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この調剤、お断りします ~薬局薬剤師・薬師川マリ子の調剤録~  作者: 霧南
■2■ 「薬剤師法第二十一条」

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(2)処方せんの行く末は

「……ということが、今日あったんです」


 それから三十分ほど経ってから休憩に入った鈴音は、薬局の近くにある卵料理専門店でお昼をとっていた。


「なるほどね。それで鈴音ちゃんは考えこんじゃってるんだ」

「はい」


 言いながら、カランと手に持ったオレンジジュースのグラスを鳴らしたのは藪中(やぶなか)あかね。既婚で二人の子持ちの三十七歳、サルーリア薬局のパート薬剤師だ。現在は育児休暇中で、来月から復帰することになっている。ちょうど鈴音が休憩に入るタイミングであかねが薬局に立ち寄ったため、一緒に食事をとることになった。


「いやはや、それにしても鈴音ちゃんは初々しくていいね!」

「からかわないでください、こっちは真剣なんですから」

「まぁまぁそう言わずに。初めて会った時も一生懸命だったけど、鈴音ちゃんはその時から変わってないね」


 あかねは少し身を引き、椅子にもたれかかる。


「あーっ! またその話ですか!?」

「いやだって、素敵な馴れ初めだったし?」


 少し身を乗り出し、意気揚々と話すあかね。


「馴れ初めって、夫婦じゃないんですから……」

「運命的な出会いって言った方がいいかな?」

「恋人ですかっ! もぅ、あかねさんってば……」

「ふふっ、それはある晴れた日のこと……」


 目を閉じて過去回想モードに入るあかね。


「って、語り始めるんですかっ!」

「あははっ、ナイスツッコミ!」


 ジェスチャー付きでツッコミを入れる鈴音を見て、あかねは声をあげてケラケラと笑う。


「つ、つい連先輩や美亜ちゃんのノリが……」

「鈴音ちゃんも、すっかり薬局の色に染まり始めてるねぇ」


 にやにやと笑みを浮かべながら、あかねは頬杖をつく。


「それは嫌だなぁ……」

「そんな心の底から嫌そうな顔しなくても」

「えっ、そんな顔に出てました?」

「うん、この世の地獄だって顔してた」

「そんな大げさな……」


 呆れた表情になる鈴音を見て、あかねは軽く笑いをこぼす。


「でもさ、わたしと初めて会った時の鈴音ちゃんの対応、患者やお客さんからしても安心できるものだったと思うよ」


 鈴音は、あかねと最初に会った日のことを思い出す。たまたま近くを通り、あかねがふらりと薬局に顔を出したのは先月のこと。薬局に入ってきたあかねを薬局に相談に来た人だと勘違いし、あわあわしながらも鈴音が一生懸命対応したのだ。


「ほんと、気づいてるならみんな教えてくれればよかったのに……」


 そう言って鈴音はため息をつく。


「ふふっ、鈴音ちゃん以外はみんな知ってたのに完全スルーだったものね」


 ちょうど患者が途切れていた時だったこともあり、連はぼーっと放心状態、マリ子さんは一瞥しただけで自分の仕事に戻ってしまった。美亜は鈴音より先にあかねと会っていたが、素知らぬ顔で楽しそうに鈴音とあかねのやりとりを眺めていた。


