【第百五十四話】新鄭炎上
216年晩冬 司隷河南尹・新鄭
古の鄭の都がありし地。
そこには孫堅が築いた秩序があった。
街には人が戻り、市場には商人が集まり、かつて戦乱に焼かれた土地は再び生きる力を取り戻していた。
しかし、その平穏は一本の報によって崩れ去る。
「報告!」
城門へ兵達が駆け込む。
「洛陽より南下する軍!」
「総勢……三万!」
「率いるは衛尉・馬騰!」
城内がざわめいた。
護軍将軍として新鄭を守備する韓当はその報告を聞き、驚きを隠せなかった。
「……馬騰殿が??」
己の正義のためならば叛も厭わぬ硬骨漢。
その正義は主・孫堅と重なるものと信じていた。
同じ天を仰ぎ、その天の元、同じ道を歩むものと。
しかし今、彼は敵として相対している。
「陛下の軍ということか?」
韓当は呟く。
横にいた兵が答える。
「はっ!皇軍の旗を掲げています」
「皮肉なものだな。我らは孫堅様と共に漢を守るために戦ってきた。その我らに漢の旗が向けられるとは」
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韓当が城壁へ登ると遠く北西より整然と進む軍が見えた。
その軍を見つめ韓当は獰猛な笑みをその顔に浮かべた。
齢六十を越えた老将。
孫堅がまだ一介の県尉だった頃から共に戦ってきた。
黄巾の乱、董卓討伐戦、洛陽奪還、並みいる群雄との戦。
幾度も死地を越えてきた。
程普、黄蓋、朱治。
多くの仲間が去った今。
最後に残った古参の将だった。
「韓当将軍」
兵が尋ねる。
「勝てますでしょうか?」
韓当はその兵の肩を叩き笑った。
「勝てるから戦うのではない。守護るべきものがあるから戦うのだ」
槍を握る。
「ここは孫堅様が築いた都だ。わしが守護らずして、誰が守る!」
城門は固く閉じられ、五千の兵を率いて新鄭防衛戦が始まった。
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馬騰軍本陣
「報告では守備兵は寡兵とのことだったが、なかなか城は堅うござる」
馬鉄が愚痴る。
「韓当は老いたとはいえ、孫堅挙兵以来の宿将と聞きます。正攻法では被害が大きくなります」
馬休も増える被害に焦りの色を隠せないでいた。
二人と相対する馬騰も渋面で城を見つめていた。
彼らは騎兵を用いての平地戦では無類の強さを誇るが、城攻めにおいてはその利点が活かせないでいた。
その時、幕舎に一人の漢が現れた。
「馬騰将軍」
現れたのは弘農楊氏の若き俊才楊修であった。
「孫子曰く、最も下策は城攻めと」
楊修の物言いに馬鉄が苛立ち怒鳴り付ける。
「なれば貴様には策があるのか!」
馬鉄の怒りも何処吹く風とばかりに楊修は受け流し冷笑を浮かべる。
「城攻めが下策ならば攻めるは人の心にございましょう」
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新鄭城内。
一人の男が夜の闇を歩いていた。
魏諷。
鄭の下級官僚であり弁舌爽やかな男であった。
常日頃より呂建や徐商と徒党を組み、己の現状を嘆き、大望を果たさんと息巻いていた。
そんな彼の元に夜の闇から溶け出るように一人の男が現れ、一通の文を渡し去っていった。
文にはただ一言書かれていた。
“鶏肋となるなかれ 楊修”と……。
魏諷は文を見てその真意に気づいた。
我が身の不遇を理解してくれる者がいる。
それが今この城を攻めている敵だとしてもかまわない。
否、敵だからこそ手柄をたてる機会を得た。
そう感じた魏諷は新たな主のために策を考えることとした。
「鶏肋などで終わらぬ……」
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深夜。
新鄭城内で異変が起こる。
「敵襲!」
兵の叫び。
城内に馬蹄の音が響く。
城門が開いていた。
「何事だ!」
韓当が駆けつけると味方の旗が崩れていた。
「裏切りか……」
韓当の目が鋭くなる。
「誰だ!誰がこの城を売ったのだ!」
城門に向かう韓当の前に魏諷が一軍を率いて現れる。
「韓当将軍。皇帝陛下に楯突くは大罪人ですぞ。私がとりなしますので皇軍へ投降されよ」
韓当は魏諷を見て事の次第に納得がいった。
「魏諷よ。貴様は己が才に見合わぬ野心を持つ男。孫堅様は常々そうおっしゃっていた。それでも貴様の才を活かそうと苦心されておられた。それが分からず、敵に唆され踊らされた哀れな男よ」
「違う!俺の才を見抜けぬ主を身限ったのは俺だ!」
激昂する魏諷。
老将は一歩進む。
「孫堅様がこの地のために何をしてきたか。この地の民が誰を望んでいるのか。貴様は何も分かっていない」
さらに一歩進む老将の覇気に押され魏諷は後ずさる。
「ち、近づくな!」
「己の分をわきまえず、主の思いを踏みにじる所業。許さぬ!」
二人の間に呂建と徐商が割って入る。
しかし、韓当の槍が一閃し二人が骸と化す。
それを見た魏諷はおののき逃げ出そうとしたが、韓当は齢六十を過ぎた漢とは思えぬ身のこなしで魏諷に刃を突き立てた。
「俺は……天下のために……」
魏諷を討った韓当は城門を振り返る。
「将軍!」
兵が叫ぶ。
「敵軍が城内へ!」
韓当は空を見る。
新鄭の夜空が赤く染まる。
火が上がっていた。
「……孫堅様」
韓当は呟く。
「申し訳ございませぬ」
彼は知っていた。
ことここに至っては自分は勝てない。
だが、最後まで守護ることだけはできる。
「急ぎ宮門を閉ざすよう呂範に伝えよ。死守せよとな。あとは孫堅様がお帰りになるまでわしが時を稼ぐかの」
韓当は槍を握り直した。
「不埒な狼藉を働く愚物供め!ここを通りたければ我が屍を越えて行け!」
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夜明け。
城門には馬騰の旗が立っていた。
新鄭の城門を抜けた馬騰はその光景を目の当たりにした。
己が鍛えし騎兵部隊五千が討たれていた。
相対したと思われる敵兵の骸はわずかに千をきる程度しか見当たらなかった。
そしてその中央には鎧中が傷だらけになりながら槍にもたれ掛かるように立ち往生した老将が一人。
最後まで戦った証だった。
馬騰は己と変わらぬ齢の韓当の奮戦に敬意を表し黙祷を捧げた。
そして、己の使命を果たしに宮門に向かうのだった。




