」

「うん」


「そこは否定しないんですね」

「事実だし」


短い。


ただの事実みたいに言う。


依央は一瞬だけ言葉を失いかけて、すぐに笑顔を整えた。


「久我くん、夏休みで少し口が上手くなりました?」

「そう?」


「今の、まあまあ刺さりました」

「なら、上手くなったかも」


(自覚するな。地味男、自分の攻撃性能を認めるな。こっちは朝から防御が薄いんだよ)


黒瀬が遠くから叫ぶ。


「花宮、今日のロングホームルーム、席替えあるって!」

「声でか」


「大事だろ!」

「大事だけど声でか」


教室はまた笑いで満ちる。


その中で、依央は自分の手を机の下へそっと引いた。


見られることには慣れている。


でも、燈真に手を見られるのは別だった。


****


午前の始業式とホームルームが終わると、依央は花の生徒会の集まりへ向かった。


校内交流委員会の部屋には、夏休み明けの書類が積まれていた。秋の掲示予定、部活応援のメッセージ、修学旅行関連の校内掲示、文化祭準備の初期資料。


そして机の端には、三年生向けの進路資料が一冊置かれている。


それを見て、依央は少しだけ背筋を伸ばした。


「花宮くん、久しぶり」


白石千紘は、少しだけ秋の気配をまとっていた。


制服姿は変わらない。やわらかい髪も、清楚な空気もそのまま。けれど、鞄の横に進路資料があるだけで、時間が少し先へ進んでいるように見える。


「白石先輩、お久しぶりです」

「夏、楽しかった?」


「はい。いろいろありました」

「そっか。顔、少し変わったね」


依央は一瞬、動きが止まった。


「え」


千紘はやわらかく笑う。


「いい意味で。前より、肩に力が入りすぎてない感じ」

「そう、ですか?」


「うん。花宮くん、秋から少しお願いすること増えると思う」


千紘は手元の資料を整えた。


「三年生はこれから、自分の用事も増えるから。掲示の確認とか、部活応援の段取りとか、下級生への説明とか。花宮くんに任せたいところがあるんだ」

「俺に?」


「うん。花宮くんなら、周りをちゃんと見てくれるから」


その言い方は、軽くなかった。


依央は背筋を伸ばした。


姫として頼られるのは慣れている。かわいい、似合う、助かる、いてくれると明るい。そう言われることも多い。


でも千紘の言葉は、表面を褒めるものではなかった。


ちゃんと見ている。


そう言われた気がした。


「……頑張ります」

「うん。でも、頑張りすぎなくていいよ」


「はい」

「雑部もあるし」


依央は思わず笑った。


「白石先輩、そこまで把握してるんですね」

「晴臣くんから少し」


言ってから、千紘はほんの少し照れた。


依央はその変化を見逃さなかった。


(出た。白石先輩の晴臣くん顔。秋でも健在。清楚先輩、彼氏ワードで温度変わるの強すぎ)


「晴臣、元気ですか」

「うん。相変わらず」


千紘はそう言って、すぐに表の顔へ戻った。


けれど依央には、今の小さな照れが残った。


恋人がいる人の、自然な変化。


それを見て、依央の頭にまた燈真の顔が浮かんだ。


(違う。今は花の生徒会。引き継ぎ。仕事。久我くんをここに出すな。脳内、呼んでない男子を勝手に入室させるな)


****


その日の放課後、依央が旧校舎の雑部室へ向かうと、部室には燈真だけがいた。


晴臣の姿はない。


机の上には、紙パックのカフェオレと、小さな焼き菓子が置かれていた。


依央は扉の前で立ち止まった。


「……久我くん」

「何」


「これは」

「購買」


「答えが雑」

「食べる?」


「食べますけど」


燈真は袋を依央の方へ押した。


小さなフィナンシェだった。


派手ではない。けれど、こういう日にちょうどよさそうな甘さがある。


依央は椅子に座り、袋を開けた。


「いただきます」

「うん」


一口食べると、バターの香りがふわっと広がった。


花の生徒会で少し固くなっていた頬が、ゆっくりほどける。


「うま」

「よかった」


「これ、俺が疲れてると思って買いました?」

「うん」


即答だった。


依央は焼き菓子を持つ手を止めた。


「即答」

「違う?」


「違わないですけど」

「顔、疲れてた」


「そんなに?」

「うん」


「花の生徒会では、ちゃんとしてたはずなんですけど」

「だからじゃない」


依央は言葉を失った。


だからじゃない。


その一言で、花の生徒会で笑っていた自分も、千紘から頼られて背筋を伸ばした自分も、全部見られた気がした。


実際には、燈真はその場にいなかった。


でも、戻ってきた依央の顔だけで分かったのだろう。


(何それ。こわ。いや、こわくない。むしろ、ちょっと助かる。ちゃんとしてたから疲れた、って分かってくれるの、普通にやばい)


