特別編:干物姫を護る騎士たちの暗躍
それは、二人が結婚を迎える二年前――エリアノーラがまだ十四歳の頃に起きた、最大の「危機」……になるはずだった物語である。
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【アークライト公爵家・執務室】
「……で、王太子殿下が我が娘エリアノーラを第一妃候補に迎えたい、と?」
重厚な執務机の前に佇むアークライト公爵の顔から、一切の感情が消え去っていた。
氷点下を遥かに下回る温度の眼差しで、突きつけられた一枚の親書を睨みつけている。
理由なら分かっていた。
エリアノーラ本人は「超目立たないように地味なお嬢様」を演じていたつもりだったが、持ち前の美貌と、怪我人や病人を見過ごせない元看護師としての「咄嗟の洗練された立ち振る舞い」は、隠しきれるものではなかったのだ。
先日、王宮で開催された茶会の席。
階段でドレスの裾を踏んで転倒しかけた幼い王女を、エリアノーラは前世の夜勤で鍛えた脅威の反射神経で完璧にキャッチし、パニックを起こす王女に「大丈夫ですよ、深呼吸しましょうね」と完璧なメンタルケアを施した。
その姿を目撃した第二王子である王太子が、エリアノーラの可憐な美しさと異常なまでの包容力・気品に一目惚れしてしまったのである。
「冗談ではないぞ」
公爵は静かに親書を破り捨てた。
「あの可憐で愛らしいエリアノーラが、陰謀渦巻く王宮などで耐えられるはずがない! 誰もいない庭園で『ふあぁぁ……腰が重い……』と丸くなって寝ているあの天使のような時間を、王室の義務などで奪われてたまるか!!」
「まったくもって同感です、公爵様」
部屋の影から静かに歩み出たのは、十六歳になったルシアンだった。
その翡翠色の瞳には、冷酷で底知れない闇が揺らめいている。
「王太子の求婚を受け入れれば、エリアノーラは一生『完璧な妃』であることを強要され、二度と膝枕でだらだらと二度寝をすることもできなくなる。……そんな不幸、僕が絶対に許しません。何よりエリアノーラの婚約者は僕です。」
「ルシアンくん……どうするつもりだ? 王室からの打診を無下に断れば、公爵家としても角が立つ」
ルシアンは優雅に微笑んだ。その笑みは、悪魔すら慄くほど美しく、そして恐ろしかった。
「ご安心ください。エリアノーラが気付く前に、『存在しなかったこと』にいたします。侯爵家を舐めたこと、目にもの見せてやりましょう。」
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ここからのルシアンと公爵家の動きは、まさに迅速かつ苛烈極まるものだった。
まずルシアンは、自らの侯爵家が持つ財力と情報網をフル活用。
王太子が極秘裏に進めていた「エリアノーラへの求婚計画」のルートを完全に特定すると、王太子の側近や派閥の貴族たちへ過剰なまでの経済的圧力をかけ始めた。
さらに、公爵家が持つ国家の兵糧・物流の権力をチラつかせ、王室の会計監査に「異議」を申し立てる。
『王太子殿下、大変です! 我が派閥の主要事業がアークライト公爵家と侯爵家によって次々と買収されております!』
『王宮の来年度予算案に対し、公爵家から厳重な見直しの要求が……! これ以上エリアノーラ様への求婚を強行すれば、我が派閥は破産いたします!』
さらにルシアンは、王太子の「ライバル」である第一王子派閥へ極秘裏に多額の資金援助を実施。
王太子がエリアノーラへプロポーズするための「ロマンチックな夜会」を企画するたび、第一王子派閥が政治的スキャンダルを爆撃して企画を完膚なきまでに叩き潰した。
王太子が「エリアノーラ嬢に花束を」と特注のバラを手配すれば、ルシアンがその花屋ごと買い取って出荷を停止させた。
王太子が「エリアノーラ嬢と二人きりでお茶会を」と招待状を送ろうとすれば、公爵が王室の外交問題を理由に王太子のスケジュールを数か月先までギチギチに埋め尽くした。
権力、財力、そして政治的陰謀。
持てる全ての武器を惜しげもなく投入し、彼らはわずか一月足らずで王太子の求婚意欲を物理的・精神的・経済的に粉砕したのだった。
最終的に、胃潰瘍になりかけた第二王子は「自分には公爵令嬢を迎える器がない……」と涙を流して辞退。
王室からの親書は、エリアノーラの目に触れることすらなく歴史の闇へと葬り去られたのである。
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【アークライト公爵家・隠れ家】
そんな「国家規模の裏工作」が繰り広げられていたとは露知らず。
当のエリアノーラは、秋晴れの隠れ家ベンチで、ふかふかのクッションに顔を埋めてグーグーと平和なイビキ(本人は天使の寝息だと思っている)をかいていた。
「……ん……ふあぁぁぁ……よく寝たぁ……」
むくっと起き上がり、ドレスのシワを手で適当に伸ばすエリアノーラ。
「あー、平和ねぇ……。やっぱりこの屋敷は静かで最高だわ。王宮なんて、二度と行きたくないわね」
クッキーをポリポリとかじっていると、草むらを分けてルシアンが現れた。
その表情は、先ほどまで王室を追い詰めていた冷酷な暗躍者とは思えないほど、穏やかで甘い微笑みに満ちている。
「やあ、エリアノーラ。よく眠れたかい?」
「ルシアン! うん、最高にだらだらできたわ。ねえ知ってる?最近なんだか王宮の方がバタバタしてて忙しいみたいよ? お父様が『王室も大変だなあ』って遠い目をしてたわ」
「ふふ、そうだね。王太子殿下が急に政治の勉強に目覚めて、毎日徹夜で書類仕事をしておられるそうだよ」
「へえー、偉いわねぇ。私は絶対そんな苦労したくないわ。一生このままゴロゴロしていたいもの」
エリアノーラは心底心底心底、他人事のように頷いた。
ルシアンは可憐な彼女の隣に腰かけると、愛おしくてたまらないといった様子で彼女の体を抱き寄せ、自分の膝の上へと滑り込ませた。
「大丈夫だよ。君がそんな苦労をする必要なんて、どこにもないからね」
「ん……やっぱりルシアンの膝の上が一番だわ……」
「そうでしょう? ……ねえ、エリアノーラ」
ルシアンは彼女の髪にそっと触れ、翡翠色の瞳を妖しく光らせた。
「君を邪魔するものは、僕が全部消してあげるからね。……君はただ、僕の腕の中でずっとだらけていればいいんだよ」
「……? うん、よく分からないけどよろしくねー」
自分の知らないところで王室の思惑が一瞬で潰され、己のニート生活が国家レベルの暗躍によって守られたことなど微塵も気づかず。
エリアノーラはルシアンの膝の上で「あー、極楽極楽」と幸せそうに目を閉じ、再び快適な二度寝へと落ちていくのだった。




