SS:誰よりも甘やかしたいし、僕だけが甘やかしたい
「ルシアン様、また奥様が……」
執務室の扉を申し訳なさそうに叩いた執事の表情を見て、僕は思わずくすりと笑ってしまった。
「今日は何をしたの? 庭師の次はなんだろうね?」
「はい……。使用人たちの裁縫室の採光と椅子の高さが合っておらず、肩こりと腰痛で作業効率が落ちていると見抜かれまして。『この角度だと暗くて目が疲れるわ! 椅子も脚が浮いてるから骨盤が傾くのよ!』と、手際よく模様替えと家具の入れ替えの指示を出されておりました……」
「あはは、やっぱり」
執事は困惑半分、感動半分といった顔で深々と頭を下げた。
「おかげさまで裁縫室の作業効率は跳ね上がり、使用人たちは『奥様は神様のようなお方だ』と感涙しております。……ですが、奥様本人は『これで私のドレスのお直しが早くなるわ! 究極の効率化よ!』と、ドヤ顔で寝室へ戻られました……」
「うん、すごく彼女らしいね。ありがとう、下がっていいよ」
執事を退出させた後、僕はペンを置き、そっと窓の外へ視線を向けた。
テラスの大きなソファで、陽だまりに包まれながらクッキーを頬張り、幸せそうにうとうとしている僕の可愛いお嫁さん――エリアノーラ。
彼女はいつだって「私は絶対に働かない」「目指せ究極のニート」と口にしている。
前世という場所で、どれほど過酷な責任と疲労を背負ってきたのか。僕の前でだらりと力を抜き、膝の上で「頭を撫でて」と甘えてくる姿を見るたび、僕は胸が締め付けられるほどの愛おしさと同時に、「一生この子を甘やかして守り抜く」と心に誓うのだ。
……けれど。
(本当に、君という人は……損な性分だよね)
彼女の本質は、根っからの「世話焼きで、放っておけない人」なのだ。
本人は「自分がだらだら過ごすため」「効率化して早く休むため」と本気で思っているらしい。
けれど、彼女が「チマチマ」と無意識に行う改善や気遣いは、どれも長年の経験と深い優しさに裏打ちされたものばかりだ。
領民の子供が転んで泣いていれば、文句を言いながらも傷口を完璧に消毒してあげる。
厨房のコックが腰を痛めていれば、「料理が遅くなると私が困る」と言いながら、完璧な姿勢指導と回復魔法で痛みを和らげてしまう。
領地の水路の詰まりを見つければ、「臭いがこっちに届くのは嫌」と、誰も気づかなかった構造上の欠陥を一瞬で見抜いて解消させてしまう。
本人は「ニートの自保」だと思っているからタチが悪い。
彼女が小さく動くたびに、周囲の人々は「なんて素晴らしいお方だ」「陰ながら私たちを支えてくださっている」と涙を流し、勝手にエリアノーラ信仰を深めていくのだ。
おかげで、隠れ家だったはずのこの別邸ですら、彼女はすっかり領民と使用人たちから「慈愛の干物姫様」として崇め奉られている。
(困ったな……)
僕は窓辺から離れ、足音を殺してテラスへと向かった。
彼女が周囲から愛され、感謝されるのは誇らしい。
けれど、僕の本音を言えば――
(本当は、僕だけの干物姫にしておきたいのに)
誰の目にも触れない場所で。
僕の腕の中だけで、僕のためだけにだらけて、僕だけに甘えていてほしい。
彼女のその手厳しいけれど温かい優しさも、無意識に振りまくチートな徳積みも、全部僕一人で独占してしまいたいのだ。
「……ん……ルシアン……?」
気配に気づいたエリアノーラが、重そうな瞼をゆっくりと開けた。
口元にクッキーのクズを少しだけつけたまま、ぼんやりと僕を見上げてくる。
「ただいま、エリアノーラ。またみんなを助けちゃったんだって?」
「たすけてない……。ただ、椅子が合わなくて作業が遅いのを見てたらイライラしただけ……。私は……だらけたいだけの……ニート……」
むにゃむにゃと言い訳をしながら、彼女は自然な動作で僕の腰に手を回し、お腹のあたりに顔をうずめてきた。
「はいはい。君は立派なニートだよ」
僕はくすっと笑い、彼女を丸ごと抱き上げてソファに座り直した。
すっぽりと僕の膝の上に収まった小さな身体。クッキーの甘い香りと、日だまりのあたたかい匂い。
「……ねえ、エリアノーラ」
「なぁに……?」
「君がどれだけ『無意識に徳を積んじゃう』としても、僕から逃げられると思わないでね」
「逃げないわよ……ここが一番楽なんだから……」
「よかった。……じゃあ、今日頑張っちゃった分、しっかりお仕置き(甘やかし)をしないとね」
僕は彼女の耳元で低い声を囁き、首筋にそっと唇を寄せた。
エリアノーラは「ん……くすぐったい……」と身をよじりながらも、僕の胸の中にさらに深く潜り込んでくる。
「今日はもう、一歩もこの場所から出さないよ。ご飯も、お風呂も、全部僕がやるから。……君は僕の腕の中で、ただの可愛いお人形になってて」
「ん……望むところよ……」
幸せそうに吐息を漏らし、再びまどろみの中へと落ちていく僕の妻。
どれだけ周囲に徳を積み、どれだけ無意識に人を救ってしまおうと。
この腕の中にいる時間だけは、絶対に誰にも渡さない。
僕は彼女の柔らかい髪に何度もキスを落としながら、世界で一番愛おしい「僕だけの干物姫」を、より強く、逃がさないように抱きしめたのだった。