「久我くん」

「何」


「俺、そんなに分かりやすいですか」

「俺には」


依央は焼き菓子を落としかけた。


「……今の、だいぶ」

「だいぶ?」


「だいぶ危ないです」

「フィナンシェ?」


「違います」


燈真は少し笑った。


依央はもう一口、焼き菓子を食べた。


甘い。


落ち着く。


そして、落ち着いてしまうことが、少しだけ悔しい。


「でも、いつも久我くんばっかり買ってるの、ちょっと気になります」


燈真が顔を上げた。


「何が」

「お金」


「これ、二個入り」

「二個入りでも」


「じゃあ、次は花宮」


依央は少しだけ驚いた。


「俺?」

「うん」


「俺が買うなら、ちゃんと選びますよ」

「知ってる」


「エクレアとか」

「好き」


「即答」

「花宮が選ぶなら」


依央はフィナンシェの袋を握った。


「……商品説明より強い返し、やめてください」


燈真は少しだけ笑った。


外では花の生徒会で引き継ぎの話を聞いて、ちゃんと立って、ちゃんと笑って、ちゃんと返事をした。


嫌ではなかった。


むしろ頼られるのは嬉しい。


でも、少しだけ力が入った。


ここに来ると、それがゆっくり抜ける。


小さな焼き菓子。


カフェオレ。


燈真の短い返事。


次は自分が買うことになったエクレア。


全部が、肩の力を少しずつほどいていく。


でも。


依央の視線は、結局、燈真の手元へ戻った。


カフェオレの紙パックを持つ指。


机に置かれた手。


いつも通りの距離。


夏休み最後の夕方、依央が自分から取った手。


あの手の熱が、まだ残っている。


甘いものよりも、言葉よりも、ずっと深いところに。


(これだ。結局、これ。新学期始まって、教室で笑って、花の生徒会で頼られて、雑部で焼き菓子食べても、最後に戻るのは久我くんの手。やば。俺の中で、手が強すぎる)


依央は、机の上に置いた自分の手を見た。


朝は隠した。


燈真に見られて、焦って、机の下へ引いた。


でも、今は。


引かないでおきたいと思った。


燈真が、その手元を見た。


依央は気づいていた。


気づいていても、動かさなかった。


「花宮」

「はい」


「手」


依央の心臓が跳ねた。


「手?」

「朝、隠した」


依央は息を止めた。


そこまで見ていたのか。


いや、燈真なら見ている。


いつもそうだ。


笑顔ではなく、手元。


言葉ではなく、少しの動き。


「……見てたんですか」

「見えた」


「またそれ」

「今は、隠さないんだな」


依央は自分の手を見る。


指先が少しだけ丸まっている。


それでも、机の上にある。


燈真の手から、少し離れた場所に。


「……隠すほどでは、ないので」

「そっか」


「夏休み、終わりましたし」

「うん」


「でも」


言いかけて、依央は止まった。


手を取ったこと。


あの夕方のこと。


言葉にすると、急に近すぎる。


でも、何も言わないのも違う気がした。


(言え。いや、言えない。何て言うの? あの手、まだ残ってます? 俺の中には残ってます? 無理。死亡。日本語が全部きつい)


燈真は急かさない。


ただ、依央の手元を見ている。


それから、自分の手を少しだけ机の上に置き直した。


近づけすぎない。


でも、さっきより少しだけ近い。


依央はその距離に気づいた。


「久我くん」

「何」


「……新学期ですね」

「うん」


「秋、忙しくなりそうです」

「うん」


「花の生徒会も、雑部も」

「うん」


「だから」


依央はそこで、ようやく燈真を見た。


「たぶん、また疲れます」


燈真は短くうなずいた。


「うん」

「その時は」


手元を見る。


自分の手。


燈真の手。


まだ触れていない距離。


でも、遠くない。


「……また、甘いものとか、ください」


言えたのは、そこまでだった。


燈真は少しだけ笑った。


「買っとく」

「俺も買います」


「エクレア?」

「たぶん」


「楽しみ」


依央は目をそらした。


(そこは普通に楽しみにするな。こっちは、手の話を甘いもので包んで出してるんだよ。気づいてる? 気づいてるだろ。たぶん。久我くんだし)


部室の外で、遠くの運動部の声が聞こえた。


秋の風が、旧校舎の窓を少し鳴らす。


依央は机の上に手を置いたまま、カフェオレを飲んだ。


燈真の手も、近くにある。


触れてはいない。


でも、夏に取った手の続きが、そこにある気がした。


「花宮」

「はい」


「楽しそう」

「何がですか」


「秋」


依央は少しだけ笑った。


「まだ、ちょっと分かりません」

「うん」


「でも、悪くはなさそうです」

「そっか」


その短い返事が、また静かに効いた。


夏休みは終わった。


でも、手の熱は消えていない。


教室でも、花の生徒会でも、雑部でも。


それは依央の中に、ちゃんと残っている。


そして今、隠さず机の上に置いた自分の手が、少しだけ誇らしい。


(秋、始まったな)


依央はそう思った。


燈真の手は、まだ少し先にある。


近い。


でも、今はそれだけでいい。


新学期の雑部室に、カフェオレの甘さと、触れない手の熱が残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