【第百六十七話】闘将達の饗宴
217年晩春 司隷河南尹・新鄭
関中より届いた急報が新鄭の政庁を駆け巡っていた。
「馬超、韓遂率いる関中連合軍兵十万!長安に向けて進軍を開始」
「現在、徐晃将軍がこれを迎撃するため眉県へ出陣!援軍を急ぎ送られたし、とのことです!」
次々ともたらされる報告に軍議の間には緊張が走っていた。
孫堅は地図の上に視線を落とす。
眉県。
敵は西から十万。
対する長安の徐晃の兵は五万。
このままでは長安軍が持ちこたえられる保証はない。
孫堅は地図より顔を上げ、軍議に集まった緒将を見渡す。
「……急ぎ、援軍を送らねば。趙儼、直ちに動かせる軍は如何程だ?」
「はっ!此度の馬騰軍の攻撃による新鄭の被害は甚大であり、その復興に大半の兵が対応しているため、急ぎ編成出来るのは殿の近衛一万程かと」
「では新鄭復興にあたっている兵達に召集をかけてくれ!張遼、甘寧!」
二人の将が前へ進み出る。
『はっ!』
「お前たちに近衛一万を預ける。」
孫堅は地図上の長安を指した。
「先鋒として長安へ向かえ。徐晃を助け、関中の敵を牽制するのだ。俺も急ぎ兵を編成して向かう。ただし、無理はするな。衆寡敵せずと思えば長安は捨てろ!」
二人は深々と頭を下げる。
『承知!』
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近衛兵と共に出陣する傍らで甘寧が不敵な笑みを浮かべていた。
「関中連合軍が敵か……なるほど、これは面白くなってきた!」
甘寧は肩を鳴らす。
「錦馬超と名高い漢。是非刃を交えてみたいものだ」
張遼が呆れたように横目で見る。
「甘寧」
「何だ?」
「敵は十万だぞ」
「だからこそだ」
「……戦を楽しむな」
張遼はたしなめるように言った。
しかし、その張遼の顔にも隠し切れないものがあった。
大軍、そしてそれを率いる勇将との戦。
張遼自身もまた、武人としてその戦場に立つことに心踊るところがあった。
甘寧がそれを見逃すはずもなかった。
「張遼」
「何だ」
「お前も嬉しいのだろう?」
「……くだらぬことを言うな」
そう言いながらも張遼の口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
甘寧は豪快に笑う。
「ならば話は早い!行くぞ、張遼!」
張遼は馬腹を蹴り、歩みを進める。
「甘寧。貴様こそ遅れるなよ」
「誰に言っている!」
二人を先頭に一万の鄭軍が新鄭を出発する。
長安へ、仲間を救うため。
そして、迫り来る十万の大軍を迎え撃つために。
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司隷右扶風・眉県
鄭軍と関中連合軍の激戦が続く中、戦場の西方から新たな軍勢が姿を現した。
楚軍、曹洪率いる五万の兵である。
大量の旗が風にはためき、甲冑の波が地平線を埋め尽くしていく。
やがて楚軍は関中連合軍の陣へ入り、両軍は合流した。
馬超は遠くからその様子を眺めていた。
「……曹操め」
その声音には明らかな不快感が滲んでいた。
「父の弔い合戦に横から兵を差し向けるとは」
隣にいた韓遂が苦笑する。
「馬超」
「何だ!」
「五万の援軍を横槍と見るか、孫堅を討つための力と見るか。おまえの器量次第よ」
そこへ曹洪が近づいてきた。
「馬超殿」
馬超が振り返る。
「何だ!」
曹洪は馬超の不機嫌そうな顔を見て眉をひそめる。
「我ら楚軍は貴殿の戦に割り込むために来たのではない。共に鄭を討つために来た」
「ならば我らの邪魔はするな!」
馬超の声が低くなる。
あまりな物言いに曹洪の表情も険しくなる。
「我らとて貴殿の配下ではない!命令される覚えはないわ!」
二人の間に張り詰めた空気が流れた。
その間へ韓遂が入る。
「二人ともやめよ」
穏やかな声音だった。
「我らの敵は目の前にいる。ここで互いに牙を剥いて何になる」
韓遂は馬超と曹洪を交互に見た。
しばしの沈黙。
やがて馬超が鼻を鳴らす。
「……分かっている。今は鄭軍を倒すことだけを考える」
曹洪も頷いたのを見て韓遂は満足げに微笑む。
「それでよい。これ程の大戦は中々経験できぬ。各々存分に楽しむことじゃ」
こうして、決して一枚岩とは言えぬ二軍はひとまず同じ敵へ向けて刃を揃えることとなった。
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足並みは揃わぬ軍ではあったが、その数の力は圧倒的だった。
馬超率いる関中連合軍――十万。
曹洪率いる楚軍――五万。
合わせて十五万。
対する徐晃軍は五万、兵力差は三倍。
しかも関中連合軍、楚軍それぞれは精鋭揃いであった。
「来るぞ!」
鄭軍陣地から叫び声が上がる。
再び涼州騎兵が動き出した。
弩兵の三段連射に盾兵と長矛で立ち向かう鄭軍。
敵の勢いを削ぐことは出来るが、いかんせん敵は多かった。
一隊を退ければ、次の一隊が押し寄せる。
一度崩したはずの騎兵が、別の場所から再び襲い掛かってくる。
徐晃は馬を駆り、危機に陥った部隊へ駆けつける。
「陣を崩すな!ここが正念場ぞ!」
呂蒙もまた兵を動かす。
「左翼に三百!弩兵は前へ!」
賈逵は負傷兵を後送させながら叫ぶ。
「矢を惜しむな!敵の騎馬を近づけるな!」
戦いは続いた。
一日。
二日。
三日。
昼夜を問わぬ戦闘。
鄭軍は地形と陣形を巧みに利用し、三倍の敵を相手に戦い続けた。
しかし、兵士たちは確実に疲弊していた。
盾を持つ腕が震える。
弩を引く指には血が滲む。
眠ることさえ許されない兵たちは、陣地の中で倒れるようにして休息をとった。
徐晃自身も疲労を隠せなくなっていた。
呂蒙が近づく。
「徐晃将軍」
「何だ?」
「兵を一度、後方へ下げるべきです」
「……下げれば、その分だけ長安を危険にさらすこととなる」
「ですが、このままでは兵が持ちません」
徐晃は渭水の向こうを見つめた。
そこには、無数の敵軍旗が並んでいる。
「……分かっている」
徐晃は拳を握った。
「だが、今、長安を失うわけにはいかん」
その時だった。
後方から一人の兵士が駆けてきた。
顔は青ざめている。
「徐晃将軍!」
「何だ?」
兵士は息を整えることもできぬまま叫んだ。
「長安より……急報です!」
徐晃の胸に嫌な予感が走った。
「申せ」
兵士は震える声で告げた。
「長安の鍾繇様より報告が……」
一瞬の沈黙。
「……長安、陥落したと」
陣中が静まり返る。
徐晃も、呂蒙も、居並ぶ緒将が言葉を失う。
やがて徐晃が呟いた。
「……何だと」
兵士は俯いたまま、もう一度繰り返す。
「長安が……落ちました」
その言葉が、疲弊した鄭軍の陣地へ静かに広がっていく。
長安、関中の要。
鄭軍の西方防衛を支える大城が敵の手に落ちた。
徐晃は渭水の向こうを見た。
そこには十五万の大軍。
そして、その背後には長安を占領した敵軍。
前にも敵。
後ろにも敵。
逃げ場はない。
関中の戦いは、ここからさらに激しい局面へと突入しようとしていた。




