「完璧な天使」の裏側
「お嬢様、本日のドレスとお茶の準備が整いました」
「ありがとう。いつも素敵な準備、感謝するわ」
六歳になった私――エリアノーラは、背筋をピンと伸ばし、完璧な角度の微笑みをメイドに向けた。
前世で三十年以上培った「模範的な大人」の動きは伊達ではない。立ち振る舞いは優雅そのもの。言葉遣いも品格に満ち、使用人への気配りも忘れない。
(ふぅ……今日も完璧な公爵令嬢の猫がかぶれたわ! これで余計な気を使わず次の仕事に行ってくれれば……!)
私としては、前世の「患者さんや後輩に不安を与えないためのプロの振る舞い」を全開にしているつもりだった。使用人の手を煩わせず、気を遣わせないための、私なりの「元大人の気配り」なのだ。
だが、私が「完璧に隠し通せている」と思っているその裏で――
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同時刻。公爵家のサロンでは、父であるアークライト公爵と母、そしてメイド長のアンナが、温かい眼差しで水晶鏡の映像を囲んでいた。
「見てちょうだい、あなた……! 今朝もエリアノーラは、メイドに気を使って背筋をピーンと伸ばして『完璧なお嬢様』を演じているわ……!」
「あぁ、愛おしすぎる……! 幼いなりに我々に気を遣い、手際よく優雅に振る舞おうとするあの健気さ……! 一体どこで覚えたのだ、あの大人びた気配りは」
母はハンカチを口元に当てて感動の涙を浮かべ、父は胸を押さえて身悶えしていた。
二人の前で控えるアンナも、目元を和ませて深く頷く。
「はい、旦那様。お嬢様は私どもの視線を感じると、一生懸命『しっかりした公爵令嬢』になろうとされるのです。私どもに心配をかけまいとするそのお心が、あまりにも健気で……」
「だがな、アンナ。……“例の場所”の映像に切り替えてくれ」
父がゴホンと咳払いをして指を振ると、水晶鏡の映像が庭園の奥深く――あのガジュマルの木の陰にある小さな隠れ家へと切り替わった。
そこには、メイドが下がったのを確認するや否や、ダッシュで隠れ家に飛び込み、ドレスの裾も気にせずベンチに「ぐにゃり」と倒れ込むエリアノーラの姿が映し出されていた。
『ふあぁぁぁ……! 今日も乗り切ったぁぁ……腰が重い……肩が凝る……ゴロゴロ万歳……』
前世の夜勤明けのようなボヤキを漏らし、クッションに顔を埋めて丸くなるエリアノーラ。
そのあまりのギャップと、誰の目もない場所で見せる究極の干物ぶりに、公爵夫妻と使用人たちは一斉に吐血しそうなほどの悶絶に襲われた。
「「「愛おしいっ……!!!!」」」
「見なさい、あの丸まり方! まるで子猫のようだわ!」
「我々の前では『完璧な天使』であろうと背伸びし、誰もいない場所ではあのように全身の力を抜いてだらける……! どちらのエリアノーラも尊すぎる……!」
「お嬢様は『自分一人で隠れている』とお思いですが、あの場所の警備魔法は私が完璧に固めております。あのだらけきった無防備なお姿を守ることこそ、我ら使用人の最大の使命……!」
そうなのだ。あのエリアノーラの秘密基地は公爵家の人々がエリアノーラだけの為に準備され、日々整えられた場所なのだ。ベンチもクッションも最高級品。そして、あの空間の気温湿度、紫外線すら魔法で制御され、もちろん警備魔法も完璧。エリアノーラの「秘密の干物タイム」は極秘裏に、公爵家総出で、全力で温かく見守られていたのだった。
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そんな公爵家の温かな(?)見守りを知る由もない私は、今日も隠れ家のベンチで全身の力を抜ききっていた。
(あぁ……生き返るわ……。やっぱり誰の視線もない場所でダラダラするのが一番の毒消しね……)
ふかふかのクッションに頬を寄せ、まどろみかけたその時。
カサリ、と草むらが揺れて、翡翠色の目をした少年――ルシアンが顔を出した。
「やあ、エリアノーラ。今日もいいだらけっぷりだね」
「……あ、ルシアン」
普通なら、他人にこんなだらしない姿を見られたら跳ね起きるところだ。
だが、出会ったあの日以来、ルシアンだけは違った。彼は私がどれだけ気を使っているかを見抜き、さらにこのダラけた姿を見せても絶対に咎めず、むしろ全肯定してくれるのだ。
「公爵様たちから『ルシアンくん、今日もエリアノーラの手動日よけになってあげてね』って頼まれてさ。はい、膝枕」
「……お父様たちが? なんでルシアンがここに来ること知ってるのよ……」
首をかしげつつも、私は抵抗するのを諦めて、ルシアンの膝の上に頭を預けた。
前世では他人のケアばかりで、誰かに甘えるなんて発想すらなかったけれど、ルシアンの膝の上だけは別だった。彼の小さな手が私の髪をサラサラと撫でてくれると、前世からずっと身体の奥に残っていた「ピンと張り詰めた疲れ」が、スーッと溶けていくのだ。
「……んー……ルシアンの手、あったかい……」
「ふふ、でしょ? 君がどれだけ屋敷で完璧に振る舞っていたとしてもね、僕の前ではずっとそうやって脱力しててよ」
「……脱力じゃなくて……これは高度な休息なの……」
「はいはい。お休み、僕の可愛い干物姫様」
頭の上から聞こえる優しい声と、心地よい日差し。
私はルシアンの膝の上で、今度こそ完璧な二度寝へと落ちていった。
(……まぁいいわ。屋敷では完璧なお嬢様、ここでは究極の干物。このメリハリこそが、二度目の人生を生き抜くコツよ……!)
自分が完全に手のひらの上で転がされ、両親にもルシアンにも「可愛すぎる干物ちゃん」として愛でられていることに、エリアノーラが気づくのは、まだずっと先のお話である。




