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この調剤、お断りします ~薬局薬剤師・薬師川マリ子の調剤録~  作者: 霧南
■3■ 「疑義照会した理由」

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(1)今日は女子会

※この物語は、2026年4月時点における薬剤情報・法律・制度・解釈などに基づいて書かれたフィクションです。現実においては、最新の情報を参照し、実在するかかりつけの医師または薬剤師の見解や指示に従ってください。

「あの……マリ子先輩」


 次の日の午後、鈴音は患者さんの対応が落ち着いたタイミングを見計らって、回転椅子に座って薬歴を書いているマリ子に声をかけた。薬歴というのは、医師で言うところのカルテのようなものだ。


「……何?」


 回転椅子に座ったまま、マリ子はすぐに鈴音に向き直る。


「昨日は余計なことを言ってしまって、ごめんなさい」

「……全然、気にしてない……話は、それだけ?」


 椅子に座ったまま、マリ子はいつも通りの無表情で鈴音を見据える。怒っているのか興味がないのか、言葉の通り全然気にしていないのか、あるいはさっさと話を切り上げたいのか、その無表情からはまったく読み取れない。


「いえ……その……」


 疑義照会の内容について聞こうと思ったが、感情の読めないマリ子の圧に戸惑い、土壇場で言葉が詰まってしまう。こういう時間の無駄とも言える状況をマリ子が好まないことを、まだ付き合いの短い鈴音でも理解していた。なのでさっさと話を切り出したかったが、なかなか言葉が出てこない。


「……」


 そんな鈴音をしばらく眺めていたマリ子だったが、頬に指を添えてしばらく考えた後、静かに口を開く。


「……今日の退勤後、一緒に食事、時間ある?」

「えええうぇぇっ!?」


 突然、奇妙な声をあげたのは稲本連だった。


「薬師川の方から、仕事終わりに、誘ってるだと!?」

「……何か、問題でも?」


 椅子に座ったまま、無表情で連を凝視するマリ子。刺すような視線がちょっと怖い。


「いや、自分の歓迎会すら(ことごと)く断ってきた薬師川から誰かを誘うなんて、前代未聞(ぜんだいみもん)で……」

「……何か、問題でも?」


 まったく同じ無表情、まったく同じ声のトーンで再度尋ねるマリ子。圧がすごい。


「イイエ、アリマセン……」


 マリ子の刺してえぐるような視線にたじろぎ、連は壊れたロボットのようにぎこちない返事をする。


「……で、鏡橋さん、どう?」


 鈴音に向き直ると、マリ子は改めて尋ねた。


「あ、はい、大丈夫です!」

「あー、その話、私も行っていいですかー?」


 ずっと話を聞いていたのか、処方せんの整理をしていた美亜が話に入ってくる。


「いいよ」


 マリ子は迷わずに即答する。


「あ、それじゃあ房江(ふさえ)さんもいいですかー?」

「いいよ」


 美亜の提案を、マリ子は再び即答する。


「やったっ! 房江さーん、先にオッケーもらっちゃったけど、今日の夜、大丈夫ですかー?」


 美亜は薬局の奥で備品整理をしていた、もう一人の事務員である小清水(こしみず)房江(ふさえ)に語り掛ける。


「お誘いは嬉しいけど、今日は娘の塾の送り迎えがあって……ごめんなさいね」


 房江はすらっとした長身にショートで漆黒の髪、縁のないお洒落な眼鏡をかけた、美亜とは正反対の真面目でキリッとした雰囲気の事務員だ。薬局事務の経験も十年以上はある三十代後半のベテランで、事務作業全般に精通している。


「そっか、残念ー……お子さん、今年中学受験って言ってましたっけ」

「えぇ、もう周りの親も熱意がすごくて大変よ」


 房江は苦笑しながら言う。


「あっ、それじゃ俺も食事会に参加、立候補します!」

「稲本くん、残念、落選」


 こちらも即答。マリ子に一切の迷いはない。


「マジかよ薬師川、ちょっとくらい迷ってくれても……どうか今一度、再検討を……」

「…………」


 口元に手を添えて、しばらく考える仕草を見せるマリ子。


「……ダメ、絶対、ダメ」

「拒絶レベルが上がってるんだけど!?」


 落胆しつつもしっかりツッコミを入れる連。


「……ダメ、絶対」

「ぐっ……追撃のダメ押し……」


 大げさに膝をついて打ちひしがれる連を、感情のない冷ややかな目で見るマリ子。本当に容赦ない。


「稲本せんせー、今日は女子会だから仕方ないんですよー、よしよし」

「女装したら、参加させてくれる?」


 すがるような目で美亜を見る連。


「あはは、それは却下ー」

「桃井、お前もか……」


 いつの間にか連と美亜の二人でコントを始めてしまっている。そんな二人を気に留める様子もなく、マリ子は鈴音に向き直る。


鏡橋(かがみはし)さん、仕事が終わったら、スマホに連絡して」

「あ、はい、分かりました」


 鈴音も切り替えてマリ子に向き直る。


 マリ子は鈴音よりも早く仕事を終えて退勤することが多いから、先にどこかで時間を潰すのだろう。あまりマリ子を待たせないようにしないと……鈴音は心の中でつぶやいた。




……





「薬師川さん……ちょっと貴女に指名で相談を頼まれてしまったのだけれど、お時間いいかしら?」


 夕方の混雑が一段落した頃、事務員の小清水房江がマリ子に話しかけていた。マリ子はピタリと薬歴を入力する手を止め、房江に向き直る。房江の知り合いの中ではマリ子の評判はすこぶる良好で、こうしてたまに房江さん経由でマリ子に相談が舞い込むことがある。鈴音は薬局に毎月送られてくる薬学専門雑誌に目を通していたが、二人の会話が気になったので、チラチラと視線を向けつつ、こっそり聞き耳を立てた。


