十一日目 雨地
今日は、旅に出てから初めての雨だった。
空を見上げると灰色の分厚い雲が広がっていて、そこから容赦のない雨粒が地上に降り注ぐ。独特な雨の匂いが、辺りに漂っていた。
宝石屋さんのお店を後にしてから数日が経ち、私たちはいまも次の目的地に向かってる途中だった。しかし、困ったことに雨が降ってきてしまったのだ。
さすがに雨に打たれながら先へ進むほど私たちは元気っ子ではないので、私たちはちょっとした木の下で雨宿りをしていた。しかしさっきから一時間くらいはここにいるけれど、一向に雨が止む気配はない。むしろ、どんどんと激しくなっているくらいだった。
私は雨が嫌いではなかったし、家にいるときなら、雨はむしろその水の音が心地良いくらいだったが、さすがに外に出かけているときは勘弁してほしいものだ。
「どうしようねー」
私は言った。
「うーん、今日は止みそうにないなあ」
「こまった」
確かに、空を見た感じでなんとなくわかる。今日は止みそうにない。空の見える範囲全体を、分厚い灰色の雲が覆っていて、昼間であるはずなのに辺りはもう薄暗い。
「チャル、どうにかできない?」
毎度の如く、チャルに頼るわたし。
あまり他人に頼りすぎるのも考えものだけど、私は勝手に、チャルにはいくらでも頼っていいということにしている。見返りを求めないでいくらでも頼れるのが恋人ってものでしょ? いや、頼る側が言うことじゃないか……私も、もっとチャルに頼られるように頑張ります。
「うーん、しょうがないな」
「さすが」
しょうじき、チャルの魔法なら、天気を晴れにするくらいのことは造作もないことだと思う、たぶんだけど。私でも、魔法で雨雲を吹き飛ばすとかならできるだろうけど、あまりスマートじゃない。
私がチャルが何をするのかとわくわくして待っていると、チャルは空間に穴を開けて、その中に手を入れた。数秒、そのなかをごそごそ漁るような仕草を見せた後、穴のなかから、なにやら柄のついた棒のようなものを一本ひっぱり出した。
「はい、どうぞ」
チャルはその棒のようなものを、私に手渡した。
「えっと、これは……?」
「え? リリスちゃん知らないの? 珍しいね。これはね、傘っていうんだよ」
「いや、知ってるけども……」
まさかの傘とは、あまりにも普通すぎる方法で、私は逆に面食らった。
「ところで、チャルのは?」
「? 傘っていうのは、ふたりで一本を使うんだよ」
なるほど、それは初耳だ。まあ要するに、チャルがいっしょの傘に入りたいという解釈でいいのかな。でもまあたしかに、私たちが別々の傘を差して並んで歩くというのもおかしな話な気もする。
「まあ、いいけど……」
私はその傘を開いて、手に持つ。そしてその傘を地面と垂直に向けた時、私は、この手法の重大な欠陥に気がついた。
「あれ、これじゃ手繋げないじゃん」
「ほんとだ」
「どうするの?」
俯いて何かを考えるような格好をして少し黙ってから、チャルは口を開いた。
「じゃあ、こう」
そう言って、チャルは私の、傘を持った方の手である右手に、自分の左手を被せて握った。
「はい、これでいいでしょ?」
「うーん……チャルは私の手を握ってるからいいかもしれないけど、私が握るのは傘の持ち手かあ」
「わがままだなぁ……雨降ってるんだからしょうがないでしょ!」
「だってぇ……」
「それに、相合傘もいいでしょ! 濡れちゃうからもっと寄って!」
「うん」
私はしぶしぶとその提案を承諾した。
私はチャルとお互いの肩が触れ合うほどに近づき、歩き出した。
「まあ、たまにはいいかもね……」
「でしょ。とりあえずこれで先に進めるから、よかったね」
雨の中、ふたりで濡れた道を歩く。
雨は困るけど、たしかにふたりで傘に入るっていうのもなかなかいいのかもしれない。初めてじゃないけど、相合傘っていうのも、意外としないものだしね。
「でも、先に進めるのはいいとして、今日の夜どうしよう」
「今日の夜?」
「うん。さすがに雨の中じゃ寝れないし、町もこの辺りにないみたいだよ」
「あらま」
それは困った。
「うーん、どこか雨しのげるところとか見つけないとだね……」
「そんなところ、なさそうだけど……」
回りを見回してもあるのは木か岩、よくて立て看板くらいだ。その看板に書いてある数字も、とても一日で歩けるようなものではない。
「まあ、歩いてれば何かしら見つかるでしょ」
「ほんとかなぁ……」
***
まだまだ雨が止む気配はない。空も薄暗いままだった。
「あ、なんか良さそうなのあったよ」