「うちの薬局って、あぁいうところありますよね! あかねさんがいた頃もあんなだったんですか?」

「うーん……確かにみんなノリがいいところがあるからねぇ」


 その時のことを思い出したのか、あかねはくすくすと笑う。


「でも連君とマリちゃんが新人だった頃は、目が離せなくて苦労したよ」

「あっ、あかねさんって、マリ子先輩や連先輩よりも前からうちで働いてるんですよね?」

「うん、二人の新人時代のことも色々と知ってるよ」


 チェーン展開するサルーリア薬局には、東京内外にいくつか店舗がある。正社員の薬剤師は必要に応じて店舗異動があるが、パート薬剤師には異動がない。


「先輩達の、新人時代……」


 興味を引く言葉に、鈴音はごくりと唾をのむ。


「……興味ある?」

「はい、とっても」

「正直だね。でもそれを語りだすと昼休みじゃ足りないから、その話は時間がある時にじっくり……ね?」

「はい、ぜひっ!」


 思わず身を乗り出す鈴音と、邪悪な笑みを浮かべるあかね。二人でふふふっと笑い合う。


「でも今はそう……マリちゃんが調剤を断っちゃった話ね」

「……はい」


 あかねは軽く片目をつぶって真剣みのある表情になると、コップを持ってくるくると軽く回す。鈴音も少し身を乗り出し、真面目な表情であかねの言葉を待った。


「詳しくは分からないけど、多分、大丈夫だと思うよ」

「そう……ですか?」


 あっさり大丈夫と言うあかねを、鈴音は目を丸くして見返す。


「病院が疑義照会に対応してくれなくて、患者も指示通り出さないなら処方せんを捨てるとまで言ってきて……そういう状況なら、調剤を断るのも仕方ないんじゃないかなって個人的には思うけど」

「それは、そうかも知れないけど……でも……」

「わたしなら、そんなせっかちな患者には塩まいて『悪霊退散、鬼は外ー!』ってしちゃうけどね!」

「いやダメですよ、それ……」

「冗談だってば……やろうとしたら薬局長に怒られたし」

「やろうとはしたんですね」

「あはは、まぁね……それはさておき」


 軽く苦笑した後、あかねはすっと真面目な表情に戻る。


「鈴音ちゃんも知っての通り、処方せんの疑問点を確認した後でないと、薬剤師は薬を調剤していけないことになってるよね」

「……はい」


 薬剤師法において、処方せんに疑問点がある場合、薬剤師はその疑問点を解消した後でないと調剤してはならないと厳しく定められている。


「何かしらの事情で疑義を解消することができない場合、調剤を断る理由になる……これはガイドラインにも一応書かれているね」

「……そう、ですね」

「処方せんを捨てていかれても困るし、患者には薬局を選ぶ自由もある……分かるよね?」

「……はい」


 患者に処方せんが手渡された時点で、その処方せんは全国どの保険薬局に持ち込んでも構わないと明確に規定されている。


「とすると、鈴音ちゃんは何が引っかかってるのかな?」


 あかねは優しい表情で鈴音の顔を伺う。


「……確かに、確かにあかねさんの言う通りだというのは分かってるんです。マリ子先輩はきっと、何も間違ったことはしてないんだろうなって。でも……でも、それで調剤をしてもらえなかった患者さんは、どうなっちゃうんですか?」


 鈴音は心の中にある形のない疑問を、必死に言葉にする。それを聞いて、あかねはすんっと表情を消す。


「それは、マリちゃんが何にこだわってたのかが分からないと、何とも言えないかな……マリちゃんはたまに杓子定規(しゃくしじょうぎ)な時があるからねぇ……」


 モヤモヤして伏し目がちな鈴音に対して、あかねはくるくるとオレンジジュースのグラスをストローでかき混ぜ、遠い異国の他人事のように話す。


「でも疑義照会はできても、その回答にまで反論できるマリちゃんみたいな薬剤師はそう多くないから……もしその患者が他の薬局に処方せんを持ち込んでいたら、普通に調剤されて薬も貰ってるんじゃないかな」

「そう……ですか」

「調剤拒否した処方せんの行く末は、きっとおそらく大丈夫って、信じるしかないよね」


 くるくると何度もストローでかき混ぜながら、表情を変えずにあかねは言う。


「……」

「……」


 しばらくの沈黙。


「……私、改めてマリ子先輩に話を聞いてみることにします」


 しばらく考えた後、鈴音がぽつりとつぶやく。


「うん、それがいいね。気になることはトコトン聞いちゃおう!」

「はいっ!」


 場の雰囲気を変えようとしたのか、あかねは明るい声で言う。そんなあかねに後押しされて、鈴音も笑顔になる。


「それじゃあ、鈴音ちゃんの初恋の相手は?」

「それは近所に住んでた三つ年上のカッコいい……って、何を言わせるんですかっ」

「いや、わたしも気になることはトコトン聞いちゃおうかと思って」


 まったく悪気のない様子でケラケラと笑うあかね。


「もう……」


 鈴音は呆れてため息をつく。やっぱり、この薬局は変な人ばかりだ……そう鈴音は心の中でつぶやく。しかし、あかねと話したことで鈴音の気が晴れたのは事実。鈴音は気を取り直すと、自分を鼓舞するようにオムライスにスプーンを勢いよく食い込ませたのだった。

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