「……どうぞ」


 いつものように、無表情かつ短い言葉で対応するマリ子。本人曰く、別に怒っているわけではないのだが、妙な威圧感がある。ただ患者の間では、これを愛想がないと捉える人もいれば、落ち着いていて頼りになりそうと捉える人もいるので、薬剤師として一概に悪いとは言えない側面があった。房江の方はそんなマリ子との受け答えには慣れているので、特に気にする様子もなく話を続ける。


「私の友達で、花粉症で市販のロラタジンを服用していた人がいたのだけれど、授乳中だったみたいで……」

「……なるほど、事情は把握しました」


 まだ房江は話の途中だったが、マリ子はすぐに相談内容を察した様子で、小さく頷いた。


「服用した後で、添付文書の『授乳を避けること』という一文に気付いて、相談してきた……ですか?」

「話が早くて助かるわ。その人、全部飲み終わった後で気付いて慌てちゃったみたいで……授乳中にロラタジンって、よくないのかしら?」


 接客モードがオンになったマリ子は立ち上がると、薬局の本棚から、一冊の本を手に取る。授乳婦に特化した薬の専門書だ。


「乳児の月齢は分かりますか?」

「去年の夏に生まれたから、十か月くらいかしら」


 マリ子は本のページをめくり、ロラタジンに関して記載されたページを房江に向けて差し出す。


「それでしたら、結論から言えば、心配はいらないということになりますが……」


 マリ子はロラタジンについて記載されている場所を指さし、説明を続ける。


「添付文書というのは、その薬に関する効能や服用上の注意事項が記載された重要な文書ですが、それが必ずしも使用実績に基づいているわけではありません。特に市販薬は自己判断での服用が前提なので、医師が処方する医療用医薬品よりも厳しい制限が記載されていることが多いです」


 マリ子が指で指し示した箇所では、授乳中でも安全に服用できる薬としてロラタジンが分類されていた。


「授乳中の記載に関しては、乳児が何か月なのかといった内容も判断基準になるので、特にその傾向が強いです。今回服用していたロラタジンは、市販の添付文書上は授乳を避けるように書かれていますが、各種文献においては授乳中でも安全性が高いとされています。なので……」


 言いながら、マリ子はパタリと本を閉じる。


「……最終的な回答としては、過度な心配は不要、ということになります」


 そう言うと、マリ子はぴったり元あった場所へと本を戻した。


「ありがとう、そのまま伝えておくわね」


 やんわりと表情を崩し、房江はお礼の言葉をかける。


「ちなみに、授乳中というのが最初から分かっていたら、販売はするの?」

「しません。もし販売する場合は、授乳を控えるように指導します」

「そうなの? さっき、安全性は高いって言ってたのに?」


 房江は意外そうな表情で聞き返す。


「使用実績や安全性評価は、病院から医療用のロラタジンが処方された場合や、今回のように添付文書を読まずに服用してしまった場合の判断材料に過ぎません。薬の添付文書で授乳をしないように書かれている以上、それを無視し、授乳して構わないと説明して市販のロラタジンを販売することはできません」

「そういうものなのね……同じ薬なのに、病院から出されるか市販薬かで対応が変わるなんて、なんだか変な話ね」

「そう……でしょうか……」


 今度はマリ子が口元に手を当てて、不思議そうに考え込む仕草を見せる。


「それと……」


 少し考えた後、マリ子は再び口を開く。


「添付文書には服用する上で重要な事項が多く記載されています。服用後ではなく、服用前に目を通すよう、そのご友人にお伝えください」

「ふふっ、それもしっかり伝えておくわね」


 淡々としつつも、最後はしっかり釘を刺すマリ子に対して、房江は軽く苦笑しながら答える。普段は口数少ないマリ子だが、薬の説明や注意事項など、伝えるべきことは一切ためらわずにすらすらと語って聞かせる。その姿は、鈴音にとっても見慣れた光景だった。




……





「……鏡橋さん、大丈夫?」

「あ、はい。こんな高級そうなところに慣れてないので、緊張しちゃって……」

「アクアリウムレストラン! このお店、わたし一度来てみたかったんですよねー」


 鈴音と美亜が連れてこられたのは、食事しながら熱帯魚や水中の生き物を鑑賞できる、小洒落たアクアリウムレストランだった。


「ディナーは予約必須、でも今日は、運よく予約がとれた」


 軽く食事しただけでも一人五千円は軽く超えそうな店。そんな中、自分の庭を散歩するように軽やかに歩くマリ子と、肩をすくめながら歩く鈴音、そして楽しそうにレストラン内を見回す美亜、三者三様だった。店員の案内に従い、三人は奥の席へと向かっていった。

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