公爵令嬢はツラいよ
産まれたて怒涛の絶望から、あっという間に五年が過ぎた。
五歳になった私は、切実に「究極のニート」を目指して奮闘していた。……が、その道は想像以上に険しかった。
(だ、ダメよエリアノーラ……! 今、まだアンナが見ているわ。背中を丸めてソファに寝そべったら、お茶を運んでくれたアンナに『お行儀が……』って困り顔をさせてしまう……! あーーーもう!1人になりたい!!おひとりさま最高!!!公爵令嬢に自由を!!!)
前世は看護師。周囲に気を配り、患者や家族の視線を浴びながら「完璧なプロ」として三十年以上働き詰めだった私である。
染み付きすぎた「日本人特有の気遣い」と「真面目な貧乏性」のせいで、メイドや使用人の視線を感じると、無意識に背筋がピンと伸び、優雅で完璧な公爵令嬢を演じてしまうのだ。
結果、お屋敷での私は「弱冠五歳にして隙のない完璧な天使」として使用人たちから崇め奉られるハメになっていた。
(ちがうの……! 私は気を使いすぎて部屋でゴロゴロできないだけなのよ……!なんでいつも誰かしらが傍にいるのよ……公爵家人多すぎ!)
そんな私の唯一の救いが、屋敷の広大な庭園のすみっこ、誰もめったに来ない大きなガジュマルの木の陰にある「隠れ家」だった。
背の高い茂みに囲まれたその小さなベンチだけが、誰の視線も届かない、私が唯一「ただの干物女」に戻れる聖域だった。
「ふあぁぁぁ……疲れたぁぁ……」
誰の目もないことを徹底的に確認し、私はドレスの裾も気にせずベンチに思い切り倒れ込んだ。
お行儀良く伸ばしていた背骨を丸め、前世の夜勤明けのように「あー、腰が痛い……肩が凝る……」と心の中でボヤきながら、ふかふかのクッションに顔を埋める。
一人でいられる、この短い時間だけが私の命の洗濯だ。
膝を抱えて丸くなり、ぽかぽかの日差しを浴びながら、私は深く息を吐き出した。
(あぁ……極楽。誰にも気を使わないでいい……。このまま木彫りの置物になって、一生ここでゴロゴロしていたい……)
まぶたが重くなり、心地よい眠りの波が押し寄せてきた、その時だった。
「――ねぇ、君。そんなところで寝てたら、風邪ひくよ」
頭の上から、優しげな、けれどどこかすっと通った少年の声が降ってきた。
(……!!?)
一瞬で全身の血が引いた。
前世の夜勤中、心肺停止のナースコールが鳴った時並みの反射速度で、私はガバッと跳ね起きた。
「失礼いたしました! 私としたことが、このような場所でうたた寝をしてしまうなんて――」
長年叩き込まれた「完璧な愛想笑い」と「模範的な姿勢」をコンマ一秒でセットし、声の主を見上げる。
そこに立っていたのは、光を溶かしたような綺麗な銀髪と、透き通った翡翠色の目をした少年だった。
歳の頃は私より二つほど上、七歳くらいだろうか。仕立ての良い服を着た、いかにも「異世界の美少年」といった風貌の彼が、不思議そうに私を見下ろしている。
(やばいやばいやばい! 見られた!? 倒れ込んで『ふあぁぁ』って言ってたところ見られた!? 近所の侯爵家の跡取り・ルシアン様よね!? 公爵家の面目が!!魔法が使えるなる記憶から抹消したい……公爵家のお抱えの魔法使いならワンチャンいけるんじゃ……)
冷や汗をダラダラ流しながら完璧なお辞儀をしようとした私に、ルシアン少年は首をかしげた。
「……無理しなくていいのに。さっきまで、すごく気持ちよさそうに丸まってたでしょ」
「えっ」
「僕が見えた瞬間、急にロボットみたいにカチコチになって……。君、お屋敷でもずっとそうやって気を使ってるの?」
(……なっ!?)
ズバリと核心を突かれ、私は言葉を詰まらせた。
幼子なら絶対に気づかない、私が隠し続けてきた「大人としての過剰な気遣い」と「取り繕った完璧さ」を、この少年はあっさりと見抜いてしまったのだ。
「誰もいない時くらい、だらければいいのに。……君、なんかすごく『疲れてる大人』みたいな顔をしてるよ」
「そ、そんなことは……私はアークライト公爵家の令嬢として――」
「はいはい。公爵令嬢様、お疲れ様」
言いかけた私の言葉を遮り、ルシアンはトコトコと近づくと、私の隣のベンチにちょこんと腰掛けた。
そして、自分の膝をぽんぽんと叩く。
「ここ、誰も来ない隠れ家でしょ? 僕以外には内緒にしてあげるから、またさっきみたいに丸くなりなよ。日よけになってあげるから」
「……はい?」
「君、いつも誰かの目を気にして背筋伸ばしてるんでしょ。ここでは僕に気を使わなくていいよ。……はい、膝枕」
(な、なんですって……!?)
天使のような微笑みを浮かべる七歳児は、私の「隠れズボラ」も「気遣い疲れ」も全て包み込んだ上で、全力でだらける場所を提供しようとしてきている。
前世で「看護師さん!」「お母さん!」と頼られ続け、周りに気を使ってばかりで、誰も「休んでいいよ」と言ってくれなかった五十九年間。
それなのに、出会って数分のこの少年は、私の「気疲れ」を簡単に見抜き、手放しで甘えさせてくれようとしているのだ。
「……僕の前では、一番気の抜けた姿でだらけていいからね」
くすっと笑いながら、彼が私の目元に落ちる日差しを小さな手で優しく遮ってくれる。
その手の温もりが、前世からずっと張り詰めていた私の肩の力を、じわじわと溶かしていく。
(危険だわ……!なんで泣きそうなの? 使用人の前でもだらけられない私が、この子の前でだけは『究極の干物女』になっちゃう……!!)
「……後で後悔しても知らないんだから……」
「ふふ、後悔なんてしないよ。……おやすみ、エリアノーラ」
抗いきれない安らぎに包まれて、私の意識はあっという間に深い眠りへと落ちていった。
これが、他人の視線から逃れられない私を、唯一「ただの自分」に戻して甘やかしてくれる幼なじみ・ルシアンとの出会いだった。




