甘え甘やかし
「お嬢様!大変です!ルシアン様が……!」
八歳になったある日の朝。
隠れ家に向かおうとしていた私の元へ、息を切らせたアンナが飛び込んできた。
聞けば、ルシアンが昨夜から高熱を出し、臥せっているのだという。
侯爵家の専属医が診察したものの「原因不明の知恵熱のようなもの」と告げられ、うなされ続けているらしい。
(えっ、あのルシアンが……!?)
いつも余裕たっぷりで、私を甘やかしては楽しそうに微笑んでいたあの少年が。
胸がすっと冷たくなるのを感じた。
前世の職業病か、はたまた毎日のように膝枕をさせていた幼なじみへの情か。
考えるより先に、私はドレスの裾を翻してお屋敷を飛び出していた。
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「エリアノーラ様……! お待ちください、感染症かもしれません!」
侯爵家のメイドたちの制止を片手で制し、私はルシアンの寝室の扉を遠慮なく押し開けた。
部屋の中は重苦しい熱気と、浅い呼吸音に満ちていた。
豪華なベッドの中央で、あの綺麗な銀髪を汗で張り付かせ、荒い息を吐いている小さな少年。
「……ルシアン」
ベッド脇へ駆け寄り、前世で何千回とやってきた動作を自然に行う。
手首の内側をそっと抑えて脈拍を確認。一分間に百超え……かなりの頻脈。
次におでこに手を当て、耳の下、首筋の動脈を触る。
(熱は三十九度近くあるわね。でも息苦しさや喘鳴はない。汗をかいて熱がこもり、脱水しかけてる……!)
「冷やしたタオルと、薄い塩分と果汁の入ったぬるま湯を持ってきて! すぐに!」
「は、はいっ!」
私の気迫に押され、侯爵家のメイドが脱兎のごとく部屋を飛び出していく。
「ん……えりあ……のーら……?」
うわ言のように私の名前を呼ぶルシアン。翡翠色の瞳は熱で潤み、いつもの聡明さは影を潜めていた。
前世で無数の患者を診てきた私が、真っ先に察したのは彼の「強がり」だった。
(この子……昨日から熱があったはずだわ。なのに私の前では平気な顔をして、いつものように膝枕してくれてたんだ……)
胸がぎゅっと締め付けられる。
自分を甘やかす天才だと思っていた少年は、私以上に「弱みを見せるのが下手な子供」だったのだ。
「馬鹿ね……熱があるなら『今日は休む』って言いなさいよ……」
戻ってきたメイドからタオルを受け取り、ルシアンの首筋と脇の下を的確に冷やす。
氷を直接当てるのは刺激が強すぎる。タオルを絞り直しながら、ぬるま湯をスプーンで少しずつ彼の口元へ運ぶ。
「……呑める? 焦らなくていいから、ゆっくりね」
前世で何人の子供や患者にやってきたか分からない、優しく手慣れた看病。
ルシアンは喉をゴクリと鳴らし、微かに目を開けた。
「……ごめんね……僕が甘やかしてあげる側なのに……こんなださい姿……見せちゃって……」
弱々しくつぶやく彼の手を、私は両手で包み込んだ。
小さくて、熱くて、少しだけ震えている手。
「ださくなんてないわよ。……ねえ、ルシアン。前世の……ううん、昔の私ね、ずっと誰かを看病したり、お世話したりする側だったの。自分の熱なんて隠して働くのが当たり前だった」
「……うん……」
「だからね、分かるの。人に弱みを見せるのって、すごく怖いよね。……でもね、私の前では完璧でいなくていいの。熱が出たら泣いていいし、辛いなら甘えていいのよ」
そう言って笑うと、ルシアンの翡翠色の瞳から、ぽろりと大きな涙がこぼれ落ちた。
「……うん……ツラい……頭が痛いよ、エリアノーラ……」
「はいはい、分かってるわ。痛いの痛いの、飛んでいけー……なんてね。治癒魔法、少しだけ流すからね」
前世の知識で「脳の炎症を鎮め、自律神経を整える」イメージを浮かべながら、優しく魔力を流し込む。
私の手が彼の額を撫でるたび、ルシアンの荒かった呼吸がしだいに整っていった。
「……エリアノーラの手、すごく冷たくて気持ちいい……」
「いつでも冷やしてあげるわよ。だから、早く良くなりなさい」
「……治ったら……また僕の膝の上で……だらけてくれる……?」
「当たり前でしょ。あなたが治るまで、私がここで『手動の氷のう』になってあげるわ」
ルシアンは安心したように小さく微笑むと、私の手を握りしめたまま、すーすーと穏やかな寝息を立て始めた。
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数日後。すっかり熱が下がり、元気にアークライト公爵家へやってきたルシアンは――
「エリアノーラ! 体調完璧だよ! さあ、遠慮なく僕の膝の上でゴロゴロして!」
「……ルシアン、復活早々距離感が近くない?」
「だって、病気の時に『完璧じゃなくていい、甘えていい』って言ってくれたじゃない! だから僕は決めたんだ。これからはエリアノーラを甘やかすのと同時に、僕も全力でエリアノーラに甘えることにする!」
そう宣言したルシアンは、私の隠れ家ベンチで私の隣にぴったりと密着し、頭を私の肩に預けてきた。
「……ちょっと、重いんだけど」
「いいでしょ? 完璧じゃない僕でもいいってエリアノーラが言ったんだよ?」
「……まったく、調子の良い子ね……」
文句を言いながらも、私は彼の柔らかい銀髪を優しく撫でてあげる。
前世では「誰かのために頑張ること」が苦しかった。
けれど、こうして誰かを看病し、互いに甘え合える関係は、悪くないかもしれない。
(まあ、結局私はだらけたいんだけどね!)
秋の心地よい風が吹く隠れ家で、私たちは互いの体温を感じながら、ゆっくりとまどろみの中へ落ちていったのだった。




