職業病の薬は甘やかしの天才
「……まあ! なんて素晴らしい魔法の精度でしょう! 傷口が痕形もなく塞がっていくわ……!」
「さすがアークライト公爵家のご令嬢様だ! まだ七歳だというのに、なんというお優しい聖女様のようなお方……!」
領地で開かれたささやかなバザーの片隅で、私は周囲からの熱い視線と称賛を浴びながら、心の中で血の涙を流していた。
(や……やってしまったぁぁぁぁぁっ!!!)
違うのだ。私はただ、領民の屋台で売られていた安くて美味しい焼き菓子を買って、ベンチでポコポコと口に放り込みながら怠惰を満満喫したかっただけなのだ。
それなのに、目と鼻の先で木箱を運んでいたおじさんが盛大に転倒。破裂した木箱の破片で足に深い切り傷を負い、大量出血を起こした。
周囲の人間が「大変だ! 治癒術師を呼べ!」「いや、まずは傷口を縛れ!」とパニックになり、見当違いの応急手当(汚れた布で傷口を強く擦ろうとするなど)を始めかけた瞬間――
前世で三十年以上叩き込まれた「元看護師の救命プロ意識」が、思考より先に身体を動かしてしまった。
『そこ、触らないで! 清潔な水を持ってきて! 傷口を洗い流すのが先!』
『あなた、その布で傷口の数センチ上を圧迫止血して! 急いで!』
『大丈夫ですよ、すぐ痛みを和らげますからね。深呼吸して、吐いてー、吸ってー』
的確すぎる指示出しとトリアージ。パニックを起こす患者への完璧なメンタルケア。
さらには、前世の解剖生理学の知識(血管や細胞の構造イメージ)を応用し、必要最小限の魔力で血管の縫合と皮膚の再生を完璧に行う精密治癒魔法。
気づいた時には、傷口は綺麗に塞がり、おじさんは感動の涙を流し、周囲は「神の御使いだ!」と大喝采の嵐であった。
(終わった……私の『目立たず静かに暮らす怠惰計画』が完全に終わった……! これで『治癒の神童』とか噂されたら、次から次に怪我人が押し寄せて毎日のんびり寝てられなくなるじゃないのよぉぉぉっ!)
引きつった「完璧な公爵令嬢の微笑み」を貼り付けたまま、私は心の中で頭を抱えてのたうち回っていた。
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「――ふぅ……」
お屋敷に戻る馬車の中。
使用人たちの手前、優雅に車窓を眺める振りをしていた私だったが、馬車がガタリと揺れた瞬間、隣に座っていたルシアンがそっと手動の遮光カーテンを閉めてくれた。
「……アンナさんたち、ちょっと御者席の方に話に行ってくれる? エリアノーラと二人で話したいんだ」
ルシアンが声をかけると、アンナたちは「まあ、ルシアン様たら」と微笑ましく目配せし合い、外へと退室してくれた。
馬車の中が、二人きりの完全な密室になる。
次の瞬間、私の「完璧な公爵令嬢」の仮面がガラガラと崩れ落ちた。
「うあぁぁぁぁん……! ルシアン助けてぇ……! またやっちゃった……手が勝手に動いちゃったのよぉぉ……!」
私はドレスのシワも気にせず、座席の上で膝を抱えて丸くなり、ルシアンの腰あたりにゴツンと額を押し付けた。前世の夜勤で急患が重なりまくった後のような、魂が口から抜けかけた脱力感。
「あーあ、やっぱり」
ルシアンは呆れたような、でもどこか愛おしくてたまらないといった顔でくすっと笑うと、私の背中を優しく撫でてくれた。
「見てたよ。君、すごく嫌そうな顔しながらも、真っ先に走っていったでしょ。『面倒くさい』って全身で叫んでるのに、身体は一番テキパキ動いてさ。本当に損な性格だよね」
「うぐぐ……だって……手際が悪い手当て見てたらイライラしちゃうし……助かる傷で人が苦しんでるの見たら、体が勝手に……! 前世の……じゃなくて、三つ子の魂百までなのよぉ……」
「ふふ、よく分からないけどいいんじゃない? 誰かを助けちゃう優しいエリアノーラも、その後に『目立っちゃった、最悪!』って僕に泣きついてだらけるエリアノーラも、どっちも可愛いよ」
ルシアンは座席の上で丸まる私の頭をすっぽりと抱え込み、自分の膝の上に誘導した。
「ほら、おいで。誰も見てないから、ここで思いっきりぐったりしなよ」
「……ルシアン……」
すっと差し出された、いつもの「極上の膝枕」。
彼の細い指が、私の頭皮を心地よい力加減で揉みほぐしてくれる。前世では他人のケアばかりで、自分が「お手当」されることなんて一度もなかったのに。この少年は、私の気疲れも、嫌々頑張ってしまう損くじ体質もすべて分かった上で、完璧な甘やかしを提供してくれるのだ。
「あのね、ルシアン……私、治癒の聖女様なんて呼ばれて働かされるの、絶対に嫌だからね……」
「分かってるよ。父様と公爵様に頼んで、今日の件は『たまたま持っていた高級な治癒ポーションを使っただけ』ってことに揉み消してもらうよう手配しておいたから」
「えっ!? 本当!?」
私がガバッと顔を上げると、ルシアンはいたずらっぽく微笑んで、私の額を指でつついた。
「本当だよ。君の『究極のニート生活』を守るためだもん、それくらい朝飯前さ。……だから安心して、僕の膝の上でゴロゴロしてて」
「ルシアン……! あなた天才……! 一生ついていくわ……!」
「一生?そうだね。僕のお嫁さんになってずっと僕の膝の上でだらけてくれていいんだよ?」
さらりと恐ろしいプロポーズ(仮)を口にする九歳児。
だが、前世の過酷な看護現場と家庭の責任を背負い抜き、今世では「気疲れ」と「手放しの甘やかされ」の狭間で脳が溶けている元59歳の私は、肉体の年齢に引っ張られる精神の影響もあり、彼の恐ろしい策士ぶりにまったく気づいていなかった。
「もう……お嫁さんでも何でもなるから、今は頭撫でて……」
「ふふ、はいはい。おやすみ、僕の可愛い干物姫様」
馬車の心地よい揺れと、ルシアンの温かい手つき。
街での「神童騒ぎ」の疲れも吹き飛び、私は彼の上で完全に脱力し、幸せな二度寝へと落ちていくのだった。




