(1)調剤の求めに応ずる義務
「……この調剤、お断りします」
「……えっ?」
薬師川マリ子の言葉に、鏡橋鈴音は驚きの表情を見せる。同時に、ズキッと心にトゲが刺さる。
「鈴音せんせー、どうしたの?」
きょとんとした表情で鈴音を見る桃井美亜。
「あ……ううん、ちょっと……」
心にトゲが刺さった理由が分からず、鈴音は言葉を濁す。
「あんなに直球で言ったら、調剤拒否になっちゃうんじゃないかなって、そう思って……」
「ちょうざいきょひ?」
「えっと、薬局の薬剤師は、患者さんの調剤を拒否しちゃいけないって決まりがあって……」
「そうなのー? モンクレが来たら『お前に渡す薬なんてないっ!』て言って追い返してよくない?」
「はは……薬剤師は国から免許を与えられた資格職だからね、クレーム入れられたからって理由で調剤を拒否することはできないかな」
大仰にリアクションをとりながら話す美亜に、鈴音は苦笑して答える。
「じゃあじゃあ、薬局の閉店後に持ってきた人には『はい残念、間に合いませんでしたー、営業時間外ですー』って断るのはいいよね?」
「営業時間外だからって理由だけでは、調剤を拒否する理由にはならないかな」
「えー……じゃあ『前回支払ってくれなかったから、ツケを支払うまで薬は渡さんっ!』とかはー?」
なんの真似なのか、宙を指さしてわざとらしく演技っぽい仕草をしながら言う美亜。
「金額や回数、患者の支払い能力にもよるけど、それでも百パーセント薬局側に正当性が認められるとは断言できないかな……」
「手強いー……じゃあ『薬剤師はもう帰っちゃって事務員しかいないから、調剤はできませーん!』とかは?」
「うーん……それが緊急で必要な薬だった場合は、薬剤師に戻って来てもらうことも検討しないといけないかな」
薬剤師が不在の状況で調剤して患者に薬を渡してしまった場合、一発で業務停止という、厳しい処分を受けることになる。
「えー、帰宅後に呼び戻されるとか、わたしなら絶対イヤなんだけどー!」
「あはは、だよね……」
少し困った表情を見せた後、真面目な表情に戻って鈴音は続ける。
「でも薬剤師はそれだけの責任を負わされているし、いろんな法律や規則で縛りを受けてるんだよ。それに背けば行政指導が入るし、悪質な場合は許可や免許にも影響する可能性のある、厳しい規則ではあるんだけど……」
「んー……わたしはそんなの無理だから、ずっと事務員でいいかなー」
美亜はうんうんと頷いて、一人納得した。鈴音はそんな鈴音に少し苦笑した後、すっと真面目な表情に戻る。
「でも今は、調剤もできる状況だから……」
「んー……難しいことは分からないけど、マリ子せんせーならきっと大丈夫だって」
「そうだといいけど……」
鈴音は心配そうな表情でマリ子に目をやる。
その後もしばらく押し問答を続けていたマリ子と患者だったが、最終的に患者側が痺れを切らしてしまう。
「こっちこそ、こんな融通の利かない薬局はもうお断りよ! 薬は他の薬局でもらうから、もう結構! 二度と来ないわ!」
「……お大事に……」
マリ子は患者から受け取った処方せんを丁寧な所作で返却すると、少しの表情も変えず、小さく頭を下げた。
……
…
「……」
カタカタとマリ子が規則的なリズムでタイピングする音が薬局に響く。
「マリ子先輩……ちょっといいですか?」
「…………何か?」
区切りのいいところまでタイプし終えたマリ子は、手を止めて鈴音に向き直る。
「マリ子先輩……さっきのアレって、調剤拒否になりませんか?」
「……」
無表情のままじっと鈴音を見るマリ子。
「……なる。何か、問題でも?」
マリ子は何事もないかのようにいつも通りの無表情で返す。
「えっ、あの……調剤、拒否しちゃって大丈夫なのかなって……」
鈴音が言うと、マリ子は手を口元に当て、少し考える仕草を見せる。そして小さくうなずくと、鈴音に向き直った。
「薬剤師法、第二十一条……」
「えっ?」
「鏡橋さんは、薬剤師法第二十一条、調剤の求めに応ずる義務に照らし合わせて語っている……違った?」
戸惑う鈴音に対して、マリ子は正面からまっすぐ鈴音の目を見据える。
「あ、いえ、合ってます……」
二十一条という数字が合ってるのか鈴音には分からなかったが、おそらく合っているのだろうとスルーする。
「調剤に従事する薬剤師は、調剤の求めがあった場合、正当な理由がなければ、これを拒んではならない」
「……はい」
鈴音も一応知ってはいるが、こんなにすらすらと条文が口から出てはこない。心の中で「やっぱり先輩はすごいな」とつぶやく。
「……」
黙り込んでしまう鈴音を、マリ子は無言でじっと見つめる。
「今回は……」
マリ子が言いかけた、その時──
「うぃーっす! 休憩ありっしたー!」
陽気な声とともに調剤室に入ってきた稲本連によって、マリ子の言葉が遮られる。
「……おやっ、おやや? もしかして俺、ちょっとタイミング悪かったか?」
鈴音とマリ子の間に流れる微妙な空気を察した連は、少し気まずそうな表情を浮かべる。
「……いえ、大丈夫」
表情一つ変えずに小さくため息をつくと、マリ子はすっと立ち上がった。
「お腹すいた。続きは、また、今度……」
「あ……はい」
マリ子を咎める形で会話が終わってしまい、少し恐縮してしまう鈴音。だがマリ子は特に気にした様子もなく、いつも通りで表情一つ変えることはなかった。
「……休憩、行ってくる」
マリ子は手早く準備を済ませると、あっという間に調剤室を出て行った。
「……何があったか、このお兄ちゃんに、ちょいと話してみる?」
「ごめんなさい、お断りします、お兄様」
鈴音は丁寧にお辞儀をして遠慮する。
「二人ともノリが合ってますねー、きゃはっ」
陽気に笑う美亜の声だけが、静かな調剤室に響いたのだった。




