(3)便りの無いのは良い便り
「結局、今日は聞けなかったな……」
駅から少し離れた、小さなアパートの一室。帰宅後、ベッドに倒れこんだ鈴音は天井を仰ぐ。マリ子に話を聞こうと思った鈴音だったが、午後は処方せんが途絶えることなく舞い込んできたこともあり、最後まで話を聞くことはできなかった。
「今日は、疲れた……」
鈴音がベッドの上で寝返りを打った時、リリリとスマホの電話呼び出し音が鳴る。
「あっ、お母さんだ」
手早く操作して、ベッドに寝ころんだままスマホを耳に当てる。
「お母さん、何?」
「もしもし? 鈴音の方から全然連絡がないから、大丈夫かなって思って……」
「あー、うん、大丈夫」
「ご飯はちゃんと食べてる? もうそろそろ、仕事が辛くなってきてない? この前、薬剤師の求人見つけたんだけど……」
「あ、仕事なら順調! 大丈夫だから!」
母親の言葉を遮り、問題ないことを伝える。
鈴音は栃木の田舎町から東京の薬学部へ進学し、そのまま東京で就職した。両親からは地元に戻ってこないかと言われているが、東京の便利さに慣れてしまい、地元に帰る気にはなれずにいる。地元ではまだ薬剤師が不足していて好待遇の案件も多く、チラシで募集広告を見つけては、地元に戻って働くことを勧められている。いろいろと理由をつけて東京に留まれるように説得はできたが、その代わり、今の薬局を辞めたら実家に戻ることを約束させられた。
「本当? パワハラとか受けてない? 辛かったら、いつでも戻って来ていいのよ?」
「大丈夫だよ、みんな優し……アットホームな感じだし」
「アットホーム? その職場、本当に大丈夫なの? やっぱり何か問題あるんじゃ……」
「大丈夫、大丈夫! ほんと、お母さんは心配性なんだから……それよりそっちは大丈夫なの? 私がいなくてもちゃんとやってる?」
「こっちは問題なくやってるわよ」
「ムーの餌はグレインフリーの避妊去勢用だから、他のと間違えないでよ。餌皿も毎回ちゃんと洗ってよね」
「はいはい、言われた通りやってるわよ。そんなに猫が心配ならこっちに戻って来ればいいのに。ゴールデンウィークも帰って来なかったし、せめてお盆と年末年始だけはちゃんと帰ってくるのよ、いいわね?」
「分かってる。今日はもう疲れたから切るね」
「あ、それと、いい人が見つかった時はちゃんと紹介するのよ、いいわね? 結婚するならこっちもいろいろと準備しないといけないんだから。なんならお見合い相手をこっちで探してあげても……」
「はいはい、分かってる、そういう人ができたら必ず知らせるから。他に用事がなければ切るよ」
「まったく……たまにはそっちからも連絡しなさいよ」
「便りの無いのは良い便りってね、お母さんは心配しすぎ」
「まったく、余計な言葉ばっかり覚えるんだから……」
「今日は疲れたからもう切るよ、じゃあね」
母親はまだ話し足りないようだったが、全部聞いてるとキリがないので、適当なところで切り上げる。そのままスマホを枕元に置いた時、リリリ、と再びスマホの呼び出し音がった。
「あれっ、今度は誰だろ?」
鈴音はスマホを手に取り、画面を見る。
「あ、理央だ」
ピッと手早く操作してスマホを耳に当てる。大学の薬学部で親しくなった友達だ。
「あ、出た。やっほー、今大丈夫?」
明るい第一声が耳に届く。
「うん、大丈夫。今ちょうど帰って、ベッドで休んでたところ。急に電話なんて、どうしたの?」
「来週の月曜日ね、ちょうど鈴音が勤めてる薬局の近くに研修で行く予定なんだけど。もし時間があったら、終わった後で久々に会えないかなーって思って」
「来週の月曜日……うん、大丈夫だよ」
来週は特に予定もないので、すぐにオッケーの返事をする。
「よかった! じゃあ、来週また電話するね。会うのは久々だから、楽しみ!」
「うん、私も楽しみ」
理央は地元に戻り、山梨を中心に展開している薬局に務めている。東京にいる鈴音とは会おうと思えばいつでも会える距離ではあるのだが、お互い忙しかったり疲れていたりで、卒業後はなかなか会える機会がなかった。
「それで、鈴音の方は仕事、どう?」
「本当に毎日大変だよ……監査はまだ任せてもらえないけど、最近ようやく新患の服薬指導を任せてもらえるようになったところ」
監査というのは処方や用意した薬に間違いや問題がないかを確認する作業を指す。監査した薬剤師がそのまま患者に薬を渡す流れにしている薬局も多いが、監査した薬剤師と実際に患者に薬を渡す薬剤師が異なる流れにしている薬局もあり、鈴音がいる店舗は後者に分類される。監査者は何か間違いがあった時に責任の大半を負う立場のため、かかる責任は重い。そのため、新人の鈴音が任されることはなく、鈴音がいる店舗では主に稲本連がその業務を担っていた。
「えっ! 新規患者の服薬指導って、もうそんなことやってるの!?」
理央は驚きの声をあげる。
「うん、まあね。理央の方はどんな感じ?」
「わたしの方は研修ばっかりだよ、来週後半からようやく店舗の方にも行けるけど、研修はこれからもちょくちょくあるっぽい」
「研修かぁ……ちゃんと教えてもらえていいなぁ」
「そんなことないよ、退屈だし寝てると怒られるし、大学から高校に逆戻りした気分」
「寝ない寝ない」
子供をたしなめるように言い、鈴音は苦笑する。こんなくだけた口調で友達と話すのも、ずいぶん久しぶりな気がする。
「もう店舗でバリバリ働いてる鈴音が羨ましいわ」
「私は、研修しっかりやってもらえる理央が羨ましいかな」
「隣の芝は何とやら、だね」
「あははっ、それ!」
二人で一緒になって笑い合う。
「そういえば理央聞いてよ、うちの先輩がさしすせそモードとか変なこと言ってて……」
「えーっ、何それ……」
そうしてしばらく、理央とお互いの薬局のことで盛り上がった。
「……それじゃ、また今度電話するから」
「うん、またね」
最後に軽く言葉を交わし、鈴音は電話を切った。
「来週の月曜日っと」
忘れないように、スマホのカレンダーに予定を入れる。
「今日は、本当に、疲れた……」
呟きながら、天井を見上げる。午後は怒涛の忙しさで、鈴音は休む間もなく働き続けた。それはマリ子や連も同じはずだが、少しずつ仕事の速さが落ちていった鈴音とは違い、マリ子と連は少しも能率が落ちることはなく、最後までしっかり仕事をこなしていた。
(早く、追い付けるといい、な……)
遠い二人の背中を思い浮かべながらも、睡魔に勝つことはできず、鈴音はそのまま眠りの中へと落ちていった。