チャルが指を指して言った。その方に目を向けるが、私はチャルほどは目が良くないのでよく見えない。
「なに?」
「なんか、洞穴的な」
近づいて見ると、そこに確かに洞穴があった。中は薄暗くて見えないが、まあただの洞穴だろう。
「今日はここかなぁ」
「まあ、しょうがないね」
洞穴なんてどう考えても女の子ふたりで寝る場所ではないが、贅沢は言っていられない。雨がしのげるだけましだと思おう。
「とりあえず、入ろうか」
「うん」
私たちは、傘をたたんで洞穴の中に入った。
「なにもみえない」
「じゃあ、"ライト"」
ぱっと、洞窟のなかに明かりが灯る。眩しさで反射的に瞑った目を開くと、私の目の前に何かがいたのに気づいた。
「うぎゃぁ!?」
私は思わず声を上げて、飛び上がった。そして反射的に、魔法まで放ってしまった。
「ア、アイス!」
べちゃ
そいつの体に氷の塊が当たった時、ちょうどそんなような音がした。
そいつには手も足もなく、目も口もない。どろどろした半透明のゼリーのような魔物だった。
こんなとても生物とは思えないような身なりをしているこいつを見て、私がすぐに魔物だと思ったのには訳がある。つまり、こいつみたいなのには、いままでの旅の最中で何回も遭遇していたからだ。
しかし驚いたのは、私の魔法をくらっても無事みたいなのだ。私が放った氷の塊は、ゆっくりと透明な身体の中に吸い込まれていって、少しずつ融解して消えていった。
「いたた、いきなり攻撃なんて、酷いじゃないですか」
「!?」
それはたしかに、ゼリー状の生き物の方から聞こえた。
「え、いま声が……」
「聞こえたね……」
「しゃべっているんだから、声が聞こえるのは当たり前ですよ」
声に合わせて、ゼリー状の生き物は細かくぷるぷると震えていた。
「え、しゃべれるの?」
「ええ、練習しましたから。そんじょそこらのゼリーとは違うのです」
「口もないのに凄いね」
「口がないと喋れないなんて、固定観念に囚われてはいけませんよ」
なんと、魔物にそんな注意される日がくるとは思ってもみなかった。しかし一理ある、心に留めておこう。
「ところで、おふたりとも、私のうちに何のようですか?」
「ああ、ちょっと雨宿りに……まさか誰か住んでるとは思わなくて」
「ああ、雨宿りですか、外は大雨ですもんね、ぜんぜん構いませんよ。なにもない家ですが」
そのゼリー状の生き物は、身体をぐにゃぐにゃさせながらどこからか声を発してしゃべる。
「あ、それはどうも」
「そのかわり、私の話に付き合ってくださいな。数年以上、人と会話をしていなくてね」
「ああ、それくらいは別に」
落ち着いたしゃべり方と、ぐにゃぐにゃした意味不明な見た目とのギャップが凄い。
「そう言えば、魔物なのに人間を襲わないんですね。何故か喋れるし」
「ええ……魔物が人間を襲うというのは言うならば本能のようなものですが、私は他の魔物よりも賢いので、本能よりも理性が勝ってしまったわけですね。人間なんて襲ってもしょうがないですからね、別に食べるわけでもないし」
なるほど。魔物の中にもそういう変わっているやつがいるんだなあ。
「私のことより、いまの世界のことを教えてくれませんか? 数年この洞穴から出ていないのでね」
相変わらず、身体をぐねらせながら言った。
「最近は、魔王とかいうのが現れたらしくて、世界が少し混乱しているらしいですよ」
「なんと」
ゼリー状の生き物は驚いたような声を出した。もちろん、表情などはわからないが。
「魔王といえば数十年前にどっかの誰かに封印されたと聞きましたが、同じやつなのですか?」
「いえ、そこまではよく知らないです」
「ふむふむ……」
ゼリー状の生き物はそれを聞いて、数秒何かを考えていたようだった。身体が透明なのでなかまで丸見えだが、脳や臓器のようなものは見当たらない。いったいどこで物を考えているのだろうか。いや、これは脳がないと物を考えられないという固定観念に囚われているのかもしれない。
「魔王とは、周りに迷惑をかけるやつですよね。君たちも、そういう大人にはなってはいけませんよ」
「あ、はい」
「ところで、君たちのような小さな子どもが何のためにここに来たのです? ここらは町もないし、むしろ魔物が沢山いて危ないので、基本的に人間が来るのはやめたほうがいいと思いますよ」
「ああ、実は……」
私はそれから、私たちが魔王を倒すために旅をしていることを説明した。
「なるほど……そういえば君は、さっき魔法を使っていましたね」
「はい、ごめんなさい」
