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『離婚したので、すべて置いて辺境にきました──夫の浮気も介護も、さよならで!』  作者: 夢窓(ゆめまど)


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介護ふたたび

辺境での暮らしにも、すっかり慣れていた。

家政婦として働きはじめて、二年。


静かな日々に、ナンシーは感謝していた。

朝があり、仕事があり、子どもの笑顔があり、

何事もなく一日が終わる――

それだけで、十分だった。


その穏やかな日が、崩れた。


大きな魔物が現れ、

討伐に出たランドルが、重傷を負ったのだ。


運び込まれたとき、彼は意識を失っていた。

血の気のない顔を見た瞬間、

ナンシーの胸が、ひやりと冷えた。


ランナーは泣いていた。

けれど、ただ泣き叫ぶことはしなかった。

必死に涙をこらえながら、

辺境の人々の手伝いをしていた。


ナンシーはランドルに付き添いながら、

それでも、ランナーの様子をきちんと見ていた。


気丈に。

逃げずに。


ランドルの怪我は深く、

まだ意識は戻らない。


「お体を拭きましょう」


そう言うと、すぐに召使いに、声がかかった。


お湯を用意する者。

着替えを揃える者。

体位を変えるための男たち。

誰もが、当たり前のように動いていた。


ナンシーは、ランドルの容体に気を配りながら、

そっと体を拭いていく。


そのとき、ふと、思った。


――あれ?


前に介護していた頃と、

あまりにも、違う。


お湯は、もうそこにある。

布をお湯につけて、絞ってくれる侍女もいる。

重い桶を運ぶ必要はない。

着替えも揃っている。

体を動かすときも、支えてくれる手がある。


拭き終えたあと、

誰かが自然に片付けを始めていた。


(……こんなにも、楽なの……?)


前は、すべて一人だった。


お湯を沸かし、

部屋まで運び、

着替えを用意し、

寝たきりの体を無理に動かし、

拭いて、片付けて、掃除まで。


誰も、手伝ってはくれなかった。


今は、違う。


誰かが、さっと動いてくれる。

当たり前のように。


ナンシーは、ランドルに触れない距離を保ちながら、

その光景を見つめていた。


(……同じ“介護”なのに)


胸の奥で、静かに何かがほどける。


一人で背負う必要は、なかったのだと。

助けを受けても、よかったのだと。


ナンシーは、静かに息を整えた。


ランドルが目を覚ますまで、

自分は、ここにいる。


今度は――

独りではない。


ランドルの怪我は、かなりひどかった。

だが――命に別状はない。


医師のその一言を聞いた瞬間、

ナンシーは、胸の奥からゆっくり力が抜けていくのを感じた。


死なない。

助かる。


それだけで、十分だった。


治療は長くなる。

動けるようになるまで、時間もかかる。

けれど、最悪ではない。


「介護は、ひとりで抱え込むものじゃありません」


専門の医師は、穏やかな声でそう言った。


「見守る者、体を動かす者、記録を取る者。

役割を分けてください。

疲れたら、必ず交代を」


誰もが頷いた。

誰も、反論しない。


ナンシーは、その様子を見ながら、

静かに気づいていた。


――ああ、そうなんだ。


介護は、

我慢でも、忍耐でも、犠牲でもない。


みんなで分けるものなのだ。


誰かが水を替え、

誰かが傷の様子を見て、

誰かがランナーの相手をする。


必要なことは、自然に分散されていく。


ナンシーは、ランドルのそばにいながら、

無理に全部を背負おうとはしなかった。


手が足りないときは、声をかける。

疲れたときは、少し席を外す。


それを、誰も責めない。


(……助けてもらって、いいのね)


それは、逃げではなかった。

甘えでもなかった。


生きるための、当たり前のやり方だった。


しばらくして――

ランドルの指が、わずかに動いた。


「……」


薄く、目が開く。


「ランドル様……」


ナンシーは、思わず身を乗り出す。


その横で、ランナーも顔を近づけた。


「とーさま……?」


小さな声だった。


ランドルは、ゆっくりと瞬きをして、

二人を見た。


まだ、声は出ない。

けれど、確かに――

そこに、意識が戻っている。


ナンシーは、そっと声をかけた。


「大丈夫です。

ここにいますよ」


ランナーも、こくりと頷く。


「ぼくも……ここ」


ランドルの目が、かすかに緩んだ。


その光景を見て、

ナンシーは思った。


守るのは、ひとりじゃない。

支えるのも、ひとりじゃない。


今は――

一緒に、ここにいればいい。




「はい……あーん、してください」


「……すみません」


「ふふ。照れないでくださいな。

照れられると、恥ずかしいのは、こちらですわ」


ナンシーは匙を差し出しながら、くすりと笑った。


「命に関わる怪我ですもの。

もう少しだけ、我慢してください」


ランドルは視線を逸らし、小さく息を吐いた。


「……介護させてしまって、申し訳ないですね」


「いいえ」


ナンシーは首を振る。


「私、気づいたのです。

以前、介護していたときは……ひとりで頑張りすぎていました」


湯を運び、着替えを用意し、片づけまで全部ひとりで。

誰も手伝わず、誰も見ていなかった日々。


「今は、皆さんが手を貸してくださいます。

だからこれは“背負っている”のではなくて……

“させてもらっている”のだと、思えるのです」


ナンシーは少しだけ言葉を選んでから、続けた。


「それに……好きな方の介護を、

誰かに渡したくないと思うのは……迷惑でしょうか?」


ランドルが、驚いたように目を瞬かせる。


ナンシーは、静かに微笑んだ。


「あなたが倒れて、死ぬかもしれないと聞いたとき……

その時に、やっと気づきました」


声は震えていない。

けれど、まっすぐだった。


「あなたがいなくなると思ったら……

私、自分の気持ちから、逃げられなかったのです」


部屋の中に、静かな呼吸だけが残る。


介護の時間は、

いつの間にか、ナンシーのご褒美の時間に変わっていた。

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