あと64日/空席
共通テストを明日に控えた受験生たちは、ホームルームが終わると皆さっさと帰宅してしまった。
先週には既に、専門学校の簡単な筆記試験と形だけの面接を終えていた神楽は、何となく、誰もいなくなった教室に居残っている。
「……」
自分の席ではない机に座って、西日が射しこむ窓から学校のグラウンドを眺めた。
「──神楽?」
振り返れば、開け放しの出入り口から、頭を屈めた泉が覗き込んでいる。
「なに黄昏てんだ」
「なんとなく」
「もう部活もねぇんだし、暗くなる前に帰れ」
「……うん」
神楽は座っている机を見下ろした。
「──ここさ、篠原の席なんだよね」
「ああ……篠原か」
「あれから学校来てねぇけど、退学になんのかな」
「……どうだろうな。今はリモート授業受けさせてる体になってんじゃねぇか?」
「どうせもうすぐ自由登校になるもんな」
床の軋む音と、神楽を惹きつけてやまない香り。
視線を向けなくても、泉が近づいているのがわかる。
「先生は、こうなるってわかってた?」
少しの沈黙の後、泉は「あー、まぁ、少しはな」と答えた。
「──俺さ、ずっと、不安で」
神楽は視線を伏せたまま、訥々と話し始める。
「個人的な電話番号とか、メールとか、LINEとか、SNSとか、そういうの一切知らねぇし、どこ住んでんのかとかも知らなくて……」
「……」
「会えんのは学校だけで、でも部活ももうねぇし、授業とかぐらいしか接点もねぇし」
沈黙する泉に、一方的に話し続ける。
「でもさ、それ、証拠を残せないからなんだろ、って、最近思うようになって」
今も、泉は1メートルほど手前で足を止めていた。
以前よりも、少し開いた距離で。
「『あの時』のことだって、下手すれば俺も、篠原みたいになってたかもしれない、から……」
もっと親密になってしまっていたら。
泉が理性で食い止めてくれなかったら。
取り返しのつかない事態に陥っていたのは、たぶん神楽だ。
「俺、先生に守られてたんだなぁって、気付いたっつーか……」
「……そこまで立派なモンじゃねぇけどな」
泉は、はぁ、と、息を吐き出した。
「大人になったねぇ、神楽くん」
「そこ茶化すとこじゃねぇだろ」
「わりと本気でそう思ってんだが」
神楽は片足を引き寄せて両手で支え、そこに顔を伏せた。
「……──篠原、幸せになれっかなぁ……」
相手のαの生徒と。
どうかこれが望まない番の契りでなければいい。
「優しいな、神楽は」
ポンポンと頭を撫でられて鼓動が早まる。
すぐに離れていく温もりを追い掛けたいけれど、ぐっと堪えて。
唇を噛みしめた。
(それは先生の方だよ)