「いえいえ、魔法使いなんて長年生きててはじめて見ました、ありがとうございます。それに、たしか、前にいた魔王も魔法使いの女の子に封印されたということだったはずですよ」
「そうなんですね」
それはもしかして、賢者様のことだろうか。たぶん、そうだと思う。
「それにしても物知りですね、あなたはいったいいくつなんですか?」
「ふむ。もう歳なんて数えてはいないけれど、1000年以上は生きていると思いますよ」
なんと、予想よりも二桁も長生きだった。
「え、そんなに?」
「ええ、私はただのゼリーですからね。定期的に身体から蒸発する水分を補給してやればいつまででも生きられるんですよ」
「なるほど……」
食べ物とかはいらないのだろうか、なんか変な感じだが、魔物と人間じゃ根本的に違うのだろう。固定観念に囚われてはいけませんからね。
「これは勘ですが、あなたたちからはなんとも不思議な雰囲気を感じますね……」
「不思議ですか?」
「ええ……ただ、この感じが具体的にどんなものなのかは自分でもよくわかりませんがね」
このゼリーみたいな生き物といい、宝石屋さんといい、ある程度長生きをしている人に会うといつも、似たようなことを言われる気がする。
「ところで、あなたはこれからもずっとこの洞穴の中にいるんですか?」
「ええ……そのつもりです。尤も、100年後の自分のことなんて、予想もできませんがね」
「なるほど……」
「もっといろいろ話を聞きたいとこですが、そろそろ寝ないといけない時間ですかね?」
「いえいえ、聞きたいことがあればなんでも聞いてください」
それからもそのゼリーさんと色々な話をして、今日という日を終えた。
泊まらせてくれると言っても、もちろん人間用のベッドなどがあるわけではないので、私とチャルはテーブルの上で眠ることにした。ゼリーさんは、大きな壺の中に入って寝るらしい。壺に入ってフタをしていれば、身体の水分の蒸発を抑えられるとかなんとか。私はなんだかタコみたいだなと思った。
***
「む……」
目が覚めた。洞穴の入り口から、太陽の光が入りこんでくる。
「目覚めましたか」
「あ、はい」
「雨も止んだようで、よかったですね」
「ほんとうだ、ありがとうございます。泊まらせていただいて」
私はそのゼリー状の生き物にお辞儀をした。
「チャル、朝だよ」
毎度のごとくチャルはまだ寝ている。どこで寝ようとも、チャルが私よりもはやく起きることはないらしい。
「あさぁ……?」
「そうだよ、雨止んでる」
目をこすりながら、チャルはテーブルから降りる。
「わぁ、ほんとだー」
外に出てみると、昨日の大雨は見事に止んでいた。といっても、晴天というわけでもなかった、くもりかな。
「とりあえずよかったね、これで先に進めるよ」
「うん」
先に進めるのは嬉しい。もう雨は勘弁してほしいかなぁ、まあ自然のことだから、どうしようもないけれど。
私たちはゼリー状の生き物の方へと身体を向き直した。
「泊めていただいてありがとうございました」
私は礼をしながらそう言った。チャルもいっしょに礼をしている。
「いえいえ、こちらこそ、外の話が聞けて面白かったです。ありがとうございました」
そのゼリー状の身体がぐねりと湾曲する。たぶん、礼をしているんだろうと思う。
私はその生き物に別れの挨拶をして、その洞穴を後にした。次の目的地はどこだろう。
「面白い人だったね」
洞穴がもう見えないくらいになったところで、チャルがそう言った。
「そうだね、人かどうかはわからないけど、あんなのもいるんだ」
「他にもいるのかな」
「わからない」
世界は広いなあと思った。旅に出ずに、ずっと町の中に引きこもっていたら、あんな魔物の存在はいっしょう知る由もなかっただろう。こういうのが、旅のいいところなのかもしれない。
「次の目的地はどこ?」
「次は、魔王の城がいるらしい島に渡るために、橋へ行くよ」
橋か、小川にかかる橋程度なら何度も渡ったことがあるけども、海にかかる橋を渡るのって人生で初めてかもしれない。なんだか、楽しみだな。
旅というのは、引きこもっているだけじゃ決して経験できないようなことを色々と経験できて、楽しい。もちろん、ひとりじゃ絶対できないけど。
「そこまではどのくらいかかるの?」
「うーん、今日中には着かないくらいかな」
「そっか」
私はチャルの手を握り直して言った。
「じゃあ、今日もがんばるぞー!」
「うん」
水たまりを避けながら、私たちは次の目的地に向かって歩き出した。
To be continued.




